第17話

 ブランドンと四人で一緒に共有スペースに戻り、ソファに座ると、まるでデ・クーニングのよく分からない抽象画でも見るみたいに、皆が訝しげにじろじろと俺たちを見てきた。

 三人を代表してエラディオが口を開く。


「すまない、二人と相談していたんだ」

「何を?」


 シェーンが尋問するような口調で俺たちに尋ねる。エラディオは動じずに、穏やかな声で答えた。


「食料の運搬についてだ。俺と、ロビン、デイジーの三人でやりたい」


 皆が顔を見合わせる。


「聞いてくれ。いろいろ話し合った結果、俺はロビンとデイジーを信じることにした。二人も俺を信じている。信頼できる三人で食料を取りに行くことが最善じゃないかと、さっきまで話し合っていたんだ」


「その話を信じろと?」シェーンが鼻で笑う。「何を話していたか知らないが、自ら食料運搬を名乗り出るなんて狂ったこと、何か裏があるとしか思えない。僕にしてみれば、君たち三人を信用できない」


 シェーンは涙袋がたるんで黒ずんだ目をぎろりと俺らに向けて暫く考え込んだあと、半ば脅迫するように威圧的に言った。


「ライアンも行かせろ。ライアンがリプログラミングされている可能性もあるが、君らだけを行かせるよりましだ」


 エラディオは強く拒否する。


「それはできない。ライアンを外すのはライアンを信用しきれていないからだということが分からないのか? 船長を殺害したあのロボットの人工知能がリプログラミングされていたのだとしたら、ライアンの人工知能もリプログラミングされていてもおかしくない。どちらもスペースドリーム社が用意したわけだからな。デイジーはロビンの世話用アンドロイドだから、彼を信頼するならば彼女も信頼できるということになる」

「だめだ、勝手なことを言うならこっちにも条件を付けさせろ」


 一触即発、という雰囲気だった。窮地に陥った集団にとって、一番忌避すべき事態だ。命がかかっている以上どちらも引き下がらないだろうし、多数決も意味がないだろう。何と言えばこの場をうまくまとめられるのか俺が必死で考えていると、ブランドンが「仕方ない、俺も行く」と言った。


「さっき、あのロボットは俺たちを見て逃げただろ? それが集団を恐れたからだったとしたら、四人より五人居た方が良い。ライアンが狂った行動を取っても男が三人もいたらなんとかなるだろう」


 俺はほっとして、内心ブランドンに感謝した。彼にとってはかなり勇気が要る決断だっただろうが、妥協策どころか、それが最善策かもしれない。五人居れば戦力的にも精神的にも非常に心強い。

 だが、エラディオは首を振った。


「気持ちは嬉しいが、女性を男性と二人きりでここに残しておくわけにはいかない」


 シェーンとホンファを交互に見て、ブランドンは肩を落とした。ブランドンはホンファの危険を言葉の通り受け取ったのかもしれないが、エラディオは別のことを考えているに違いなかった。ライアンをシャッターの外に出そうとするシェーンは、明らかに怪しい。二人を残して食料を取りに行くことの危険性に思い至らず、ただ自分の安全性が上がったと喜んでしまったことを、俺は恥じた。


「私、行きます。いえ、行かせてください」と、ホンファは口を開いた。

「だがそれは――」


 エラディオの言葉を遮って、ホンファは主張する。


「何かしていないと、頭がおかしくなってしまいそうなんです。戦力にはならないかもしれないけど、自分の食べ物ぐらい自分で運びたい。皆さんが居れば怖くありません」


 シェーンを一人にすることの不安もあるにはあるが、現状ではそうするしかないのかもしれない。エラディオが頷くと、皆の間に笑顔が生まれた。


「君ら全員、馬鹿か? 死にに行くようなもんだぞ?」


 シェーンが悪罵する横で、俺たちは不意に芽生えた連帯感にしばしの間酔いしれていた。結果的にシェーンが正しく俺らは間違っていたということを、このときの俺たちはまだ知らない。


 念のため居住区域内を隅々まで調べてみたが食料は見つからず、俺たち六人が食料を取りに行くことが決まった。


 主にエラディオの提案が通って、デイジー、次にブランドン、俺、ホンファ、エラディオ、ライアンの順に一列に並んで行くことになった。危険度が高い先頭をデイジーにして、疑わしいライアンは後ろを守るという名目で最後尾にし、自身で行動を監視するというのがエラディオの狙いだ。先頭に近いブランドンは反対するかと思ったが、案外すんなりと了承した。むしろ責任感と興奮で鼻息を荒くしている。


 六人が出たあと、念のため居住区域の外に出る際に通る二つのドアには数字四桁で開く電子ロックがかけられることになった。居住区域側のドアのコードが3581。もう一つが8135。二枚目のドアのコードは一枚目のドアのコードの前後の二桁を入れかえたものになっている。危険は増すが、人間の貧弱な記憶力に配慮した措置である。


 ちなみにシェーンにはドアの解錠コードを教えていない。開錠コードはコードの再設定にも使われるからだ。つまり、彼に悪意があった場合を想定して居住区域から六人が締め出されないようにするためであるが、シェーンはこれについて異議を唱えなかった。と、言うより、彼はまるで俺たちとの会話や交流を拒んでいるようだった。ホンファがシェーンにも少し食料をとって来ようか、と親切にも言ったが彼はその申し出すら拒否した。


 そんなシェーンを共有スペースに残して、俺たち六人は居住区域から出る唯一のドアに集まった。ドアの少し向こうに危険が待ち構えているかもしれないのに、こうして多人数でいるとあまりそのような気分がしない。まるでキャンプをする前のような雰囲気だった。


 ライアンがシャッターの操作盤を操作し、ギギギ、と生理的に嫌悪感を覚える音を立ててシャッターが再び上がる。これで居住区域と船内を隔てているのは二枚の薄い鉄製のドアだけとなった。


 この食料運搬の旅で一番危険なのはこのドアを開ける瞬間である。俺たちはドアの傍で待機し、デイジーが一つ目のドアを開ける。ホラー映画のようにドアを開けた瞬間ロボットが立っている、なんていうことはなく、すぐ向こうの二枚目のドアが見えた。デイジーが一枚目のドアを通るとライアンが一枚目ドアに電子ロックをかける。こうして一枚ずつドアを開けていくことでまるで中世の城のバービカンの二重門のように外敵の侵入を防ぐ。


 少し間があった後、一つ目のドアが五回ノックされた。安全が確認された合図である。一つ目のドアのロックが開けられ、全員が二つのドアを出たところで歩みを止めて、ライアンが電子ロックをかける。俺がエラディオに目配せをすると、彼は頷いた。これまでのライアンの行動におかしなところはないという合図だ。


 通路は階段まで一直線になっており、その間に二つ十字路がある。次にロボットが襲ってくる可能性があるとしたら、その十字路のどちらかである。デイジーがブランドンから十分距離をとって先頭を歩き、初めの十字路を確認する。問題なし。次の十字路も問題なし。


 俺たちはなるべく音を立てずに歩いた。誰も喋らなかったが、皆が楽観的な表情になっていた。そもそも、俺たちはあのロボットを恐れすぎていたのではないか。実際のところ、あのロボットの奇怪な行動は人工知能の故障が起こした偶発的なもので、今頃どこかの壁を延々と引っ掻きでもしているのではないか。そんな風にすら俺には思えてきていた。


 デイジーが階段を降りて下の階を確認しているところだった。列の最後尾で二つ目の十字路の安全を再確認していたライアンが小さな声で言った。


「微かに物音がしました」


 全員に緊張が走る。ライアンは無言で左の通路を指差した。下の階に降りたデイジーを呼び戻して調べさせる余裕はなさそうである。エラディオが全員を十字路に手招きする。俺たちは極力物音を立てないように十字路まで戻る。下の階でまだ俺たちを待っているデイジーが気にはなるが、大声を出して彼女を呼び戻すのは危険だし、直接階段を降りて呼ぶと逃げるのが致命的に遅れる可能性がある。まあ、人が来なければ不審に思ってすぐに階段を上がってくるだろう。


 全員が十字路まで戻ると、エラディオがライアンに命令した。


「確認してきてくれ」


 ライアンは頷き、左の通路の奥に進んだ。俺たちは全員十字路の真ん中に立って、通路を歩いて行くライアンを見守った。通路のずっと先に、左右一つずつドアがあって、ライアンは左のドアを開ける。何も変わった点はないようだ。次に右のドアを開けたとき――。


 ライアンが、あの、船長の顔の皮を顔に貼り付けたロボットに襲われた。



「走れ! 走れ!」


 エラディオが叫ぶ。皆が一斉にドアに向かって走り出した。俺の心臓はまるで罠にかかった鳥のように激しく暴れた。ひどく耳鳴りがした。俺の体は遠くから歩み寄ってきている死に激しい拒否反応を起こしていた。


 あろうことか、ホンファが転んだ! エラディオが真っ先に彼女を助けに戻り、俺も続く。ホンファは、まるでビルの隙間風のようなか細い声で「腰が抜けて……」と言った。彼女は失禁していた。エラディオと俺は二人で彼女に肩を貸すが彼女の腰にはまるで力が入っていない。俺たちに迷っている暇はなかった。俺たちは決断しなければならなかった。彼女を助けるか、諦めるか。


「ブランドン、君はドアを開けてくれ!」


 とエラディオはブランドンに向かって叫んだ。自分もホンファを助けるべきか否かと居住区域に入るドアの前で固まっていたブランドンは、その声でようやく自分のなすべきことを理解して、ドアの電子ロックを開け始めた。


「彼女を背負って走れ、ロビン!」


 エラディオはそう言うとドアの方とは反対側を向いて身構えた。俺は彼の決断に反対したかったがそうする時間の余裕はなかった。俺はドアの方を向いてホンファを背負って走り始めた。


 そのときだった。


 背後で、エラディオの唸るような声が聞こえた。思わず足を止めて振り返ると、エラディオはさっきよりもずっと遠くのところで、あのロボットと揉み合っていた。おそらく俺がドアの方を向いたと同時にあのロボットが十字路の角を曲がってきて、エラディオがロボットを止めるために走って飛びかかっていったのだろう。


 逃げるべきか。一緒に戦うべきか。


 俺はホンファに謝ってロボットに向かって走っていた。ただ夢中で、エラディオの上に馬乗りになっているロボットを蹴り飛ばした。骨組みだけで軽量なのが幸いして、ロボットが軽く吹っ飛ぶ。


 だが、生物と違い蹴りの痛みを感じないロボットはすぐに体勢を建て直して再び俺たちに向かって飛びつき、起き上がろうとするエラディオの右足を左手で掴んだ。


 ライアンが走ってきてエラディオを殴ろうと振り上げたロボットの右手に体ごと掴みかかった。ロボットは怯んだがエラディオの右足を掴んだ左手を離さない。とにかくこの左手をなんとかしなければ!


 ライアンが叫んだ。「そっちじゃない、右手です!」


 よく見るとロボットは右手に尖った金属片を持っていた。エラディオとライアンがロボットの右手を掴んで押さえているが右手はどんどんエラディオの腹に近付く。

 死角の外から白い腕が伸びた。ホンファだった。三人がかりで掴まれたことでロボットの右手の動きが鈍くなる。ライアンが再び叫んだ。


「背中を開けて! 電源ボタンがあります!」


 俺は急いでロボットの背後に回った。背中のカバーの開閉ボタンが見えた。

 しかし、機械でできたロボットに対し、生体の二人は疲れる。持続的に力を入れ続けるとやがて力は抜けていく。一呼吸前にロボットと互角だったのなら、今はロボットと互角にはなれない。


 それはほんの一瞬のようにも、酷く長い時間のようにも思えた。


 ロボットの持った金属片は、ずぶりとエラディオの腹に刺さっていった。

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