第3章 トルコ料理と刑務所
第7話
トルコ料理の店”ルズガル”は三階建の大きな建物で、クリーム色の石材を使った外壁とオスマン調の青緑のドームがいかにもステレオタイプなトルコを演出していた。
店の前に民族衣装の白いカフタンを着たアンドロイドの店員(額のルビーのおかげで識別しやすい)がいて、茶色のガウンコートを着た鷲鼻の小太りの男と揉めていた。ガウンコートの男の隣に無表情で立っているホットパンツの女は、前髪のせいで額はよく見えないが、容姿がマネキンのように整っているのでおそらく彼の世話用アンドロイドだろう。近づいていくと、どうもガウンコートの男は予約無しで入ろうとして店が満席であったためにアンドロイドに席を増やせだのまだ客が来ていない予約席を融通しろだの無茶な注文をしているらしかった。
俺は彼らの間に割って入って店員の方に向かって言った。
「ロビン・カーターだが」
俺は四人席を予約していた。アンドロイドの店員に困るという感情はないのだろうが、予約していないと店に入れないという教訓をこれ見よがしにガウンコートの男に見せつけることで店員に助け舟を出したつもりだった。店員は、お待ちしておりました、と俺に丁寧に一礼した。ガウンコートの男はあからさまに俺を見て嫌な顔をしたあと、不意に閃いた表情になって言った。
「おい、席を譲ってくれんかね。金なら払う」
ううむ、無視して店に入っても良いが……。
「四人席を予約したので、良かったら相席はどうですか?」
相手は嫌な男だが、とにかく俺はこの時代に早く慣れるためにもっと人と接しなければならない。この男とは親しくなれそうにないが、いずれ友人も欲しいし、恋人も作りたい。これはその予行演習だ。
ガウンコートの男はしばし考えた後、大袈裟に頷いた。
「このまま待っているよりはましか。そうするよ、ありがとう。お礼に奢らせてくれ。ドノヴァン・トレスだ」
ドノヴァンが右手を差し出す。
奢るという言葉が彼の口から出てきたのは意外だった。ベーシックインカムのお陰で飢えることがないから金の本質的な価値は昔ほど高くないのだろうが、この店はそこそこの値段がする。彼は未来人でも気前が良い方に違いない。よくよく考えると彼が無茶を言っていたのはアンドロイドに対してであって人間に迷惑をかけていたわけではなかったので、現代の定義では彼は良い人なのかもしれない。
「一度聞いたかもしれせんが、ロビン・カーターです」
俺は彼の手を握った。ごつい手だった。
店の中からエメラルドグリーンのトルコ風ドレスを着た女性アンドロイド店員が出てきて、俺たちを席に案内した。
事前にホログラフィックディスプレイで店内の様子を調べていたので広めの四人席を予約したのだが、実際に座ってみると四人席は二人で座るには十分すぎるほど広かった。テーブルチャージが高くなるのでどうするか迷ったのだが、次からは迷ったときは二人席を予約するとしよう。
まあ、いずれにせよ今日はこの男が奢ってくれるということなので四人席を選んでおいて良かった。
女性アンドロイド店員にヘルメット型VRギアを渡された。このVRギアはメニューを決めるためのもので、内部の機械が放つ電磁パルスが脳を直接刺激して料理の見た目や匂い、味まで再現する。つまり腹に何も入れずに味見することができるのだ。だが、メニュー決めの前に俺はドノヴァンにひとつ確認すべきことがあった。
「彼女にも食べさせるつもりで来たんだ」と、俺は隣に座ったデイジーを目顔で示した。
「彼女の分は俺が払うから、一緒に食べて構わないかな」
デイジーが首を振って遠慮するが、感情があると知っている以上、俺は彼女に何も食わせないつもりはない。あんなに楽しみにしていたのだし。ドノヴァンは一瞬怪訝な顔をしたが、
「いいとも。彼女の分も奢ろう」
と言って何でもないというように自分のVRギアを頭に付けた。……俺は考えを完全に改めなければならない。彼とは友人になれそうだ。
VRギアで俺がオーダーしたのはラヴァシュという薄焼きパンとチーズとほうれん草入りロール・チキンとセブゼ・チョルバスという野菜スープ。メニュー名だけだったら何が何やら分からなくて困るところだったが、未来は何でも失敗なしにオーダーできるので助かる。VRギアをデイジーに渡したあと、オーダーを終えて料理を待ち遠しそうにしているドノヴァンに、俺は身の上話をした。
「そうすると、君は本来百五十三才の爺さんなわけだ」
俺が話を終えると、そう言ってドノヴァンは珍しい絵画でも眺めるように俺の顔を見て、そのあと突然スイッチが切り替わったように上機嫌に笑い出した。
「これが本当のアフターライフってやつか。素晴らしいじゃないか。未来の世界へようこそ。どうだい、未来は?」
「いろいろ便利になって楽できてはいるけど、勝手が分からないことが多くて。例えば、俺はアンドロイドにも人間と同じものを食べさせようとしているけど、これって実のところ現代の感覚ではどうなんだい?」
「まあ、変は変だ。だが全くないわけじゃない」
ドノヴァンはオーダーを終えてVRギアを外すデイジーをちらりと見たあと、小声で俺に向かって囁いた。
「人間の食い物を食べさせると排泄物が臭くなる。だがそれが良いって変わり者も居るんだ」
なるほど。ドノヴァンはついさっきまで俺を変態と思っていたわけか。
「まあ、昔はアンドロイドなんていなかったんだろ? 扱いに慣れるまでには時間がかかるさ。例えば……、おい、フォークを用意してくれるか?」
と、ドノヴァンは用済みのVRギアを下げに来た店員に向かって大声を出した。別の店員が急いでやって来てフォークをドノヴァンに渡す。同時に、彼の右隣に座った世話用アンドロイドが左手をテーブルの上に置いた。
何をするのか不思議に思っていると、やにわにドノヴァンは右手に持ったフォークを振り上げ、彼女の左手の甲に思い切り突き刺した。エッと俺は思わず声を出すが、アンドロイドは全く表情を変えず痛がりも怖がりもしない。彼女の手の甲に刺さったフォークからは血が滲んでいる。ドノヴァンは更に傷口を広げるようにフォークをぐりぐりと動かしながら言った。
「どうだい、これがアンドロイドだ。人間なら痛がって怒るか逃げ出すかするだろうが、アンドロイドは無反応だ。生体型だから痛覚はもちろんあるが、俺が許可しないかぎり痛みに反応することはない。それどころか、察しの良いこいつは俺がフォークを持った意図を察して自分の手を差し出した。それがアンドロイドのあるべき姿だ」
ドノヴァンはアンドロイドの手からフォークを引き抜くと、その先に付いた血を見て、まるで換気扇の油汚れでも見るかのように顔を顰めた。
「フォークを返して来い。それから傷がついたお前は交換だ、メリッサ」
メリッサと呼ばれたアンドロイドはドノヴァンからフォークを受け取って黙って店の奥に消えていった。交換、という言葉を聞いて一瞬苦い顔をした俺に、ドノヴァンは諭すように言った。
「傷がついたら交換は当たり前なんだよ。君は学ばなければいけない」
分かってはいるが、知性のある人型のアンドロイドをティッシュのように使い捨てることにやはり良い気はしない。俺は本当にこの社会に馴染めるのだろうか。いや、馴染む必要があるのだろうか。
「物の交換が容易ではなかった旧時代の感覚のままなんだろうな。アンドロイドの交換の度にいちいちああやって嫌な顔をしていては人付き合いに支障が出てくるぞ。……そうだ、ポキポキゲームをしよう」
「ポキポキゲーム?」
「ああ。暇つぶしによくやるゲームだ。ロビン、俺の隣に座ってくれ」
俺は言われるがままメリッサが居なくなって空いたドノヴァンの隣の席に座った。と、同時にデイジーが俺の前に左手を、ドノヴァンの前に右手を差し出す。
「これは生体型アンドロイドの手の指を折る早さを競うゲームだ。先に五本全部を折ったほうが勝ち。初心者に忠告しておくと、最初に親指を折るといい。間違っても最後に残してはいけない。他の四本が折れていると力を入れにくくなるんだ」
「おいおいおい、ちょっと待ってくれ」
俺は声を荒らげた。ドノヴァンはそんな俺に、まるで新人に教育する上司のような口調で語りかける。
「そんなに混乱するようなことじゃないだろ。シンプルだ。目の前のアンドロイドの指を折るだけでいい」
「そういうことじゃない。彼女を使うのはやめてくれ。頼む」
俺は必死だった。自分でも驚くほどに強く懇願していた。ドノヴァンは哀れみを込めた眼差しで俺を見つめて、そして言った。
「アンドロイドは交換可能だと言っているだろう。希望ならば次も同じ容姿のものにすればいい。君の趣味嗜好などについての学習データも引き継ぎはできる。こういうのは荒療治が必要なんだよ。いくぞ。3、2、1……」
ゴー、という掛け声と同時に、俺はドノヴァンを殴っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます