第9話

 ルーカスがポケットから再びオムニポーターを取り出して操作すると、目の前のホログラムにくせっ毛の気の弱そうな小太りの男が映し出された。彼の座っているベッドは俺のと違い小さい鉄パイプ製の粗末なものだった。


「エイブラハム・ミラー。元気かね」

 ルーカスが言うとエイブラハムは無言でこくりと頷いた。

「彼、ロビン・カーターに君が何をし、その結果どうなったか、そのあらましを話してくれ、エイブ」


「どうせ話したって意味ないよ、先生」

 エイブは見た目通りの弱々しい声で億劫そうに溜息を吐いた。

「誰一人僕の気持ちを理解してくれないし、僕と同じようなこともしない。先生はきっと馬鹿の見本として僕を選んだんだろうけど、僕みたいな馬鹿なんてこの世に僕しか居ないよ」


「それが、そうじゃない」

 ルーカスが首を振る。

「ロビンは自分の世話用アンドロイドを守るために人を殴ったんだ。君の気持ちもきっと理解してくれるはずさ」


「本当かい?」


 エイブの顔が急に明るくなった。俺はそのことに激しい嫌悪感を覚えた。行動の傾向から言えば、俺と彼は似ているのかもしれない。だが、俺は人を殺してはいない。彼に同胞と思われたくはない。誤解してほしくないが、と言いかけた俺の言葉を遮って、エイブは続けた。


「君も、アンドロイドを、その……」

 

 一呼吸ほどの時間の躊躇いがあった。


「愛したのかい?」


 ふうっと俺の鼻から変な息が漏れた。俺は否定も肯定もできなかった。改めて考えてみると、俺がやったのは愛ゆえの行為と考えてもおかしくない。いや、愛と言ってもいろいろある。異性に向ける愛、家族に向ける愛、ペットに向ける愛……。俺のは……、どれだ?


 エイブは黙ったままの俺を見て大袈裟に頷いた。


「分かるよ。最初は自分の気持ちを否定したくなる。だけど、全ての常識や倫理観を取り払って、自分の心に真摯に聞いてみると、本当の答えが返ってくるんだ。自分は彼女を確かに愛してるって」


 エイブは悲しげに俺の顔を見つめた。彼の目には同情どころか哀れみすらあるようだった。正直に生きられない君って可哀想だね。外の世界は生き辛くないかい?


「僕の話をするよ。アリスは僕の初めての生体型世話用アンドロイドだった。十三歳(ティーン)になって、僕は両親に生体型を持つことを許可されたんだ。僕は一ヶ月かけて悩んで顔と眼の色と髪の色と肌の色と声と体型を選んだ。僕の理想の女性だ。彼女が初めて家に来たときのことは今でもよく覚えている。到着のブザーがオムニポーターから鳴って、僕は走って玄関に行った。彼女は僕が選んだ世界で一番綺麗な淡い緑色の瞳で僕を見つめて『初めまして、あなたがご主人様ですね』と言った。僕は『エイブと呼んでくれ』と言った、少し緊張していて、額に汗をかいていた。その汗をこうして拭ったのを今でも覚えている」


 エイブは服の袖で額を拭う真似をした。


「わかるかい、僕はアンドロイドと対面して緊張していたんだ。そんなことそれまでの人生で一度もなかった。実物の彼女は美しすぎたんだ。人の好みは千差万別とは言うけれど、君も彼女を見たらきっと美しいと思うだろう。彼女はとにかく美しかった」


「だから君は、一目で恋に落ちた?」


 彼だけに喋らせるのは何となく悪い気がして、俺は相槌に近い感覚で発言したが、言ってから彼の昔の心の傷に塩を塗るような真似をしてしまったのではないかと後悔した。エイブは、はっと目を見開いて暫くの間目を泳がせていたが、やがて対話中であることを思い出して再び喋り始めた。


「君に言われるまで気付かなかった。僕は確かに彼女に初めて出会ったあの瞬間から恋に落ちていたのかもしれない。他人の存在というのは、自分の凝り固まった先入観を覆すために本当に大事なんだな。自分は案外自分のことを知らないんだ。そうか、これが心理学だ、違うかい、先生?」


 ルーカスは頷いたが、顔は完全には同意しかねる、と語っていた。とにかく彼は口を挟まないことでエイブの話を先に進ませたいのだろう。


「心理学、心理学。僕も心理学を勉強すれば良かった。そうすればもっとメンタルのコントロールができていたかもしれない。僕は学校の勉強が苦手であまりしなかった。アリスが来てからはもっとだ。家に帰ってやったことと言えば、彼女の服選びと、いろんな髪型のセットの方法について調べてアリスに実践してみたことと、僕のことについて、好きな料理やタレントや作家やキャラクターや映画や音楽やゲームやチョコレートの銘柄や、僕の全てをアリスに教えて、それから、……そう、もちろんセックスの好みも」


 エイブは少し照れながら下品に笑みを浮かべた。


「そうだ、大半の時間はセックスだ。君もそうだろ? 思春期真っ盛りの好奇心と性欲のどろどろ入り混じった僕の激しい欲求に彼女は全て応えてくれた。彼女は絶妙なタイミングでいつもこう言う、『愛してる、愛してる、愛してる』……」


 俺は彼の聞きたくない話を聞きながら、彼の経験したものは完璧な人工知能が主人の潜在意識の中の要求、欲望にすら完璧に答えられるが故に起こる疑似恋愛だったのだと思った。

 それが必要だと思えば、アンドロイドは主人に恋をしたように振る舞うし、その心地よさはきっと砂糖を溶かした底なし沼のように甘く甘く人を戻って来られないような深みへ連れて行ってしまうのだろう。

 もしかすると、人がアンドロイドに見せる残酷さは、本能的な防衛反応の過剰な発露なのかもしれない。アンドロイドと一生を過ごす人間が大半になってしまえば、短期間で人口は劇的に減少し、やがて人類は滅びてしまう。


 エイブは涙目になっていた。彼は一番辛いことを思い出し始めていた。


「やっぱり、あいつが憎い。スティーブ、あいつだ。両親が不在の日、俺は家にあいつを招いてアリスを自慢した。あいつはまだ生体型を持つことを親に許可されていなかった。ストリップショーやら何やら、あいつを喜ばせてやったのに。『生体型は本当に死ぬのか』なんて言ってキッチンナイフを取り出して、僕が止めても、『どうせ新しいのがすぐやってくる、俺は試してみたいんだ』ってアリスの胸をひと突きで……、血が噴き出して、アリスは悲鳴を上げた、悲鳴を上げたんだよ。そして僕を見た。彼女の緑色の瞳は泳ぐように俺を見つめて、助けてって言ってた」


 エイブは鼻をズズとすすった。「君、君も君のアンドロイドを殺されたのかい?」

「いや、ポキポキゲームで指を折られそうになった。それで俺は人を殴った」

「人を殴った。それだけか。それなら罪人、精神病患者どちらとしてここに入るにしても長く待たずに外に出られる。また君のアンドロイドと会えるな。いいかい、君。次は君のアンドロイドを危険から遠ざけるんだ。危険とはつまり、人間さ。失ってからでは遅い。遅過ぎるんだ。なあおい、ちゃんと聞いているのか! 守るんだぞ、お前が! 他の誰でもなくお前自身が! 聞いているのか!」


 エイブは大声で叫びだした。デイヴィッドの呟くような声にディスプレイの音量を合わせていたせいで、それはまさに殺人的だった。とにかく音量を下げようとディスプレイのボタンに触ったところでホログラフィックイメージがぷつりと消え、黙って俺たちのやりとりを観察していたルーカスが溜め息混じりに口を開いた。


「ありがとう、エイブ。……。全く狂ってる。アンドロイドが死んでもすぐに同じのが用意されるんだ。なのにこの世で一人しかいない友人の首をナイフで掻き切って殺しやがった。まさか、ロビン、君はエイブのことを理解できるなんて言わないよな?」

「いえ、全く理解できません」


 嘘だった。友人を殺したことは確かに理解できないが、アンドロイド――いや、彼にとっては恋人同然の存在を、目の前で殺された怒りと憎しみには多少なりとも共感できる。仮に俺の眼の前で彼が友人を殺そうとしているなら、俺は彼を全力で止めるだろう。だが、もし一発殴るだけなら――、止めないだろうと思う。それを口にするほど愚かではないけれど。

 俺がきっぱり言い切ったことで、ルーカスは安堵したようだった。


「ああ良かった。ああいうのを見ると君も自分の行為を反省するだろう。反面教師ってやつだ。では、最後の一人に移ろう。もう充分かもしれないが、待たせておいてキャンセルしては可哀想だ。最後、サイード・ラヒム」

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