第8話

 俺は留置所兼刑務所の独房の中に居る。独房と言っても俺の家のリビングルームくらいの広さはある部屋で、柔らかい大きなベッドに、ニュースは映らなかったがいくつかシリーズもののドラマ(契約料が安そうなひと世代前の旧作ばかりのようだが、更に昔から来た俺には新作同然だ)が見られるホログラフィックディスプレイもある。数日過ごすだけなら十分快適な空間だろう。


 ドノヴァンを殴ったあと、店のアンドロイドたち、それにデイジーまでもが一斉に跳びかかってきて俺を拘束した。ドノヴァンは俺に殴られた頬を抑えたまま終始一言も喋らなかったが、その目は俺を野良犬でも見るように蔑んでいた。

 やがて窓のない装甲車のようなパトカーが来て、俺はここに移送された。俺を現行犯逮捕したアンドロイドの警官によると、一時間ほどして人間の精神科医が来るとのことだ。彼が言うには、貧困という概念がない未来社会では犯罪率は極端に低く、犯罪者の多くが精神異常者なので、逮捕者はまず何よりも先に精神科医が鑑定を行うことになっているのだそうだ。

 俺が精神異常者、精神異常でない犯罪者、いずれとなった場合でも移送はされず、それからさき外に出られるようになるまでをこの独房で過ごすということも説明された。この社会では異常者への対処も合理化されているらしい。


 精神科医を待つまでのあいだどうにも気分が落ち着かず、このままでは診断にも影響しかねないと、俺はベッドに横になって目を瞑り、心を平静に保とうとした。が、どうにも興奮で頭が冴えて、思考が頭の中を水族館の魚のようにぐるぐると回る。


 何もドノヴァンを殴ることはなかっただろう。他にも彼を止める方法はあったはずだ。アンドロイドとはいえ生体型の指を折ることそのものが不快だと言えば理解を示してくれたかもしれない。彼女も料理をオーダーしてしまっていたから、指を折ったら料理が食べられなくなるということも言えた。それに論理的には彼の言っていることは正しい。デイジーの指を折っても新品のデイジーに交換すればいい。古いデイジーからデータを移せば、外見、人格、記憶、全てそのままのデイジーになる。


 だが、彼を殴ったこと自体に後悔や罪の意識はなかった。どちらかというとトルコ料理を食べられなかったことを後悔していた。俺はやはりどこかおかしいのかもしれない。


 ぼんやりと考えているうちにいつの間にか一時間が経っていたようで、ホログラフィックディスプレイが光って、椅子に座った白衣の精神科医が映し出された。おそらく三十代後半の、いかつい禿頭の黒人だった。


「ルーカス・クックだ。ロビン・カーター、君を担当する」


 彼は自分を信用して欲しいと言わんばかりに軽く笑みを作って俺の目を真っ直ぐ見て言った。


「資料によると、君は特殊な環境で育ったようだね。……我々にとって特殊という意味だが。私の興味がてら君の生い立ちやら何やら聞いても良いのだが、まず君に説明しておかなければならない。なぜ人間が精神鑑定をしていると思うかい?」


 確かに、よくよく考えると、単純な鑑定能力なら、人間より人工知能の方が上のはずだ。


「責任問題ですか?」

「一理あるが、それが主な理由じゃない」

「じゃあ、鑑定される側の感情的な問題とか?」

「正解に近いが、君の思っている意味ではなさそうだ。精神鑑定は半分自己申告制なんだ。狂っているということにした方が、有罪になった場合よりもいろいろ自由度があってね」


 なるほど、対人の方がそういった交渉事はやりやすいわけだ。だが――。


「相手は犯罪者でしょう。なぜわざわざ犯罪者に甘い措置をしているんですか?」

「自分を棚に上げて質問しているね」

 

 ルーカスは皮肉を込めて微笑した。


「犯罪には刑期があるが、精神病なら治るまで閉じ込められる。治るまで、とは言ったものの、ここに来るような精神病患者は半分性格異常と同義で、ほぼ治らないがね。そして我々にしてみると危険人物を世に出す恐怖に怯えるより多少優遇してでもここに閉じ込めていた方が良いわけさ」

「つまり、互いにメリットがあると」

「そういうこと。だから今すぐに君が自分が精神病だと主張するのなら、診断は終わりだ。私は時給換算でかなり割の良い仕事をしたことになる」

「いえ……自分が精神病だとは思いません」

「ふむ。まあ、突然話を持ちかけられてもなかなかイエスとは言い辛いだろうな」


 ルーカスは右目を瞑って米噛みを右の人差し指で掻いた。どうもそれが彼の癖らしかった。


「それはこちらも分かっているから、いろいろ予め用意している。まず手始めにこれから三人の精神病患者、あるいは犯罪者と話してもらう。それでこの精神鑑定制度のメリットや、自分の精神状態を冷静に判断してくれ。まず、一人目」


 ルーカスは白衣のポケットからオムニポーターを取り出して指で何かを選択した。ルーカスのバーチャルイメージが左に移動して、右隣に青白い顔をした長い金髪に痩せ型の白人男性が映し出された。俺が今座っているベッドと同型のベッドに座っている。

 ルーカスは言った。「デイヴィッド・カーター。偶然にも君と同じ名字だな。調子はどうだい、デイヴィッド?」


 デイヴィッドは億劫そうに髪を掻き上げて、気だるそうにふうっと息を吐き出して言った。


「悪くないよ、先生。悪くない」

「それは良い、デイヴィッド。実に良い。デイヴィッドは『志願者』だ。デイヴィッド、君の話をロビン・カーターにしてくれないか?」

「ああ」


 デイヴィッドの声はまるで喉を三日間天日干ししたみたいに掠れていて、しかも腹に力が入っておらず、少し聞き取り辛かった。俺はまともに聞く気はなかったので、どうでもよかったのだが――。


「俺は人喰いだ」


 人喰い? 今彼は確かにそう言ったか? 俺は思わずディスプレイの音量を上げた。


「つまり俺は人を食べるのが好きなんだ」

 しわがれ声で自嘲するようにデイヴィッドは言った。

「肉は特別美味いわけじゃない。上等のビーフのほうが俺は好きだ。だが、どうしても時々人を食いたくなってしまう。だから精神病患者としてここに居る。望めばいつでも生体型アンドロイドをくれるからな」


「良心に従った賢明で勇敢な決断だった」

 と、ルーカスが割って入った。

「彼は十才の時、同級生の女の子の腕を噛んでここに入ったんだ。未成年の彼にとって、噛むぐらいの暴行なんて大した罪じゃない。だが、彼はその頃自分の中の内なる衝動に悩んでいて、考えた挙句自らここで暮らしていくことを決意した。外に出れば、いつか本当に人を食ってしまうかもしれない。そうして人殺しとしてここに戻ってくるより、そもそも外に出ないほうがましだとね」


「あのままだと、俺の最初の犠牲者になりそうだったのは俺の妹だったんだ。白くて柔らかそうな尻の肉……。胸も膨らんできたらまず耐えられない。同級生を噛んだ時だって、ナイフがあったらまず切り取っていたかもしれない。あの腕の肉付きは、まるで鳥のもも肉みたいに美味そうだった」


 デイヴィッドは昔のことを思い出すようにケタケタと笑った。


「生体型アンドロイドだと何故か味が落ちるような気がするが、今のところそれで何とか衝動を抑えている。生の女の裸を抱くんじゃなくVRギアで満足するようなもんだ。でもまあ、悪くない。悪くないよ。だからあんたも、もし俺のような衝動があるのなら早めに精神異常だと認めちまいな。女の胸の脂肪、尻、ふくらはぎの肉……、見てて美味しそうだと思わないか? 頬肉や、心臓や、レバー。生で食べても、焼いてみてもいい。特に尻肉はさっと火を通すと油が出て丁度いい具合になる。さっきはあまり美味くないと言ったが、想像するのと実際に食べるのは大ちが」


 デイヴィッドのホログラフィックイメージはそこで消えた。不快そうに顔を歪ませたルーカスはまた米噛みに人差し指を当てて大きく溜息を吐いた。


「デイヴは協力的なのは良いんだが、少々度が過ぎていてね。もし、君が彼の話を聞いて、少しでも人を食べてみたいと思ったのなら、頼むから迷わず申し出てくれ」

「いや、興味本位で聞いていましたが、気分が悪くなりました。一つ聞きたいのですが、生体型アンドロイドを食べるだけなら、それは罪にならないですよね?」

「彼が今していることは、外でも可能だと言うんだな。確かに、理論上は可能だ。生体型アンドロイドを壊すってのは誰でもやってることだし、肉を食べるのも、滅多にないが犯罪でも奇行でもない」

「奇行じゃない? 生体型ってことは人間の肉と同じなのにですか?」

「そりゃ、同じは同じだ。だがアンドロイドだからな。もしアンドロイドを食べたいってだけなら、それは精神異常じゃない。変わった嗜好ってだけだよ」


 俺はさっと血の気が引いた。人と同じ形のアンドロイドの人と同じ肉を食うのが単なる変わった嗜好? それは俺の常識では明らかに狂人だ。いや……しかし、猿を食う文化は聞いたことがあるし、現代人にとってみてはそれと大差ないのかもしれない。それに人や社会に迷惑がかからないのだから隔離する理由もない。いや……いやいやいや。俺はもう訳が分からなくなっていた。本当に狂ってしまいそうだ。


「君はどうもアンドロイドに異常に執着しているようだね。君がここにいる理由も、君の世話用アンドロイドの指が折られそうになったからだったよな。それについて、自分で異常性の自覚はあるかい?」

「いや……、その、それですが」


 話が不意に根幹に近付いたようだった。ここで相手を納得させられるか、あるいは自分が納得できるかが、この世界で生きていく上で最も重要なことになるだろうと俺は思った。


「昔の時代の感覚では、もっと物を大切にしていました。そう、それからペットのような生き物も。頭脳が人工知能でないやつです。まあ、生き物と人工物を同列に語るのは違うのかもしれませんが、何というかこう……、意思疎通ができるという意味ではそう違わないでしょう? 物であれペットであれ長く一緒に過ごせば愛着もわきますし、初見であったとしてもぞんざいに扱いはしなかった。それが美徳とされる文化があったんです。ですから俺は現代でもアンドロイドのことを大切にしたい……そう思います」


 俺は目で、手で、口調で、精一杯自分の思いを伝えた。ルーカスの心に伝わるように。しかし、ルーカスは合点がいったというように背もたれにもたれかかって天井を見上げ、「ああ、つまり、一種の誤認識なのかねえ」と自分に言い聞かせるように呟いた。


「人と同じように話して動いているから、アンドロイドに命があると勘違いしているんだ。生き物と違ってアンドロイドは人が生み出したものだよ。ケーキや車と変わらない。それについてちゃんと認識していないと、私は君を精神異常と診断しなければならない」


 ルーカスはまるでティーバッグを取り忘れて泥水色になった紅茶を飲んだみたいに苦い顔をして、そのあとで思い直したように急に努めて明るい表情を作った。どうも俺は精神的なゆさぶりをかけられているらしい。


「まあ、単に君はこの時代に慣れていないだけかもしれない。次のケースに移ろう。次のケースは君に近い――と言うと君に失礼かもしれないが。彼は自分の世話用アンドロイドを壊されて、怒って相手を殺してしまった犯罪者だ。彼は自分は精神異常ではないと主張したが、どうせ人を殺したらここから出ることはできないのだから、精神異常を主張して良い待遇を引き出すべきだった。つまり彼は犯罪者で、精神異常で、そして馬鹿だ。おっと、今の話は彼にしないでくれよ」

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