第3話

 俺の新居は五十階建高層マンションの二十三階五号室で、アンドロイド公務員によると、この時代の独身中流男性が住む典型的な部屋だそうだ。間取りは2ベッドルーム1バスルーム、生活に必要な基本的な家具は揃っていて、リビングにはダークブラウンのL字型のソファとその正面にガラステーブルもあった。


 ソファの反対側に大型テレビでもありそうなものだが、ホログラフィックディスプレイが普及している現在、その場所には投影機が置いているだけである。投影機はリビングの空間を全て三次元のシアターにするが、平面映像の需要もまだ多少は残っていて、その場合は擬似的なテレビを空間上に映し出す。例えば、性質上画面に文字や複数の映像を映す必要があるニュースは平面である。

 

 アンドロイド公務員は俺と部屋の中を回って調理器や冷蔵庫や洗濯機やエアコンやその他機具についてひととおり俺に説明したあと(それは計三十分かかったにも関わらず使い方は百二十八年前とあまり変わらなかった)、俺に地図を見せるときに使ったスマートデバイスを俺に手渡して言った。


「これはオムニポーターと言います。差し上げます。分からないことはこのオムニポーターに音声で直接尋ねれば大抵は解決します。ワイヤレス電力伝送のデバイスですので室内で使用している限り充電は不要です。試しにカーター様ご自身の口座の残高を聞いてみてください」

「昔の口座がまだ生きているのか?」

「いえ、今回の蘇生にあたり、新しく開設されました。四十五年前、国の全ての民間銀行が一つに統合され国営化されました。その際口座も統合され、全ての国民が必ず一つの口座を持つようになったのです。生活費はその口座に振り込まれます。毎日二万五千ソルです。単純比較はできませんが、およそカーター様の時代の百USドルの価値です」

「通貨が変わったのか」

「理由を知りたいですか?」

「いや、今はいい」俺は右手に持ったオムニポーターに向かって声をかけた。「口座の残高を表示してくれ」


 オムニポーターの上部のイカの目のような装置から投影されたホログラムが数字を映し出した。ええと、ドルの二百五十分の一の価値だから……? 俺は数字が苦手だ。


「二百五十で割って読み上げてくれないか?」


 俺がデバイスに向かって喋ると、オムニポーターが無機質な音声を出した。「百九十万千六百です」


 莫大な金額だ。一生遊んで暮らせる。……この時代はもともとそうか。しかしかなり贅沢して暮らせるだろう。なぜこんなに? 俺が息を飲むと、アンドロイド公務員がこういった時にしばしば人間がする勿体ぶった笑みを精巧に真似たあとに説明した。


「カーター様の時代、人体の冷凍保存は法律上は死亡扱いであり、カーター様も当然法律上は死亡とされましたが、今回蘇生されたため、その死亡が撤回されました。ですからベーシックインカム制度開始時からの給付金が遡ってカーター様の口座に入金されたのです。一万九千十六日分、四億七千五百四十万ソル。ベーシックインカム制度開始以降、貯金はかなり容易になりましたが、それでもこの国の平均貯金額の五十倍程度あります」


「ああ、俺は法律上は百五十三才なんだったな。ジジイ扱いされるのはあまり好きじゃないが、悪いことばかりじゃないらしい」


「冷凍保存から蘇生した人間を法律上どう扱うかというのは、蘇生技術が完成しつつあったとき、議員の間で少々議論がありました。身体の年齢と法律上の年齢を合わせるため、誕生から死亡までの経過時間を蘇生時の時刻から引いた時刻、例えばカーター様の場合今から約二十五年前のある時刻になりますが、これを新たな誕生時間とする案も出ていました。しかし本来の誕生日を尊重すべき、という意見が多数を占め、結果、法律上の死亡の撤回という措置になりました。カーター様の時代なら通らなかった意見でしょうが、現在はロボットが経済を支えているため、国家の財布の紐が緩くなっているのです」


「へえ。しかし、議員が寛大になる日がくるとは、驚きだな。……ってことは、今も議会や議員といった制度は昔と変わっていないのかい?」


「はい、細かな違いはありますが、基本的には。政治は技術的特異点(シンギュラリティ)以降も人間が主導的に従事している数少ない業務の一つです。人工知能は立法や予算案の決議をサポートするための情報は提供しますが、それ以上の介入はしませんし、できません」


「それは、能力的にではなく法律的にできない――違うかい?」


「カーター様の仰っている『能力』の意味が決断力でしたら、確かに政治的な決断は我々にも可能です。集団による議論の必要はなく、平均的なアンドロイド一体、例えば私の人工知能があれば十分可能でしょう。しかし、政治的な決断というのは詰まるところ人類の社会的集合意識の発露なのです。人工知能に健康に良いと勧められたからといって、嫌いなブロッコリーを食べはしないでしょう?」


「俺はブロッコリーが好きな少数派だが……。まあ馬鹿で傲慢な人間が賢くて謙虚な人工知能の意見を聞くわけがないか」


 俺が皮肉を言うと、アンドロイド公務員は目を伏せて暫く言葉を発さなかった。もしかして人の悪口を言えないようプログラムされているのだろうかなどと俺が考えていると、アンドロイド公務員は顔を上げて言った。


「いずれにせよ、ルールを決めるのは人間の方で、我々はそれに従うのみです。さて、話を戻しますと、カーター様は十分な財産をお持ちです。ただいま見て回ったとおり最低限の家具は揃っているはずですが、追加で他に生活に必要なものがあればオムニポーターを使用して購入してください。それから、国からカーター様の身の周りのお世話をするアンドロイドが一体貸し出されます」


 アンドロイド公務員が俺に渡したものと同じ型のオムニポーターをズボンのポケットから取り出して、女性型アンドロイドの肩から上のポートレートリストが映ったホログラムを俺の目の前に投影した。人種やタイプが違うが、皆美人だ。ネットで検索した情報でこの時代は一人一体必ず世話用アンドロイドが貸し出されるということを知ってはいたが、今の今まですっかりそのことを忘れていた。


「この中から一体選ぶのかい?」

「いえ、ご自由にカスタマイズもできます。このリストは異性愛者の独身男性に統計的によくオーダーされるアンドロイドの容姿のリストです」


 ふむ。まあ、男の好みというものは今もあまり変わっていないらしい。


「また、交換も可能です。その際の費用もかかりません」


 そう、それが人がアンドロイドにひどい仕打ちをする理由の一つでもある。

 生産者の労働コストが限りなくゼロに近いため国の全てのロボットやアンドロイドは交換無料で、壊れたら交換すればいい、だから壊してもいい……この時代の人間はそういう考え方なのだ。俺の主治医がアンドロイド看護婦を殴ったり蹴ったりしていたのなどは本当は可愛いもので、公園の少年たちのように一度アンドロイドに暴行を加えたら動作不能になるまで徹底的に破壊するということもままあるらしい。


「そういえば、病院のアンドロイド――、あれは世話用のナース型アンドロイドを使い回しているのかい?」


 アンドロイドには幾つか型があり、ナース型は体内に蘇生装置や人工血液などが組み込まれている、現在世界で最も普及している型である。肉体労働以外の単純労働には主にこの型が使われ、彼らは災害の際には何よりも頼もしい救助隊となる。


「よく分かりましたね。顔が気に食わなかったであるとか飽きたであるとか、破損以外の理由で交換されたアンドロイドの一部は、病院等公共施設にて再利用されます。ちなみに私もナース型です」

「ということは、君も所謂中古なのか?」


 何も考えずに聞いてしまったことで、一瞬、相手の気分を害したかもしれないという馬鹿な考えが頭に浮かんだ。俺はもっとアンドロイドとの会話に慣れなければならない。


「ええ、理由は聞いておりませんが。廃棄処分よりはましです」


 アンドロイド公務員はそう言っていかにも悲しそうに空笑いをした。その偽物の笑顔は俺にあることを思い出させた。


「じゃあ、例えば、俺の看病をしていたアンドロイドを俺の世話用アンドロイドにすることは可能か?」

「前例のないリクエストですが可能です。生体化しますか?」


 生体化とは、頭脳以外を生身の肉体にすることである。女性型アンドロイドの場合、そう要望されることが多いのは、わざわざ説明する必要もないだろう。


「生体型の場合、食事を一緒にすることも可能かい?」

「ええ、可能です」

「じゃあ、生体型で」


 我ながらわざとらしい理由付けだと思った。

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