第13話

 俺たちがそれぞれに悲鳴を上げると、ロボットは逃げ去った。すぐにロボットのあとを追おうとするラテン系の男を、ライアンとデイジーが止めた。


「下手に追うと犠牲者が増えます」

「ライアンの言う通りよ。あのロボットは比較的非力だけど、それでも平均的な成人男性の約二倍の力があるわ。それが船内に三体もいて、何体信用できるか分からない」

「……クソっ」


 ラテン系の男はそう口汚く叫んで壁を叩いた。さっきまでの落ち着いた様子の彼とはまるで別人だった。


「とりあえず、最初の計画通り共有スペースに戻りましょう」ライアンが言う。「それが最良の選択だと思います。ホンファ・チョウ――我々が居住区域に残してきた女性のことも心配です。ここに来る際に出入り口のドアのロックをしてきましたが、あのロボットなら解除できます」

「死体はどうする?」スキンヘッドの男が聞く。

「そんな場合じゃない!」ラテン系の男は彼に向かって矛先を見失っていた怒りをぶつけるように怒鳴った。


 俺たちは周囲に警戒しながら慎重に早歩きで居住区域の出入り口に戻った。居住区域の出入り口はドアを開けるとまたドアがある二重構造になっている。そのどちらのドアの電子ロックも解除されておらず、また鉄製のドアが無理矢理こじ開けられたような形跡もなかったので、俺たちの居ない間にホンファがあのロボットに襲われたということはないようだ。


 ロックを解除して皆が居住区域に入り終わるとライアンが操作盤で二つのドアの間にある緊急用シャッターを閉めた。何でも、事故時に居住区域を切り離すために使うシャッターで、宇宙船の外壁に匹敵する強度だそうだ。ライアンは念のために操作盤のコードを変更した。


 居住区域の出入り口を抜けるとすぐに共有スペースがある。俺たち人間はほっと一息をつき、まるでエベレストでも登って来たようなくたくたな顔をしてそれぞれソファに腰掛けた。デイジーは涼んだ顔で俺に付き合うように俺の隣に座り、ライアンはホンファを呼びに行く。


「ロボットの人工知能が壊れたってことだよな」


 スキンヘッドの男が無い髪の毛を掻き毟るようにつるつるの頭をがむしゃらに掻く。


「その可能性はあるのか?」


 ラテン系の男がデイジーに向かって質問する。デイジーは首を振った。


「可能性は非常に低いけど、ゼロではないわ。回路の故障、回路の自己修復機能の故障、そしてその故障が船長を殺すように作用してしまうという確率を考えると天文学的だけど。他にもロボットの奇行の原因は考えられる。例えば――」

「リプログラミング」小柄な男が言った。

「ええ。それが一番自然な答えよ。人工知能に与えられたどんな禁則事項も書き換えられたら無意味だわ」

「つまり、俺たちの誰かが犯人という説はまだ消えていないというわけか」スキンヘッドの男は頭を抱えた。

「だが、エイリアンの侵入よりは幾分かましだ」


 ラテン系の男は冗談交じりにそう言ってスキンヘッドの男に笑顔を見せると、俺たちの顔を見回して、まるでそれが喜ばしいことだと言わんばかりに言葉を付け加えた。


「人間は脆い」


 そのときライアンがホンファを連れて来た。彼女はまるで葬式から帰ってきたような顔をして無言でソファに座ると、誰の顔を見ず、ただ床の一点を見つめた。


 ラテン系の男の提案で、俺たちは互いに自己紹介をすることにした。


 まず、ラテン系の男、彼の名はエラディオ・リベラ。彼の元来の性格のせいか、いつの間にか仕切り役になってしまっている。6.5フィート(約1メートル98センチ)はあろうかという長身でバスケットボールの経験があるそうだ。いざという時の戦力としてカウントしても良い、ということだろうか。


 スキンヘッドの黒人の男はブランドン・フォックス。筋肉質の見た目はごついが、これまでの言動から察するに意外と気弱な性格だろう。空手をかじっているが帯は白色だ、と暗にロボットと戦闘になったとしても役に立たないことを仄めかした。


 背が低めで鷲鼻の白人の男はシェーン・アダムス。彼は自分の名前以外語らなかった。


 ホンファ・チョウ。中国系の女性で、見た目はおそらく二十代後半、ミディアムボブの髪に眼鏡をしている。彼女の声はまだ弱々しく震えていた。スポーツはやらず読書が趣味で、古典(俺のいた時代の作品も含むのだろう)もよく読むらしい。


 最後に俺が自分とデイジーの紹介をした。俺は面倒を避けるために自分のバックグラウンドの話はせず、スポーツが苦手だとだけ言った。


「少し気になっているんだが」と、エラディオが詰問するように俺に言う。「君はなぜアンドロイドを宇宙船に乗せているんだ?」


 乗客全員がじろりと俺の方を見た。皆がその質問の意図を理解したようだ。資源が少ないとはいえ、世話用アンドロイドは現地で支給されるのに、わざわざ安くない金を払って自分のアンドロイドを宇宙船に乗せるのは現代人の感覚では明らかにおかしい。こう推測されてもおかしくない――細工した人工知能を宇宙船に入れるためじゃないのか?


「それは……」


 俺は答えに窮した。まるでグロック17をこめかみに突き付けらたような気分だった。返答の仕方を間違えれば俺は犯人の第一候補にされてしまうだろう。それによく考えてみれば理由らしい理由なんてない。連れて来たかったからから連れて来ただけだ。


「私は女性の生体型アンドロイドよ。仮に人工知能に細工がされていたとしても成人男性が本気を出せばそれほど怖い相手ではないわ」


 女性の生体型、という言葉を強調してデイジーが言った。あまり好ましくない助け舟だが、その言葉で皆が納得したようだ。


「そうか……、すまない、その、あまり適切な質問ではなかったようだ」


 エラディオは誤魔化すように、ごほん、と軽く咳をした。


「とにかく俺たちは運命共同体なわけだ。これから一週間、火星に着くまでの生存確率を上げるために頑張ろう」


 と、エラディオは力強い声で言った。一週間、という言葉に、俺ははっとする。


「食料はどこにある?」


 水道はこの居住区域にも通っているが、食料庫や厨房らしき設備はこの居住区域内にはない。いつもあの骸骨ロボットが運んできてくれていたので、それらがどこにあるかなど気にしたこともなかった。


「船長室下の食料庫にあります」ライアンが言った。「デイジー、私と居住区域外に出て食料を運ぶことについてどう思いますか?」

「それが最良だと思うわ。一週間の絶食で人間が餓死する確率は低いけど、殺人事件、居住区域での軟禁状態、絶食、という複数の要因が合わさった状況でこの集団がどうなるか、危険要因が多すぎるわ。それに比べたら私たちが破壊されるリスクをとるほうがまだまし。だけど二人で一度にこの部屋の人数の一週間分の食料を運ぶのは無理だから、多少の飢えは許容するか、更にリスクをとって私たちが複数回往復するかの選択は人間の意思を尊重したい」

「……食料庫まではどういった道のりなんだ?」


 エラディオの質問にライアンは彼のオムニポーターを取り出して、モノリス号の内部が透けて見えるホログラフィックイメージを映し出した。


 赤くハイライトされた道のりは、シャッターからずっと直進して途中の階段を降り、また直進すればすぐに食料庫のドアという単純なものだった。危険なのは途中三度ある十字路ぐらいだろうが、これも慎重に確認しながら行けばすぐに襲われることはないだろう。エラディオは几帳面な性格らしく暫くホログラフィックイメージをいろいろな角度から見ていたが、やがて大きく頷いた。


「なるほど、案外危険は少ないかもな」


 ライアンは言う。「ちなみに私もデイジーと同じく生体型です。ですから、ずっと食料を摂取していないとやがて活動困難になります。運んできた食料を私たちにも分けるかどうかも含め、慎重に決断していただきたい」

「生体型……。あんたら、いつ俺らに襲いかかってくるか分からないだけじゃなくお荷物なのかよ」ブランドンが毒づく。

「デイジーが生体型だというのはその……分かるが、なぜあんたも?」


 エラディオの質問に、ライアンは人間だったら平常心で言えないことを、表情をぴくりとも変えずに答える。


「宇宙服の最終動作確認、事故の際の最終安全確認、緊急の際の臓器移植などの用途で私は使われます」

「つまり生け贄ってわけか」

「ええ、それが私の存在意義です」

「全ては人間のために。泣かせるじゃないか。……だが、今の状況では人工知能はもはや信用できない。はっきり言おう。こうなった以上、俺は破壊できるアンドロイドは破壊しておいた方が良いと思う」


 デイジーが焦って大声を出す。


「それはだめよ、エラディオ。私の人工知能は細工されても壊れてもいないわ。ときに感情的に動くあなたたちより、私が居てアドバイスをした方が明らかに生存確率が上がる。船の故障も直せる。それに何かあったとき、私を犠牲にすることであなたたちは生き延びることができるかもしれない。同じことはライアンにも言えるわ」


「と、言うように細工されているのかもしれない」

 シェーンがぼそりと呟く。

「僕もエラディオと同じでお前らを信用していない。人工知能同士、通信できるはずだろ? それで秘密の会話をしながら機を見て俺たちを殺していく、ということもできる」


 ライアンが答える。「船内では無線通信が規制されています。船の電波受信機の感度を高く保つためです。通信を行いたい場合、船長か船長代理の許可が必要です」

「そんなの、リプログラミングされていたら関係ない」


「待った、待った、それだよ」

 俺はあることを閃いた。

「この二人が信用できることが前提だけど、規制を破ってあのロボットと通信を試みれば居場所を特定できるかもしれない。それに船のマザーコンピュータとアクセスできれば新たな情報を得られるかもしれない。少なくとも試す価値はある」


 興奮する俺の横で、デイジーは冷たく俺の案を否定する。


「確かに、あのロボットの暴走の原因が人工知能の部分的な故障だった場合、あるいはリプログラミングだった場合でもその内容によっては、その方法は有効かもしれないわ。だけど私たちはルールを破れないようになっている。権限者の許可が絶対に必要よ。そのためにはあなたたち人間の誰かが船長室に行って火星の管制官と通信を行い、船長代理の権限を得る必要がある。通信だけで往復約四分、向こうの判断にどれくらいの時間がかかるか分からない。普段船長室に居たはずの船長がなぜか船長室の外で遺体で発見されたことも考えると、リスクの方が大き過ぎるわ」


「リスク、リスク、リスク……。リスクしかないじゃないか」

 ブランドンが大きく溜息を吐いた。

「俺たちは本当にここで一週間乗り切れるのかよ。食料の問題が片付いても、犯人がこの中に居るかもしれないんだぜ? それにあのロボットが船内を破壊して回ったら……? エンジン、空調、水のろ過装置……。壊されたらアウトなものは沢山ある」


「もしこの事件に犯人がいるなら、ロボットにそんな自分の命も危うくするような命令はしないはずだわ。犯人に自殺願望がなければね。そうでなく人工知能の回路の故障が原因なら、手当たり次第に壁を凹ませて回ることはあっても、重要な設備のみを狙って破壊するような論理的な行動はしないはず。こちらも絶対ないとは言いきれないけど。食料を得たら、生命維持に必要な水、酸素は居住区域内にあるから、最悪の場合、居住区域そのものをモノリスから切り離して火星近辺まで行って、向こうの宇宙船に回収してもらうことも可能だわ」


「オーケー、よく分かった」

 エラディオが通路を指差す。

「あの先のシャワールームの隣に水と酸素のタンクがあるのは俺も見たから知っている。食料を得たらあとはシャッターを閉じたまま一週間我慢すればいいのは間違いないだろう。つまり、俺たちの当面の問題は二点に絞られたわけだ。食料と、アンドロイドの処遇」


 エラディオはこれ見よがしに指を折る。


「どうだろう、皆? 十分ほど頭を冷やして考えないか? 犯人がこの中にいるかもしれないので互いに監視しながらになるが」

「賛成だな。これから皆の協力が必要だってときに、不安を煽るようなことを言う奴を落ち着かせるためにも」

 シェーンがブランドンの方をちらりと見、ブランドンが無言で睨み返す。


「異論がないなら休憩しよう。それから、ロビンとデイジー」


 エラディオの言葉で、皆の注目が一斉に俺たちに集まる。


「ちょっと俺の部屋まで一緒に来てくれないか? 個人的に話したいことがある。俺を信用してくれていればだけど」

「おい、それは」


 危険だろう、とブランドンは表情で無言のメッセージを送る。エラディオは笑った。


「大丈夫だ。仮に殺人が起これば犯人が絞りやすくなる」

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