第16話

「以来、俺の心は、何かが決定的におかしくなってしまった。愛も信頼もその正体が分からなくなって、人生の意味や希望も見失った。だから地球を捨てるのに大した決断は要らなかったってわけさ」


 と、エラディオは言った。同情を請うような様子はなく、まるで他人事のような口調だった。多分そうやって一歩下がったところに心を置かないと、彼の心がもたないのだろう。


「辛い時間を過ごしたな」


 それしか俺には言えなかった。どんな言葉も慰めにはならないだろうし、彼もまたそう思っているだろう。エラディオは、ふう、と大きく溜息を吐き、天井を見上げた。


「ああ、当時は、まあな」


 彼はまだ完全に乗り越えられてはいないのだ、と俺は思った。


「信じるよ、エラディオ。君を信じる」

「……ありがとう。それが聞きたかった言葉だ。ずっとずっと俺は誰かにそう言って貰いたかった。だからロビン、もし君が同情や哀れみでそう言ってるのであれば、本心を言ってくれて構わない。今の俺には、嘘を吐かれることがいちばんこたえる」

「言ったとおりだ。信じるよ、エラディオ」

「そうか……。ありがとう」


 エラディオはそう言って、真っ直ぐ俺の目を見つめた。彼の目は言葉以上に俺に感謝していた。なんだかいたたまれなくなって尻を動かして座り直すと、ベッドがぎしりと思ったより大きな音を立てた。


「ところで、嘘を嫌うようなことを散々言っておきながら、実は一つ君に嘘を言ってしまったことを俺は謝らなければならない。トイレに行くふりをして君を観察していたなんて言ったけど、本当は君に話しかけたくて機会をうかがっていたんだ。……多分君も周囲から孤立していたんじゃないかと思う。君を理解する人間は少ないだろう。だからこそ、俺たちは理解し合えると思ったんだ。つまりその、……友達になれればと」

 俺は大声で笑ってしまった。「イカれた俺と友達になりたいって?」

「変な話だと思うが……」

「君も相当イカれてるな」


 俺が右手を差し出すと、エラディオは照れつつも俺の手をぎゅっと握った。彼の握力はびっくりするほど強かった。

 隣ですすり声が聞こえた。デイジーが泣いていた。


「おい、どうしたんだ?」

「ごめんなさい。だってあなた、ずっと友達がいなかったんだもの。辛い経験をしてきた二人がこうして理解しあって友達になったのがとても嬉しいの」


 友達の話なんてデイジーとはしたことがなかったけれど、やはりデイジーは友達を作ろうとしない俺をずっと気にしていたのだろう。


「何だよ、人工知能がちょっと大袈裟に反応していないか?」

「違うわよ。今そんな話は冗談にもならないわよ」


 顔をほころばせて涙を拭うデイジーを見て、エラディオはぽつりと呟いた。


「デートの相手はアンドロイドの方が良いのかもしれないな。裏切られるってことも冷められるってこともない。嫉妬もしないし、従順で自己犠牲的で健気だ」

「そんなことはない。所詮プログラムされた愛だ」

「そうかな。その方が結局辛くないと思うんだが。君からそんな否定的な言葉を聞くとは思わなかった」

「俺はデイジーを愛しているわけじゃないよ」


 俺の言葉にエラディオは深く重く頷いて、それからしばらく言葉を発さなかった。デイジーも。デイジーから先ほどの笑顔は消え、酷く傷付いた顔をしていた。そう、まるで傷付いていないという芝居すらできないという具合に。エラディオは同情とも憐憫ともとれる表情で俺の顔をじっと見つめていたが、ふっと空気を変えるように肩を竦めて、口を開いた。


「まあ、俺にとってはどっちでもいいことだ。ところで、ロビン。君を信じるということはデイジーも信じるということだ。だから今度はデイジーに聞きたい。あの場では言えなかったこともあるだろう。率直に聞きたい。誰が一番怪しい?」


 デイジーは急にスイッチを切り替えたように真面目な顔になると、冷静な、聞く人によっては無機質で冷酷にもとれるような口調で言った。


「私はずっとあなたが一番怪しいと思っていた」

「はは、本当にはっきり言うな。……どうしてだ?」

「犯人にとって一番想定外な存在は多分私よ。だから犯人は私を排除しようと思うはず。そしてあなたは」

「真っ先にアンドロイドの破壊を提案した――。しかし俺が犯人じゃないのは俺自身が一番良く分かっている。人工知能も案外こんなときは役に立たないのか。一番怪しいと思っていた、と過去形の表現だったということは、今は君に信頼されていると考えて良いんだな?」

「一番怪しいとは思っていないわ」


 デイジーの回りくどい言い回しを皮肉るようにエラディオは笑った。


「つまり、まだ君の疑念は完全に晴れてはいないということか。今の一番は?」

「言わないほうが良いと思うわ。あなたが先入観を持ってしまうことのデメリットの方が大きい」

「ふうむ。まあ、確度の低い推測を聞いても、君の言う通り仕方ないかもな。ライアンのことはどう思う? あいつが船長の死体の第一発見者だというのがちょっと腑に落ちていないんだが」

「彼を完全に信頼できないと考えてはいるけれど、死体の第一発見者であるという要素はあまり意味をなさないわ。確かに彼が操られていた場合、船長殺しやその後の細工を手伝った後、何食わぬ顔で第一発見者を装う可能性は高いと思う。だけど彼が正常であったとしても、かなり大きな確率で彼が死体の第一発見者になるはず。だから第一発見者だから怪しい、とは言えない」

「なるほどね。言われれば確かにその通りだ。だがそれは結局何も分からないと言っているのと同じだ」

「情報が不足しすぎていて……」

「じゃあ、俺から一つ提案があるんだが、意見を聞かせてくれ。食料運びはデイジー、君と俺の二人で行きたい」


「何だって?」


 全く予想していなかったエラディオの言葉に、俺の頭は混乱した。今、この状況でシャッターの外に出て行こうとするなんて自殺行為じゃないか? そしてなぜデイジーと二人で? 俺が彼の発言の真意をはかりかねている横で、デイジーは確認のための会話をすっ飛ばして即答する。


「あなたがその行動の結果について覚悟をしているというのなら、それが最善だと思うわ」

「待ってくれ、待ってくれ。何で君が? 危険はアンドロイドに任せておけばいいだろ?」

「そうかもしれない。だが、そうやって俺らは怖気づいた決断をして、これから一人、また一人と殺されていきそうな気がするんだ。食料の運搬が成功するにせよ失敗するにせよ、そのあとは火星に着くまで二度とシャッターが上がることはないだろう。だからもし犯人が居住区域外で何か新たな細工や証拠隠滅を図るならこの食料運搬のタイミングしかない。俺は犯人が何か企んでいる方に賭けたい。そしてそれを阻止したい」

「なるほど……。確かにそれは考えられるな」

「特にライアンがシャッターの外に出ることだけは避けたい。命の危険が伴う食料運搬はアンドロイドに任せる流れになるのは容易に想像できる。だから犯人はライアンの人工知能をいじっていて、何か秘密の命令をしている可能性は高いと俺は思う」

「しかし賭け金は、エラディオ、君の命だ。リスクが大きすぎる。それに君の推理が正しくて君が食料運搬に行くことで犯人の計画が破綻したとしても、やぶれかぶれに君を殺すようロボットに命令するかもしれない」


 エラディオの代わりにデイジーが答える。


「無線通信でロボットに命令は出せないから、事前にそのような命令をロボットに与えているかどうかにかかっているけど、その可能性は限りなく低いと思うわ。アンドロイドがまだ残っている状況で人間が食料運搬に名乗りを上げるってことが予想しにくいし、それに、もし食料運搬で死者が出ればもう二度と食料運搬が試みられることはないでしょう。そうしたら犯人も一週間ずっと飢えたままでいることになる。それは犯人も避けたいはず」


 エラディオも付言する。「もちろん犯人が食料を居住区域内のどこかに隠している可能性もあるから最初に徹底的に探す必要はある。だが、そんなリスクを犯すより食料運搬を成功させるほうが良いと俺が犯人なら考える。そうすると、あのロボットたちは食料運搬が成功するまでは襲ってこないよう命令されていると考えた方が自然だと思う。むしろ危険なのはその後、食料運搬が成功して俺たちが油断する頃」

「……一理あるな」

「それに、食料庫までの道のりを見たでしょう? ほぼ直線だから、あのロボットに襲われても私が盾になればエラディオは逃げ切れる可能性が高いわ」


 デイジーはそう言って、俺に向けてまるでエラディオがするみたいに安心させる笑顔を作った。エラディオはそんなデイジーを見て、理解者を得たことを安心するように緩く口角を上げた。そういえば、彼はライアンが見せた食料庫までの道のりのホログラフィックイメージを随分と念入りに調べていた。そのときから彼は自分で食料を取りに行くことを考えていたのかもしれない。


 エラディオの顔に、全く恐怖は見られなかった。


 そんなに自説に自信があるのか?


 それとも、英雄的行動をしようと心を奮い立たせている?


 いや、違う。エラディオの目線は、まるで後ろめたいことを言ってしまったみたいに、泳ぎながら床に向けられている。


「エラディオ、君は半ば自棄になっているんじゃないだろうな」

「……まさか」


 返答の一瞬の躊躇いを、俺は見逃さなかった。


「運命を試しているんだろ?」


 俺の心に、ぐっと冷たいものが突き刺さった。人生のどん底に居るとき、人は自分の運命を試したくなる。自分はまだ生きていて良いのか? 神は自分を見放したのではないか? そうして、面のいくつかに”死”の文字が刻まれたサイコロを振る。そうして出た目が”死”でなかったら、非論理的に神に感謝して生きる気力を回復する。馬鹿げている。実に馬鹿げているけど、生きる意味を見失った人間にとってそれは必要な儀式なのだ。


 今のエラディオに最も必要な言葉は分かっていた。


「俺も行こう」


「それは……」

「危険過ぎる? 君は行くのに?」


 沈黙が空気を支配して、俺たちは目だけで会話をした。実際、そのときの俺たちの気持ちは、きっと言葉で表現することはできなかっただろう。

 無言の会話が終わったとき、エラディオは小さい声で「ありがとう」と言った。

 そのとき、部屋のドアが激しくノックされ、ブランドンの声がした。


「おい、大丈夫か? 十分はとっくに過ぎてるぞ」

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