第2章 デイジー

第4話

 夕食にピザのデリバリーをとってソファの上でうつらうつらとしていたころ、インターホンが鳴った。オムニポーターに命じて玄関カメラの映像をホログラムで映し出す。あのアンドロイド看護婦だ。

 俺は玄関に行ってドアを開けた。彼女はサファイアブルーの袖のないワンピースドレスを着ていた。暗がりで見にくいが、病院に居たときよりもしっかりと化粧をしているようだ。


「私を選んだんですね」


 と、彼女は嬉しそうにはにかんで頬を赤くした。そうやって男好きのする仕草をするようプログラムされているのだと分かってはいたが、悪い気分ではなかった。彼女の声は生体型に変えた影響か少し掠れて聞こえた。


 俺は彼女をリビングに通した。

 ガラステーブルの上には俺の食べさしの冷めたピザ(頼みすぎて半分以上残っていた)とコーラが雑多に置かれていたままで、彼女はそれを見て、美味しそう、というように目を丸くした。


「座って。生体型は食べなきゃいけないんだろ? ピザを温めるかい? 少し待てるなら新しく何かとろうか?」


 彼女は遠慮がちに縮こまってソファに座ると俺をまるで子犬が飼い主を見るような目で見上げて言った。


「ありがとうございます。ですが、私たちには国から完全栄養食が支給されるのでそれ以外を食べる必要はありません。今夜中に私の今月分が配給されます。もし、カーター様がピザをもう廃棄するというのでしたら食べますが」

「それだとまるでピザを食べたいと遠回しに言っているように聞こえるけど」

「まだ食べたことはありませんが、一般的に好ましい味だということは理解しています。先ほどはその認識に応じて表情を変化させました。捨てるピザを食べるのは廃棄物をエネルギー変換するという合理的思考の結果です」

「ふうん」


 なんだか理屈を言えば言うほど余計にピザを食べたいのに意地を張っているようにも聞こえる、と一人でおかしく思いながら、俺はL字ソファの彼女が座っていない側に座った。いきなり隣に座るには俺にもまだ照れがあった。


 室内灯で照らされた彼女の顔は、人工物の完全すぎるが故の不自然さはなく、程良い不完全さを持っていた。鼻は少し上向いてるし、目は少したれ気味で、ギョロ目に近いと言えなくもない。唇ももう少し厚いほうが俺の好みだ。だが、それも彼女の美にとっては味を加えるスパイスでしかない。彼女は文句なく美人だし、クソッタレだった俺の人生の中で、こんな美人と接近した機会は数える程しかなかった。彼女の額にルビーがあることが、とてつもなく惜しく思えた。


「堅苦しいのはよそう。ロビンと呼んでくれ。君の名前は?」

「個体識別番号はあります……あるけど、名前はないわ」


 彼女はいかにもまだ打ち解けていないという風に振る舞った。


「その調子。じゃあ、デイジーというのはどうだい? 2001年宇宙の旅という映画で、狂ったコンピュータのハルが、最期にデイジー・ベルを歌うんだ、デイジー、デイジー、答えをおくれって。そのシーンは刹那的な美しさがあって、俺は大好きなんだよ」

「デイジー……。素敵な名前ね。気に入ったわ」

「それは良かった、デイジー」


 この彼女が俺の言うことを何でも聞くのだということを思い出して、俺はごくりと唾を飲み込んだ。アンドロイドとはいえ、彼女は脳以外の全てが生身の女と変わらない。その彼女を、俺は自由にできる。彼女に何をしようと誰も文句は言わないし、彼女自身何とも思わない。今、俺の目の前に居るのは、未来のテクノロジーが可能にした、男のリビドーを充足する究極の到達点だ。


 俺は頭に渦巻く妄想を振り払った。理想が目の前にひょっこりあると変に冷めてしまうもので、興奮していることが馬鹿馬鹿しく思えてきた。


「生活用品がまだ圧倒的に足りてないんだ。風呂場にボディソープもない。買い物は君一人でもできるかい?」

「ええ。ただ、私が買い物をするにはあなたの承認が必要なの。限度額の設定も」


 デイジーに教えてもらいながら、オムニポーターでデイジーの買い物の承認と一ヶ月の購入限度額の設定をした。限度額は二百五十万ソル、USドルにして一万と少々多めだが、人工知能は生身の女よりもよっぽど信頼が置けるし、今の俺は金持ちなので問題無いだろう。


「じゃあ、あとはお願いするよ。俺は眠くなってきたから自分のベッドで寝ることにする。ピザとコーラは君の腹に入れて処分してくれ」

「ありがとう。明日の食事はどうする?」

「君の完全栄養食は俺も食べられるよな? あれを朝食にして、昼食は外食がしてみたい。夕食は君が作ってくれ。メニューは君に任せる」

「完全栄養食、美味しくないわよ」

「構わないさ」


 寝室に行こうとソファから立ち上がると、デイジーは無表情で冷めた旨くないピザをそのまま食べ始めた。

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