第37話 ロストメモリー

 桃火の症状は改善されないまま、既に一週間が経とうとしていた。

 二人は相変わらずイチャつ……一方的にイチャつかれながら社員食堂で昼食を進める。


「あーあー、もう机の下だから見えないと思って膝の上に膝乗っけてるでゴザルよ」

「すごいでふね……」

「ぶっちゃけ第二の開発にどれぐらい影響でてるんすか? リーダーがあんな状況でまともに仕事できるとは思えないんすけど」

「あれ地味に影響ないらしいでゴザル」

「嘘でしょ?」

「なんか能率上がってるみたいで、第二の方もいっつもニコニコしてるから仕事がやりやすくていいとか言ってるでゴザル」

「はぁ、ストレス発散してるんでしょうかね?」

「そうでゴザろうな。まさか良い影響が出るとは」

「もうこのまま記憶戻らなくていいんじゃな、ひでぶ」


 椎茸の脳天に肘鉄が叩き込まれる。それはふて腐れた麒麟からだった。


「そんなの困ります。遼太郎さん何かあったらすぐ引っ張って行かれるんですよ。さっきなんか平山かれしさん成分が足りなくなって禁断症状おこしかけてるんでお借りしてもいいですかって第二開発の人が来たんですよ。彼氏じゃないっつの」

「それで平和ならいいのではないのでゴザろうか」

「いやー、そろそろ引きはがした方がいいんじゃないっすか?」


 高畑はテーブルの上で頬杖をつきながら二人の様子を見守る。


「どうしてでふ? あんなにラブイチャしてて仕事もうまく行ってるでふよ?」

「そうでゴザル、デメリットなしで強化バフなんて最高でゴザルよ」

「デメリットなしですか、ほんとにぃ……?」


 麒麟は高畑が自分には気づいていないことに気づいていると感じ質問する。


「何かあるんですか?」

「これだから童貞と処女は」

「ど、どどどど童貞ちゃうでゴザル!」

「僕は素人童貞でふ」

「処女で悪いか!」


 麒麟の叫びに一瞬辺りが静まり返る。

 ボンと顔をトマトのようにした麒麟は小さくなってしゃがみこむ。


「あうあうあう……失礼……しました」

「そりゃ処女で悪いかカミングアウトは静かになるでゴザルよ」

「処女厨歓喜でふ」

「姫様が処女なのは皆知ってますよ」

「処女処女言うな! そんなことより高畑さんどういうことなんですか?」

「んー、いや、俺は単純に嫌だなって。自分のこと振った女が記憶障害で自分のことまた彼氏と思ってるだなんて。だってもう一回振られること確定してるわけでしょ?」

「…………」

「しかし、別れてもう一年くらいなんでゴザろう。平山殿も割り切ってるのではないのでゴザろうか」

「一年は、もう、じゃなくて、たったのですよ。それに割り切ってるなんて言う男なんてカッコつけてるだけっす。恋愛は男の方が引きずるパターンが多い」

「ん……むぅ……」

「あれはむごいっすよ。多分人にはやっちゃいけないランクがあるとしたら恐らくトップ3くらいには入りますよ。……壊れた恋の再現っていうのは」


 その言葉に三人は何も返すことが出来なかった。


「まぁ言われてみれば平山君からは全く絡んでないでふ」

「恐らく、高畑氏の言った通り、いずれ来る終わりに心が備えているのでゴザろう」

「これは現実でおきてる夢なんですね……」



 更に一週間後、遼太郎から距離を開けられているというのは他ならぬ桃火が一番感じていることで、素っ気なく感じる対応に苛立ちをつのらせ始めていたのだ。

 いつも通り昼休憩時にやってきた桃火は遼太郎を呼び出すと、いつもの食堂ではなく開発室から離れたトイレへと連れ込んだのだった。


「あれ桃火ちゃん、お昼は?」


 桃火は女子トイレに誰もいないことを確認すると、そのまま個室へと遼太郎を放り込み、自身も中に入ると鍵をかけた。


「あの、これは……」


 遼太郎には特に身に覚えがなかったのだが、目の前でセーラー服姿で仁王立ちしている彼女のこめかみには怒筋が浮かんでいる。

 しかし桃火が怒り狂っているのはいつものことであり、今更それくらいでは驚かない遼太郎である。


「あんたさ、なんかおかしくない」

「そ、そうかな?」

「いつもは桃火ちゃん桃火ちゃんってカルガモみたいについて来てたのってあんたの方でしょ?」

「そう、だったかな?」

「なんか隠してない?」

「隠してはないよ、隠しては……」

「じゃあさ、キスしてよ」

「え、えええっ……」

「何盛大に驚いてんのよ、別に初めてでもないくせに」

「いや、ダメだよ」

「なんで?」


 遼太郎は人が見てると言おうとして、ここがトイレの個室だと気づく。

 うわー連れ込まれてる、しかも逃げ場ないと一瞬で自身が置かれている状況を察する。


「ちゃんと人避けくらいするわよ。まぁあたしは人に見られながらする方が興奮するタイプだけど」

「桃火ちゃん、昔からなんにもかわってないね……」

「はっ?」

「いや、なんでもない」

「そういえば昔海水浴行ったときにあたしがナンパされて、鬱陶しいから振り払うのにあんたにキスしたのが始まりだったよね」

「うん、あの時はびっくりしすぎて死ぬかと思った。何の脈絡もなくキスしてきたもんね……」


 高校時代の話、桃火は生徒会長というポジションと電脳遊戯研究会という、いわゆるテレビゲームクラブの部長を同時に務めていた。

 本来オタクしかいない日陰クラブであったが、桃火の入部と同時に彼女は一気にオタサーの姫と化していた。しかしオタサーの姫にしては性格が強すぎる為、姫というより殿や王に近かった。

 遼太郎もその時同じクラブに所属しており、面識自体はそこから始まっていた。


 ある日副部長が下心たっぷりに海でゲーム合宿をしたいと言い出し、全部員の仕組まれた満場一致によって桃火は渋々それを了承する。

 しかし海についてみればオタサーの姫は浜辺のマドンナと化し、ウェーイ系の兄ちゃんを集める灯台みたいになってしまったのだった。

 浜辺の褐色サーファー達に囲まれ、イライラが有頂天な桃火はぶん殴って離脱してやろうかと思ったが、そんなことすれば草食系()のクラブ連中がボコボコにされそうな気がして桃火は黙っていた。

 しかし彼女の気が短いのは誰もが承知の上であり、あっという間に限界点を突破した為、近くにいた遼太郎を捕まえてキスすることで浜辺のウェーイ系兄ちゃんを追い払ったのだった。


 それ以降どちらが告白したわけでもないのに学校内では付き合ってることになり、気づけばロデオに振り回される哀れな遼太郎オタクと、上に乗る人間なんぞ知った事かと引きずり回す桃火ひめの彼氏彼女の関係が出来上がったのだった。

 桃火の方が一瞬で飽きて振るだろうと思われたが意外にも彼女も遼太郎のことを気に入っており、遼太郎も初めての彼女をとても大事にして、気づけば二人は学校内でも有名なカップルとなっていた。


 遼太郎が付き合って知った桃火の一番意外なところはキス癖である。キス魔と言っても差し支えないほどのキス好きであり、学校内だろうが外だろうが隙を見てはキスをしてくることに心底驚かされたのだ。

 家デートになれば二人ゲームコントローラー片手に対戦プレイをしながらずっとキスにいそしんでいて、あまりのキス好きに遼太郎の方が圧倒される程だった。

 そんなことを不意に思い出し遼太郎はため息を吐く。



「浜辺でいっぱいのイケメンに見られながらのキス、最高に興奮したわ」

「ド変態だ」

「彼女が美人で変態の方が嬉しいでしょ?」

「凄い自信だ……変態性はベクトルによるよ」

「夜の公園で二人変装して、ずっと目立つところでキスしてたわよね」

「桃火ちゃん強引だから」

「あんたも楽しんでたでしょ?」

「それはいじめっ子の理論だよ。こっちは遊びだと思ってた、楽しんでると思っていたとか」

「格ゲーで勝ったら罰ゲームでおっぱい揉めるときは嬉々として揉んでたじゃない」

「あれは……そりゃ誰だって揉むよ」

「この胸の成長にはあんたも一役買ってるんだから」


 ずいっと差し出されるふてぶてしい胸を、ついこねくり回してやりたくなる。


「なんで触んないのよ」

「いけないことだよ」


 桃火はむむむと眉間にシワをよせながら遼太郎を覗き込む。


「ねぇほんとどうしたの? 何か嫌な事あった? 誰かになんか言われてるならあたしが殺してきてあげるわよ」

「敵作ってるっていう自覚はあるんだね」

「ほんとなんでなの? わけわかんないんだけど。もしかしてあたしのこと嫌いになったの?」

「っ……僕はずっと昔から桃火ちゃんのことが好きだよ」

「じゃあなんで!? 何か嫌だったの? あたしはあたしのやりたいこと曲げられないの知ってるでしょ?」

「うん、桃火ちゃんはそれでいいと思う。まっすぐに進んでいくと、きっと誰も届かないところまで到達できるよ」


 例えその時、隣に誰の姿もなかったとしても。


「教えてよ……、ほんとわかんない」

「桃火ちゃんが大事だから。今の君を傷つけられないんだ」

「くっ……」


 あまりにも遼太郎の言っていることの意味がわからず、ひっぱたいてやろうと思い手を振り上げる。

 だが、その時激しい頭痛が襲い、記憶が波となって押し寄せてくる。


「くっ……っつ……!」

「大丈夫!? 桃火ちゃん! 桃火ちゃん!」

「なんで、……こんなに大事にしておきながら、あの時……来なかったのよ……」

「!? 桃火ちゃん、もしかして記憶が」


 桃火は頭をおさえたまま倒れ込んでしまった。


「桃火ちゃん! 桃火ちゃん!」


 遼太郎は急ぎ倒れた桃火を運ぶ。



 桃火は第二開発室近くの仮眠室へと寝かされ、集まって来た麒麟や雪奈が必死に呼びかける。


「桃火! ボクだよ桃火!」

「姉さん、大丈夫! しっかりして!」

「救急車呼びましょうか!」


 遼太郎がスマホを取り出すと、それを取り上げる背の高い女性。

 いつのまに入って来たのか、全く気配を感じさせなかった。

 それは真田家の長女である玲音だった。彼女もこの騒ぎを聞きつけてやってきたようだ。

 玲音は冷静に状況を把握すると辺りを一瞥する。


「玲音姉さん」

「開発者は開発室内に戻れ!」


 玲音の一喝で野次馬で集まっていたクリエーターたちは開発室へと戻っていく。


「どうしよう、姉さんの意識が」

「慌てるな」


 玲音は脈と呼吸を確認すると、遼太郎から経緯を聞く。


「そうか、恐らく桃火は記憶を思い出しかけているが脳の読み込み部分がうまくいっていなくて倒れたのだろう。脳とは本来記録、再生、読み込みの三つを同時に行っている。お前との会話で失った記録のヘッダーを読み込もうとしているが、それが見当たらず脳が混乱している。記憶にはあるが記録にはないというところだろう」

「記憶はなくなってしまったの?」

「いや、ストレスか何かでマスクがかかって取り出せないだけだろう」

「どうすればいいの? やっぱりお医者さんに」

「医者にこんなもの治せるか。おい、新人桃火の体を第二に運べ」

「いいんですか、動かしても?」

「早くしろ」

「は、はい!」

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