第2部

第1章 宇宙船モノリス号

第12話

 俺は死体を見ている。


 生前の名前はアレクサンダー・ナカタ。日系の苗字だが見た目は典型的なコーカソイドだった。おそらく養子か、彼の先祖のモンゴロイドの血が世代とともに薄まってしまったのだろう。


 見た目は典型的なコーカソイド”だった”――と言ったが、これは文法間違いではなく、彼の容姿については俺のオムニポーター内に保存されている三次元イメージデータをもとに話さないといけないのである。


 今、彼の顔は壁に投げつけたトマトみたいにぐちゃぐちゃになっているのだから。


 彼は火星航行船モノリス号の船長で、彼の死体が見つかったのはモノリス号の船底近くにある水ろ過装置前の廊下、装置の故障でもなければ行かないような場所である。


 死体の第一発見者――”者”と呼べるか微妙だが――はアンドロイドの乗員、個体名ライアン。モノリス号は本来貨物船であるため監視カメラやセンサーの類がなく、ライアンは半日姿を見せない船長を船内中探し回って彼の変わり果てた死体を見つけたのだった。


 ライアンは死体を見てももちろん動じなかったが、乗客の女性が偶然その場に出会わせてしまい、彼女は無残な姿の死体を見てパニックを起こして居住区域の共有スペースに泣き叫びながら戻ってきた。


 当然すぐに騒ぎになり、そうして俺は今、ひとりになりたいと自分の部屋に帰って行った運の悪い死体の第二発見者以外の乗客と一緒に現場に来て船長の変わり果てた姿を自分の目で見て確認している。


 モノリス号に乗ることになったのは、偶然の連鎖作用の結果だった。


 ある日の朝、俺はデイジーが作ってくれたサツマイモとリンゴのスープ(これはまだ胃が目覚めていない朝の食事にピッタリで、俺は気に入っている)を飲んでいてオムニポーターの上に少しこぼしてしまった。オムニポーターは防水仕様なのですぐに洗ったものの、本当に壊れていないかどうしても気になった俺は、動作確認のため音声でホログラフィックディスプレイを点けるよう命令した。


 その、電源がオンになったときのチャンネルで、たまたま流れていたのがもうすぐ約二年二ヶ月ぶりの火星旅行のシーズンだというニュースだったのだ。


 ニュースではロボットにより三十年をかけて開発され続けてきた火星の風景も映し出されていて、苔によって緑化された大地とドライアイスの雲に俺は惹かれた。それでも行きたいとまでは思わなかったが、好奇心を刺激されて火星についていろいろネットで調べていて、偶然格安で火星に行けるモノリス号の空席が二席余っていることを見つけてしまい、つい反射的にチケットを購入してしまった。


 後で知ったが、他に火星に行く宇宙船は定員百人のタイタン三号、四号だけで、どちらもとっくの昔にキャンセル待ちだった。貨物船に小さい居住区域を設けた定員六人のモノリス号はタイタンに比べ旅行には不向きとはいえ、今までチケットが売れ残っていたなんてことがあるはずはなく、おそらく誰かが二席をキャンセルした直後のタイミングで俺がモノリス号のチケット販売ページを見たのだろう。


 こうしてどこぞの宗教家が聞いたら神のみわざと太鼓判を押すような偶然が重なって、俺は火星に行くことになった。


 未来の世界で目覚めて三ヶ月、俺はまだ友達ができないでいた。


 いや、正確に言うとドノヴァンの一件以来俺はどうも新しい人間と知り合うことに尻込みしまっている。

 

 この未来の社会では働くということが必須でない分趣味のクラブは沢山あって、過去に比べて新しい友達を作りやすい。

 既婚者の六割は伴侶を趣味のクラブで見つけているそうだ。俺は特殊なバックグラウンドのおかげで初対面のインパクトは十分だろうし、表面上うまく溶け込める自信もあった。


 だが、現代人が時折見せるロボットやアンドロイドへの残虐さを俺が受け入れられない限り、内心ストレスを溜めるのは分かりきっているし、それでまたいつかドノヴァンの件みたいなことが起きないとも限らない。俺はそう思ってつい二の足を踏んでいた。

 刑務所の三人と話して俺なら社会に馴染めるかもしれないと感じていた自信は日に日に薄まり、不安が強くなってきている。よくよく考えると、俺がストレスを感じずにこの世界で生きる方法は二つしかないのである。即ち、心まで現代人になってしまうか、現代人と交流をしないか。


 俺は火星に第三の答えを求めていたのかもしれない。

 

 チケットを買う前にネットで見つけた火星住居者のブログによると、開拓途中の火星ではまだ十分な資源がなく、ベーシックインカム制度はあるが物価が高いために物をぞんざいには扱えないらしい。


 過去人の感覚からすれば未来の象徴ともいうべき火星での生活がむしろ過去のそれに近いというのはなんとも皮肉な話だが、俺はその不便さに親近感、ともすれば憧れに似た感情を覚えていた。


 そのブログの火星住居者は火星に来てからまだ日が浅いせいか不平不満ばかりを綴っていたが、火星で生まれ火星で生きている人々の中には俺に近い感覚の持ち主がいないとも限らない。もちろん火星そのものへの好奇心もあったと断言できるが、それ以外の感情が俺の背中を押していたのも間違いない。


 とにかくそうして俺はモノリス号に乗っている。


 人工知能の開発した核融合エンジンによって最高時速三十万キロメートルで進むこの船は、最接近時の地球と火星の間の距離約七千五百万キロメートルを二週間で飛ぶ。


 貨物船であるモノリス号にとって居住区域はおまけ程度の大きさしかないが、それでも乗客のために船内全体に人工重力が発生していて、地球上と変わらない生活ができる。


 乗客一人に与えられた部屋はシングルベッドに机と椅子が一つずつという典型的な安ホテルの一室のような部屋で、最初実物を見たときはうんざりしたものだが、デイジーと昼夜VRギアのゲームで遊んで暇をつぶしているとそれも苦痛ではなくなっていった。


 それに一日三回の宇宙食はデイジーの手料理と同じくらい豪華で美味しく、また骸骨のように細い体をしているロボット(全身が白いために余計に骨に見える。デイジーによると軽量化のために人工筋肉を使わずモーターで動いているそうだ)が毎回部屋まで運んできてくれるのも嬉しい。


 不便を感じるのは共用のトイレやシャワールームに誰か入っていて待たされているときぐらいのものだ。


 居住区域にはリビングルームほどの広さの共有スペースがあり、そこでほかの乗客と交流できるようになってはいたが、そこで他の乗客の姿を見ることは滅多になく、めいめい主に自分の部屋で一人の時間を楽しんでいるようだった。暇つぶしの手段なんてVRギアぐらいしか用意されていないので、それも仕方のないことではあるが。


 そうして俺はあまり他の乗客と交流しないままモノリス号の中で最初の一週間を過ごしていた。


 ナカタ船長が死ぬまでは。


「何があった? 死因は何だ?」


 長身でラテン系の見た目の乗客が険しい顔で腕を組みをしてライアンに問いかけている。


「このような外傷を受けるような機械はこの船にはありません。私にもなぜ船長が亡くなったのか理由が全く分かりません」

「映画だとエイリアンの仕業なんだが」スキンヘッドで筋肉質の黒人の男が言った。

「いえ、船に何者かが侵入した形跡はありません」冗談の通じないライアンが即座に否定する。

「船長は何をしていたんだ?」


 俺がライアンに質問すると、彼は重く首を振った。


「彼の行動を逐一監視していたわけではないので分かりません。船長とは言っても平常時は離着陸時のアナウンスと私からの『異常なし』の定時報告を聞く以外仕事がなく、後は船長室で自由に過ごせるのです。機械類の故障でしたらロボットが対処しますし、彼は乗客と交流をしませんから、なぜ船長室の外に出ているのかすら私には理解に苦しみます」

「確かに、搭乗前と離陸のときに彼の声を聞いたぐらいだ」


 ラテン系の男の言葉に、皆も頷く。ライアンは故人を庇うように言った。


「二週間も少人数で同じ船に乗ると乗客の間で揉め事が起こることがあります。普段から顔を見せて乗客と親しくするより、姿を見せないで距離を保っていた方がその際の仲裁がしやすいのです。長年の経験でナカタ船長はそれを知っていました」


 スキンヘッドの男が言う。「しかし、たまには散歩ぐらいするだろう? 俺なんて部屋が窮屈になったときはしょっちゅう船の中を歩き回っていた」

「いえ、船長室にトレーニングマシンがあるので船長はそれで運動を行っていました」

「トレーニングマシン? 船長室の方が設備が良いじゃないか。待った。居住区域に来ずに済むってことはトイレとシャワールームもあるんじゃないか?」

「はい。この船の居住区域は増設されたものです。従って船長室の方が設備が良いのです」

「おい、チケットを買うときにはそんな説明なかったぞ」


 スキンヘッドの男の文句が始まりそうなのを察したラテン系の男が話題を切り替える。


「俺もその点については後でスペースドリーム社に文句を言いたいが、今はそんな場合じゃない。とにかく疑問が三つ出てきたわけだ。一、なぜ船長は死んだのか? 二、なぜ船長はこんな死に方をしているのか? 三、なぜ船長はここで死んでいるのか? いや、もう一つあるか……。四、この船は安全か?」

「おいおい、お前までエイリアンが船に侵入したって言いたいのか?」


 スキンヘッドの男が笑うが、ラテン系の男は深刻な表情を変えない。


「その可能性は低いが、馬鹿げていると一蹴してはいけない。目の前の死体は本物だ。俺たちはあらゆる可能性を考え、対処しないといけない。でないと最悪――」


「死ぬことになる」


 と、今まで黙ったままだった背の少し低い鷲鼻の男が言葉を被せた。この男は言葉を発さずにずっとそのことを考えていたのだろうと俺は直感的に理解した。その顔は冷静を装っているように見えたが、額に汗が滲み、目線が定まっていないことからも内心動揺しているのが察せられる。


 ラテン系の男は腕を組んだまま彼に向かって頷く。


「その通り。犠牲者が増えるなんてもんじゃない、全滅しかねない。まず何をしたらいい、ライアン?」

「私より、彼女に聞いた方が良いでしょう。搭乗データによると彼女の人工知能の方が新型です」


 と、ライアンは俺の隣のデイジーを見る。


「私にも情報が少なすぎて何をしたら私たちの生存確率が上がるのか分からないわ。仮にこれがエイリアンの仕業なら私たちは今すぐ船内のロボットにエイリアン退治の命令をして、安全になるまで居住区域に避難してドアをロックすれば良い。でももしエイリアンの仕業じゃなければそれが最悪の選択になることだってある」


「つまり、俺たちの誰かが犯人だった場合……」背の低い男が呟く。


「ええ。そしてこれまで得た情報だとその可能性が高いと私は考えるわ。あなたはどう、ライアン? 人工知能の型は古くても、あなたの方が船長をよく知っている」

「私も残念ながらあなたと同じ結論です、デイジー。ただ、不可解なことが多すぎて断定はできません」

「動機、反抗場所、それから凶器……」背の低い男が指を折って疑問点を挙げ始める。

「犯人がこの中に居るなら、何よりおかしいのは凶器だ」ラテン系の男が言う。

「船長の顔を潰すための鈍器は船内にもあるだろうが、刃物は安全のため船内に持ち込めないはずだ。搭乗時に手荷物は厳密にチェックされているし、船内に刃物の代用になりそうなものもない。……いや、機械類の修理用の工具があるか?」

「いえ、工具類が持ち出された記録はありません」とライアンが答える。


「ちょっと待て、話が見えない」


 スキンヘッドの男が話を遮り眉を顰める。


 俺はすぐに彼がなぜ話を理解できていないのかを悟った。彼は船長の死体を直視できていないのだ。ちらりと見ただけでは、それは潰れて血塗れになっているようにしか見えない。これ以上の騒ぎはごめんだと思い、俺は初めて口を開く。


「この話題はもうよそう。凶器だのなんだのって、この場で話すべきじゃない」

「そうだな」ラテン系の男が頷く。

「一旦居住区の共有スペースへ帰りたいと思うがどうだ? 人間サイドの意見としては、まずは落ち着いて頭を冷やしたい。死体のそばじゃまともな議論もしにくい」

「賛成だ」


 俺と背の低い男は同意するが、スキンヘッドの男が反応しない。彼の顔をよく見るとまるで体中の血を抜かれたように顔が青ざめている。俺は彼を気遣って言った。


「さっきの話を理解したのか?」

「そう……、そうだが」


 そう言ってスキンヘッドの男はゴクリと唾を飲み込むと、赤ん坊が泣き叫ぶような奇声を上げた。


「あそこだ!」


 廊下の突き当たり、T字路になっているところにそれはいた。


 骸骨のような見た目のロボット。俺は俺の食事を運んでいるところしか見たことはないが、他にも船内の清掃や船内外の機械が故障した場合の修理など雑務全般を行う。


 そのロボットが、銀色のガムテープのようなものを使って、船長から剥いだ顔の皮をマスクのように自分の顔に貼り付けていた。

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