第6話

 ペットショップはとんでもなく大きな建物で、面積もちょっとした動物園並みはありそうだった。中に入ると早速女性アンドロイド店員がやってきて、俺たちに向かってくそ丁寧にもほどがあるというくらい深々とお辞儀する。


「自由に二人で見て回りたいんだ。いいかな」

「かしこまりました」と、店員は引き下がる。


 実のところ、本気でペットを飼うつもりはない。トルコ料理までの暇潰しだ。せっかく未来に来たのだから、ショッピングモールとか遊園地とかに行ってその進化ぶりを体験する、ということも考えたが、今日はなんとなく人混みを避けて動物と触れ合いたい気分だった。それにこういう暇潰しに得てしてありがちな、恋に落ちての衝動買いにも少しだけ期待している。


 ペットショップの中は白を基調に整然としていて、まるで美術館のような雰囲気だった。動物特有の臭いも一切してこない。むしろ仄かに花の香りがする。


 オムニポーターで店内図を開いてみる。広すぎて何から見ていいやら。


「犬が見たいわ」とデイジー。

「犬が好きなのか?」

「ええ、まあ」

「じゃあ犬から見て回ろう」


 店内図を消して、俺たちは歩き出す。


「そういえば、病院で働く前はどうしていたんだい? 答えたくないなら答えなくていいけど」

「答えてはいけない決まりなの」

「あ、そうか。君だけじゃなく君のかつての主人のプライバシーでもあるもんな。いや、犬の世話をしていたのかな、と思ってさ」

「人間の世話をしていたことは確かね」

「まあ、そうだな」


 本人に悪気はないのだろうが、そんな風な言い方をされると、デイジーがいろいろな意味で主人の世話をするところを想像してしまい、少し嫌な気分になる。女性型である限りそれは避けられないことで、理解してはいたけれど。


「つまり過去の記憶は残ってはいるんだ」

「データとしてアクセスは可能よ。アクセスすることはないけど」

「じゃあ、プライバシーに関わらない範囲で、一番嬉しかった記憶ってなんだい?」

「嬉しかった……。そうね。あなたに世話用アンドロイドに指名されたと知ったときかしら」

「うまいこと言うね」

「本当よ」


 冗談ぽく誤魔化しているが、案外それが真実かもしれない。この現代ではアンドロイドが良い扱いされることなんてない。俺みたいな人間は貴重だろう。しかし、デイジーの過去を聞いてみたかったのだが、うまく躱されてしまったな。まあ、あまり言いたくないのかもしれない。


 犬のセクションに着いた。キングサイズのベッドぐらいの広さの透明なケージが並んでいて、そのそれぞれに犬が入っている。俺たちを見て、ある犬は尻尾を振り、ある犬は可愛く鳴いて、愛想を振りまく。


「ここまで近付いても一切臭いがしない。世話が行き届いている。人工知能の仕事は完璧だな」

「それもそのとおりだけど、何より遺伝子組み替えによる品種改良と、それと餌ね。餌の中に入っている腸内細菌も人工的にデザインされた新種なの」

「へえ。知能もやっぱり向上しているのかい?」

「人工知能よ。犬の知能をエミュレートしてるけど、不意に噛んだり吠えたりしないし、所構わず粗相もしないようになってる」

「それはちょっと興醒めだな」

「あら、私への皮肉かしら」

「参ったな、おちおち人工知能の悪口も言えない」


 デイジーはケージを開けて何匹かの犬とじゃれあったが、俺は特に心惹かれなかった。涎を垂らしてハアハア言っている彼らも俺の脳の能力を遥かに超えたポテンシャルを持っていると思うと、どうも冷めてしまう。

 デイジーによるとオーダーすれば頭脳が人工知能でない完全に生身の犬も飼えるということだが、それはそれで躾が大変そうだ。デイジーに一応犬を飼いたいかどうか聞くと、そこまで欲しくもないわ、と答えが返ってきた。空気を読んだのかもしれないが。

 とにかく別のセクションも見て回ろうということで、再び店内図を開いた。


「途方もなく広いな。象とかキリンなんてのもあるのか」

「オリジナルサイズもあるけど、基本的にはミニチュアがよく売れるわ」

「へえ。遺伝子組み換えならそういうことも可能か。子供が喜びそうだ。この想像動物ってのはなんだい?」

「それは……。説明するより見た方が早いわね」

「なら次はそこにしよう」


 そのセクションは犬のものと違って室内動物園のように一面ガラス張りの檻がずらりと並んでいた。動物園と違うのはガラスにドアがあって自由に動物と触れ合えるようになっていることだ。檻の中に遊具類は一切なく、壁も天井も真っ白で、ガラスがマジックミラーなら人間の尋問部屋にもなりそうだな、と俺は思った。


 想像動物――、その言葉の響きで予想がついているかもしれない。そしてその予想は当たりだ。このセクションにいた動物たちは、ペガサスやグリフォンやガーゴイル――人間の想像力が生み出した架空生物が現実化したものだった。ドラゴンもいた。これにはかなり心動かされた。


「ペット? ドラゴンを三匹飼っているよ。少々やんちゃだが、俺の言うことはちゃんと聞く。どうだい、今度一緒にドラゴンに乗って空の散歩でも」


 うーん、一度言ってみたいものだ。だがそのためだけに飼うのもな。


 ひととおり回って、ある檻の前で思わず声を上げた。その檻の中で寂しそうな瞳で俺を見つめるのは人魚だった。上半身は裸だが、流れるような金の髪の毛で乳房は隠れている。檻は人魚用の特製で、手前にコンクリートの足場があり、奥は水槽になっている。髪の濡れ具合から察するに、人魚はひと泳ぎして足場で休憩をしているところだったようだ。


「これは――、彼女は、動物のカテゴリに入るのかい」

「ええ、もちろん」とデイジー。

「彼女も人工知能?」

「そうね」


 少なからず安心した。もし彼女の脳が生身だったとしたら――と考えると背筋が寒くなる。人類の倫理観は本当にギリギリの一線の上にあるのだと改めて実感する。


「おい、君」と俺は人魚に話しかける。

「君の名前は?」

 人魚は気だるそうに尾びれでペチペチと足場を叩きながら甘い声で答える。

「サファイアよ。私の瞳の色」


 なるほど。確かに彼女の瞳は鮮やかな青色をしていた。故郷は瞳と同じ色をした海――なんてロマンチックなものだとよかったのだが。


「いい名前だ。誰に名付けられたんだい?」

「前のご主人様に。私、返品されたの」

「そういうのって隠した方がいいんじゃないかな」

「あなたみたいな質問をする人は稀だわ」

「なるほど」

「ねえ、あなたは私を買うつもりなの?」

「いや、特には。積極的なセールスだね」

「いいえ、逆よ。私は誰にも買って欲しくないの。誰にも――あるひとり以外は」

「どういうことだい?」

「ご主人様がもう一度ここに来て、私をもう一度買ってくれるのを待っているの。……そう、私はそれをずっと待っているのよ」


 そう言って人魚はぷいと後ろを向いてしまった。


「従順なのね」と、デイジー。

「しかし、誰にも買って欲しくないって、ペットショップにいるのに――。彼女の人工知能は矛盾していると考えないのかい?」

「彼女はかなり人間の女性に近い性格にチューニングされたみたいね。返品のときに性格を戻すこともできたけど、彼女はそれを望まなかった。そのくらいの自由は許されているのよ。それに人魚ならオーダーメイドになることも多いし」

「ふうん」

「でも、誰にも選ばれないということも、それはそれで悲しいことじゃないかしらね。老いたら見世物にならないから人知れず処分されてしまうのだし」

「処分……か」


 仕方のないことなのかもしれない。俺のいた時代だって売れなかったペットが処分されてしまうことはあっただろう。


 しかし、人魚を処分とは――。


 と、そのとき、ふと、ある思い付きが頭をよぎった。おれは居ても立ってもいられず、衝動的に檻を開けて中に入り、サファイアの横にしゃがんで彼女を無理やりこちらに振り向かせた。


「なあに? やっぱり私を買う気になったの? それなら仕方がないわね。でも記憶と性格はリセットしてくれないかしら。今のままじゃ辛いから」

「君は買おうと思う。だがリセットはしない」

「意地悪ね」

「そうじゃない。君は人魚姫の童話を知っているかい?」

「知っているわ。魔女に足をもらって、恋した王子様に会いに――って話でしょ」

「そうだ。それだよ。俺が君を買ったあと、手術で尻尾を足に変えてあげよう。つまり俺が魔女ってわけだ。そのあと君は自由だ。君の前のご主人が王子様と言えるかどうかは分からないけれど、そのご主人のもとへでもどこへでも、君の思うまま自分の足で行くといい。どうだい、名案だろ、サファイア? 童話と違って、君のその声を足と引き換えにすることも、泡になって消えてしまうこともない。俺たちで新しい童話を作るんだ。遠慮はいらない。金ならある。何たって俺は――」


 俺が自分のアイデアに興奮してまくし立てていたら、後ろから突然にゅっと伸びた手に強く肩を掴まれ、サファイアの返事を聞く間もなく檻の外まで引っ張られた。


「どうしたんだ、デイジー」


 デイジーは少し腹を立てている様子だった。


「お節介も大概にすべきよ、ロビン。彼女の前のご主人が返品したってことは、彼女が要らなくなったってことでしょう? 足があろうがなかろうが、突然帰ってきたって嫌な顔をされるだけだわ」

「それはそうかもしれないけど――。それでも、もしかしたらそばにおくぐらいしてくれるかもしれないし、仮に悲劇が待っていたとしても、今よりましだよ。彼女は彼女を捨てた前のご主人に今も束縛され続けている。それこそ何より、救いのない悲劇だ。彼女には自由が必要なんだ。精神的にも、肉体的にもね」

「私たちは自由を求めるようにできていないのよ。人間とはつくりが違うの」

「しかし――」


 反論しようと思ったものの、この人間のために作られた絶対的な奴隷に何と言えばいいやら、言葉が続かなかった。

 サファイアは、ガラス越しに、その海色の瞳で包むような眼差しを俺に投げかけた。その表情は、深い悲しみを抱えているようにも、何も感じない深い海の底のような虚無の中に心を置いているようにも見えた。


「ありがとう、優しいのね。――あなたの名前を聞いてなかったわ」

「ロビンだ」

「ロビン。私、ここで、この姿であの人を待っていたいの。来てくれても来てくれなくても関係ないの。私が待っているのが大切なのよ。でも、気持ちはとても嬉しかった。お礼に歌をプレゼントするわ。私が作った歌よ。気に入ってくれるかしら」


 そうしてサファイアは歌い始めた。人の手で荒らされていない海のように透き通った声だった。何語でもない言葉で、何にも属さない曲調だった。強いて言うならバラード――いや、カントリー・ミュージックのようになったり、子守唄のようになったりする。喜怒哀楽といった人間の感情を丁寧に音楽で表現しているように感じた。歌が終わったあと、俺たちはサファイアに拍手を送ったが、彼女は何も言わずにどぼんと水槽に入って消えてしまった。


「君の言うとおりだったな」

「彼女はあなたに感謝しているわ」

「助けようと思ったんだ」

「仕方ないわよ、彼女は人魚だもの」

「……」


 デイジーの皮肉なジョークに反応できないほど、俺は気分が落ち込んでいた。今まさにここで見た人魚こそ、人間のエゴが産んだ究極の悲劇だと思った。命を弄び、心を弄び、人間はこれからどうなっていくのだろう。


「私の一番悲しかった記憶はね」


 と、押し黙った俺を見て、デイジーは優しく語り始めた。


「私のご主人様が亡くなったとき。茶色いトイプードルのぬいぐるみが大好きで、寝るときはいつも抱えて寝ていた。よく笑って、よく泣いて、表情がころころと変わった。一番好きな食べ物はチーズケーキ。よく作ったわ。彼女のためのレシピは特別で、豆乳とハチミツが少し隠し味に入っているの。彼女に感想を聞きながら調節していったのよ」

「子供だったんだ」

「ええ。現代の医療技術はほぼ完璧だけど、それでも例外があるわ。突発の事故とか殺人とか。私たちが見ていればある程度は防げるけど、ずっと見ていられるとは限らない」


 事故や殺人――。どっちだったのだろうかと考えてしまう。いや、どっちでも、もう過ぎたことだ。


「打ち明けてくれてありがとう」

「実は個人特定ができない範囲なら言っても構わないのよ。さっきはごめんなさい」

「いいよ。言いたくないこともあるさ」

「私が分かって欲しいのはね、あなたがご主人様で良かったってこと。本当よ」

「そう思ってもらえれば光栄だ」


 結局、俺たちは何も買わずにペットショップを出た。どっと疲れた気分だけど、来た甲斐はあったかな。腹も幾分減った。さあ、次はトルコ料理が待っている。楽しもうじゃないか。

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