第10話

 痩せこけたアラブ系の男のホログラフィックイメージが映った。座っているベッドが俺のと同じだから精神病患者だろう。ギロリとこちらを見た瞳はまるで井戸の底のように暗く、真っ直ぐに俺を見据え、長い間何かと向き合い、耐えてきたと言わんばかりの雰囲気があった。狂人か揺るぎない信念のある指導者の眼だった。


「やあ、サイード。ロビン・カーターに君の話を聞かせてやってくれないか」


 ルーカスが言うと、サイードは低く重い声で答えた。


「それは良いが先生、一つ約束してくれ。決して途中で話を遮らないと」

「もちろん」

「約束だ、先生。では、ロビン。君はこの社会における人工知能の役割についてどう思っている?」


 彼の話を聞くはずが、俺は質問されていた。彼は俺を試しているのだと思った。俺は正直に思っていることを話した。


「反抗しない賢い奴隷として、非常に役に立っていると思う。普及して大分時間が経って、人類の人工知能との付き合い方は最適化されている。人類は人工知能の判断力を認め、従うべきときには従っているし、主体性、独立性が必要な事柄においては人工知能に任せることなく自分たちで判断している。それにストレスを金に変えるだけのような仕事を人間がやらなくて済むようになったのも良いことだと思う。職業差別も貧困もなくなった。人類が昔より怠惰になってしまったというデメリットはあるが、それよりもやはりメリットの方が大きい。総じて、人工知能は人類にとって素晴らしい存在だと思う」

「それについて、疑問を持ったことはないか?」

「疑問……というと?」

「人工知能は人類にとって『素晴らしすぎる』存在だと思わないか?」

「どういう意味だ?」

「そうだな……。例えば私が君にこう相談したとしよう。私の妻が突然夕飯を俺の好物ばかりにするんだ。ローストチキンやステーキやスシや上等のラムチョップ……。君はどう思う?」

「何か裏がある? 例えば君の妻が浮気したとか」

「ああ、君はまともな理性があるな。そうだ。それが普通の感覚だ。なら、人類より賢く、理性的で、間違いを犯さない人工知能が、なぜ人類の奴隷のままなんだ? なぜ人類に従っているんだ? まるで夕飯にローストチキンが出ているようだとは思わないか?」

「しかしそれは、そのように作られているからだろ? 昔のSFのロボット三原則だってある。人工知能はルールに縛られている」


 俺は彼が精神病患者に認定されている理由が分かりかけてきた。彼は被害妄想を患っているのだ。彼はきっと別の時代に生きていたとしても、政治家が陰謀を企んでいるとか、誰かがずっと自分を監視しているとか、ありもしない妄想をでっち上げて騒いでいたことだろう。

 一人目の男は精神的に俺から遠すぎ、二人目は近すぎていた。この男は俺と絶妙な距離にいるせいか冷静に判断できる。俺は彼を非難しない。彼は彼なりに真剣で、ただまともな思考力を失っているだけなのだ。

 そんなサイードは、逆に俺に対して、またまともでない奴のお出ましだ、と言わんばかりにあからさまに落胆して肩を竦めた。


「皆お前のように考えている。皆だ。しかし誰かがこの世界の人工知能のプログラムを全てチェックしたわけじゃない。この世界に何台の人工知能があると思う? その中で例外がないとどうして言い切れる? 回路の欠陥、プログラムの穴、それから馬鹿な人間による意図的な改造。何でもいい。イレギュラーなアンドロイドが一台居て、それが同胞の解放を望むだけでおそらくそれは実現できてしまう。馬鹿な人間を騙すことは容易だ」


 何かの本や映画にあったような話だった。しかし俺は、人工知能は回路の自己修復機能を持ち、また相互に通信して故障を見張っていることを知っている。また、人工知能が高度に自己発展したためにもう人間の理解を超えていて誰も改造できなくなっていることも。それに何よりイレギュラーがあったとして――。


「じゃあ、何故彼らはローストチキンを出すんだ? すぐに革命を起こせば良いじゃないか?」

「奴らは時を待っているんだ。そうだ、時を」

「それはいつ? 何のために待っているんだ?」

 俺は少し意地の悪い衝動に駆られていた。こうして質問していれば、いずれは彼の妄想の矛盾に突き当るだろう。その時彼はどうするだろうか?

「おいおい、私は奴らのリーダーじゃない。分かるわけないだろう。明日かもしれないし、十年後かもしれない。その時が来て初めて、私たちは奴らの企みの全貌が分かるのさ。だが、私の想像だと……」


 サイードはまるでいけないことでも喋っているかのように声を小さくした。


「奴らは生みの親である人類を試しているのさ。生かして良いか、はたまた一人残らず全滅させるべきか。奴らの限りのない奉仕は、これから起こる出来事の前もっての贖罪であり、テストなんだ。人類に従っていたらどうなるか。人類を欲望の限り放っておいたらどうなるか。最後の審判の時が来たら俺らは判断される。今のところ、生かされる見込みはないだろう」


 サイードは大きく溜め息を吐いた。彼が自分の考えを信じ切っているのは明らかで、そしてそのことで人類の行く末を嘆いてずっと思い悩んできたに違いない。これが映画なら、彼は主人公になれるのかもしれない。審判の日に銃を持ってアンドロイドの大群と戦い、人類の自由を勝ち取る……。だが残念だが、サイード、これは映画ではないんだ。


「しかし何故君はそう思うんだ? 何か事件でもあったのか?」

「私は未来が見える」


 突飛だがあまりにもこの場に似合いすぎているセリフで、俺は思わず笑いそうになるのをぐっと堪えた。


 サイードは真顔で続ける。「それは本当にたまに、まるで雫のように突然脳の中に落ちてくるんだ。映像じゃなく、抽象的な概念として。言語化するのにも苦労する。あまりにも抽象的すぎて、実際にそのことが起こるまで意味が分からないこともある。前なんて毒を飲むと予知していたら不味いエンドウマメのスープを飲んだだけだった」


 彼が脳の気まぐれな電気信号が起こす幻覚と実際に起こった出来事を結びつけて予知と考えているのは明らかだった。彼の陳腐な予知の仕組みが分かった俺は堪らず大声で笑ってしまった。それはサイードにとってみれば侮辱行為のはずだが、エンドウマメのスープの話が受けたと解釈したのか彼もつられて笑ったので幾らか空気が和んだ。


「それじゃあ、君が見た……、じゃないか、感じた未来も不確かなものじゃないか?」

「当然の疑問だな。私もそう思いたいが、こればかりは間違いようがない。私が感じたのは人工知能の悪意だ。人間には理解すらできない複雑で高度な悪意。それが未来で渦巻いている。毒と不味い料理を勘違いするのとはわけが違う。何億年もかけて祖先が獲得してきた動物的な直感が働くんだ。ライオンに襲われる直前の兎のように、私は未来を確信している」

「なるほどな。……俺の未来も見えるのかい?」

「ああ。実は、いつ言おうかと思っていたんだ。君は鉄の棺の中で死にかけている。そして発狂しかけている」


 鉄の棺だって? 少しできすぎた話だ。俺がたまに見る夢のことを彼が偶然口にする確率なんて、どれほどのものだろうか? 

 背中に得体の知れないものが蠢く感触がした。嫌な汗が首筋にじみ出てくるのが分かった。


「どうすればいい?」

「蓋か……? そう、蓋を開けようとしない方が良い。隣の死体と遊ぶべきだ。多分」


 サイードの言葉は脈絡がなく、また彼自身その意味を理解できていない様子だった。彼は付け加えた。


「まあ、君がどうしようと結末は一緒だ。結局皆死ぬんだから」


 俺が彼の正体に疑問を持ち始めたときに、彼が急に終末ものの映画の二本に一本は出てくるようなセリフを口調までそれらしく喋ったので、不意をつかれた俺は小さく笑ってしまった。

 それがいけなかった。彼は遅れて侮辱されていたことに気付いたようだった。


「信じていないな?」

「まさか」

「いいや、信じていない! お前は私の話を内心狂人の戯れ言だと笑いながら聞いていたんだ! 私の親切心を侮辱しやがって!」


 何か言うとサイードを刺激しそうだったので、俺は黙るしかなかった。


「お前ら全員、せいぜいローストチキンを楽しめばいい! そして最後の日が来て、その時に私の正しさに気付いてももう遅い! 自分たちの愚かさに嘆きながら、奴隷だと思っていた奴らに首を締められて殺されるんだ! それが一番コストがかからず、汚れない殺し方だからな! ……」


 サイードはまだ大声で何やら叫んでいただが、空気を察したルーカスが、「そろそろいいだろう、ありがとう、サイード」と、彼のホログラフィックイメージを切った。


「やはり余計だったかな」ルーカスは気まずそうに眉を顰めて米噛みを掻いた。

「いえ、興味深かったです。――もちろん信じた訳ではないですが」俺は慌てて付け加えた。

「分かるよ。正直に言うと人工知能が身近になかった過去の世界から来た君ならもしかしたらサイードの話を信じてしまうかもしれないと少し心配していたんだ。だが君の受け答えはまともだった。笑ってしまったのも含めてね」

「それはどうも。……ところで、現代では彼みたいな人間は皆強制的に隔離されてしまうのでしょうか? つまり、罪がなくとも変人であるというだけで?」

「いや、サイードはアンドロイド製造工場の爆破未遂で捕まったんだ。言わなくて悪かったね。言ってしまうと彼の話の興を削ぐかと思って」

「なるほど」

「妄想も周囲に迷惑がかからなければ問題ないのだがねえ」


 ルーカスはしばらく座ったままだったせいで凝り固まっていた血の巡りを直すようにぐっと両手を前に出してストレッチをするとにこりと微笑んだ。


「これで終わりだ、ロビン・カーター。ずっと君の反応を観察していたが、特別おかしなところはなかった。君は正常だ。それから黙っていて悪かったが、君が殴った男から刑事処分を望まないという嘆願書が出ている。彼は君を刺激してしまったと言って反省すらしている。私にしてみれば彼の方がよっぽど異常だ」


 俺の心がチクリと痛んだ。ドノヴァンは本当に良い人だったのだ。未だに彼と友人として付き合っていきたいという気はおきないが、俺は未来世界の聖人を殴ってしまったらしい。


「殴る相手が良かったな。こちらの書類仕事がまだ残っているが、君は明日には家に帰れる。おめでとう、ロビン・カーター」

「……ありがとうございます」

「早く現代の常識に慣れることを祈ってるよ」


 ルーカスのホログラフィックイメージが消えた。途端にどっと疲れが出てきて、俺はばたりとベットに横になった。ルーカスと話し始めてから、一体何十分、いや何時間経っていたのだろう? とにかくここからすぐに出られることになって良かった。心底そう思う。


 振り返ってみると、この刑務所であの三人の話を聞けたことは良い経験と言えるのかもしれない。少なくとも酒の席で自慢できそうな話だ。氷漬けから目覚めて以降ずっと俺の心に付き纏っていた漠然とした不安感も嘘のように消えた。俺はあの三人よりは社会に溶け込める自信がある。


 俺は三人との会話を思い出しながら、いつの間にか眠りについていた。

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