第2話
精密検査の結果は良好だったが、様子を見るため俺はそれから三日間入院していた。その三日間で、俺のいた時代からの百二十八年で何が起こったのか、おおよそのことは把握した。
全方位ホログラフィックディスプレイや五感全てを再現するVR等、人々の生活をドラスティックに変えた技術はいくつかあったが、何より人工知能技術の発展を抜きにこの時代は語れないだろう。俺が氷の棺桶に入ったあとの最初の五十年で人工知能は人間と同等の判断力を持つまでに進化し、また同時期に有機物ベースの人工筋肉も発明され、人間の仕事の大半はロボットに任せられるようになった。
技術的特異点(シンギュラリティ)である。以降、人類は生産という経済活動の呪縛から開放され、ベーシックインカム制度がグローバルスタンダードとなり、労働は生存のための逃れられぬ苦行から生きがいのための趣味か贅沢のための小遣い稼ぎとなった。俺の主治医は海外の避暑地に四つ目の別荘を買うために働いているらしい。
医療技術も進歩し、クローン技術や遺伝子治療薬は当たり前となっており、脳の老化等一部の例外を除き、負傷、疾病、障害等人体に起こる瑕疵はほぼ全て治せるようになっていた。
しかし冷凍保存の際に体内の水分によって起こる細胞破壊を完全に修復できるナノマシンが開発されたのがつい最近で(これを開発したのは人工知能で、その研究をすることを決定したのも、研究のための施設を建てたのも人工知能である。人類はすっかり怠け者になっていて、氷漬けになった約千人の同胞を解凍するより終わらないバカンスを楽しむことに夢中だった)、それでようやく俺は目覚めることになったわけだ。
俺の頭は、解凍、ナノマシンによる細胞修復、更に別のナノマシンによる遺伝子欠陥の治療を経て、同じく遺伝子欠陥を治療したクローンの体とくっつけられたはずだ。が、首に手術痕は見当たらず、手足を動かす感覚に違和感もない。むしろそのことに対して前時代人として違和感を覚えてしまう。
何より俺がこの時代について驚いたのは人類の精神性の変化だ。この時代にもマナーや敬意は残っていたが、それはあくまで対人のことであって、ロボットに対しては過酷を通り越して残虐と思える行為をとるのが当たり前になっていた。俺の主治医はアンドロイドの看護婦が視界に入るたびに殴ったり蹴ったりした。相手によって殴るか蹴るかが決まっており、それを間違えたり忘れたりしないかというゲームなのだそうだ。ちなみに間違えてもペナルティはなく、ただ腹いせに看護婦を更に強く殴るの殴るのだとか。
俺は最初この医者だけが狂っているのかと思ったが、ホログラフィックディスプレイで見た映画でもロボットの扱いは酷く、失恋した女の主人公が当たり前のように道ですれ違った道の清掃用ロボットを蹴り飛ばして八つ当たりをし、自分の作った料理が不味かったという理由で世話用アンドロイドの顔をフライパンで殴り、新しく出会った運命の男とデートでアンドロイド・コロシアムでアンドロイドの殺し合いを観て楽しんでいた。念のために言うが、その映画はコメディでもホラーでもなく、ただの陳腐なラブロマンスだ。
俺が知っている人類は非生物に対してももっと愛情をもって接していたはずだ。子どもの頃は皆、人形やぬいぐるみと遊んで一緒に寝ていたし、パソコンがフリーズしたせいで仕事のデータが消えてもパソコンを殴り壊すなんてことは(滅多に)なかった。愛玩用のロボット犬なんかも売っていた。なのになぜ今こんなことになっているのだろう? 俺は百二十八年前とは比べ物にならないほど膨大で深淵となったインターネットを必死に調べたが答えは見つからなかった。いつの時代においても、人類のロボットに対する残虐性は問題視されておらず、従ってその原因も過程も研究されていなかったのである。調べ方の工夫次第で何か有用な情報は見つかったのかもしれないが、俺はいい加減うんざりして検索を打ち切った。
様子見の三日間が終わったあと、病室に役所の仕事をする青年型のアンドロイドが来て新しい俺の家を案内すると言われた。病衣(百二十八年前と変わらず緑のワンピースである)から彼に渡された水色の無地の長袖Tシャツと白のジーンズに着替え、抗菌スリッパを脱いで黄色のスニーカーを履いた。今の時代もこんな服装なのかとアンドロイドに聞いたら、彼は今の時代の服装の中で昔に近いものを選んだのだと答えた。人類のセンスが俺がついていけないほどに進化したのか人工知能の数少ない欠点なのかは分からないが、家に着いたあと真っ先にすべきことが付近の服屋と靴屋の検索になった。
持っていくような荷物はもちろん何もなく、俺は手ぶらで病室をあとにした。最後に主治医に挨拶をすると彼は百二十八年前の医者が患者に見せるものと同じ優しい笑顔を作り、「お元気で」と固い握手で俺を送り出してくれた。幾分清々しい気持ちになって、数歩歩いて後ろを振り返ってみると、彼は相変わらずすれ違うアンドロイド看護婦に暴行を加えていた。
病院の外は大きなビルが乱立していたがその外観は直方体に窓が規則正しく並ぶ百二十八年前のものと大差なく、道路を行き交う車もマフラーがない電気自動車となっている以外は俺の時代の車のデザインとさほど変わらなかった。人類の大半が仕事を放棄すると、人工物の形はあまり変わらないものなのかもしれない。
アンドロイド公務員(と、俺は命名した)はタクシーで家まで行くことを提案したが、俺はできるだけ歩いてみることにした。アンドロイド公務員が異論を唱えることはもちろんなく、ズボンのポケットからスマートフォンの上位版のようなデバイスを取り出して俺の目の前にホログラムの地図を写してみせた。
「赤い矢印のとおり歩けばあなたの家に着きます。平均的な歩行速度で二十分です」
「アンドロイドも地図を見るんだな」
「もちろん私の頭に地図は入っていますが、私がただ案内するだけでは情緒がありませんので」
「人工知能も情緒は分かるのかい?」
「一般的な概念としては理解しています。しかし、何をもって情緒とするかという感覚は人によって個人差があるので、完璧には把握しきれません。もし不快なことがあればおっしゃってください。学習いたします」
「いや、今のところは特にないよ。ああ、しかしできれば暫く黙って付いて来てくれないかな。この時代のことを五感で感じたいんだ」
そして俺たちは歩道を歩いた。
季節は春だった。街路樹の緑の匂いも、青空の白い雲も、頬を撫でる風も、百二十八年前と何ひとつ変わりなかった。いつもロボットに清掃されている歩道は砂利やゴミが一つもなく整然として少し味気なかったが、それもまた未来の趣と考えれば悪くはない。排気ガスがなくなったおかげで車道の隣を歩いている不快さもなく、俺の未来社会に対する嫌悪感は薄まっていった。
十分ぐらい歩いただろうか、左手に小さな公園が見えてきた。噴水の前に中学生ぐらいの男の子四人が集まっていて、一人が金属バットを持ってもう一人の胸のあたりに向けて思いきりスイングした。
一瞬その光景にギョッとして目を瞑ったが、すぐに察する。
「あのバットで叩かれている方はアンドロイドだろ?」
アンドロイドと人間の一番わかり易い違いは額に埋め込まれた菱型の人工ルビーの有無なのだが、俺の立っている位置からではよく見えなかった。もし打たれている方がアンドロイドでないなら俺は全力で止めに入らなければならない。
「ええ。もし彼が人間でしたら私はここで悠長に見てはいられません」
そうか、そのとおりだ。自分の頭の回転の悪さに嫌気がさす。その俺の感情の機微を感じ取ったのだろうか、アンドロイド公務員が付け加える。
「アンドロイドは互いに通信をしているので、彼が殴られているということはずっと前に分かっていたのです。予めお伝えしておらず申し訳ありません」
俺たちの目線の先では少年型アンドロイドが男の子の集団の中でもとびきり図体の大きい子に飛び蹴りをくらって吹っ飛び、他の男の子たちがそれを見て喝采していた。
「あれを君は本当に何も思わないのかい?」
「得には。そもそも、『思う』ということが私たちにはできません。私たちは常に与えられた使命に対して最適の選択、行動をしているだけなのです」
「アンドロイド的って形容詞を作りたくなるくらいアンドロイド的な答えだな。しかし、君たちは人間より高度な知能を持っているんだから、君たちの行う複雑な計算は広義には『思っている』と言って良さそうなものだけど」
インターネットで調べたので、人工知能の計算力がどれだけ進歩したかはおおよそのことが分かっている。人間はハンディキャップを与えられなければ全てのボードゲームで人工知能に勝つことはできない。ポーカーのような不完全情報ゲームにおいても長く対戦するうちに癖を分析、対処され、統計的には収支をマイナスにさせられてしまう。状況判断力も人工知能はとっくに人間を超えていて、災害時のトリアージは人工知能の判断をもとに行われる。
「その計算が人間のものと違います」とアンドロイド公務員は言う。「人間の思考には感情が伴いますが、人工知能の純粋な計算にそれは含まれません。もちろん、能力的には感情を持つことも可能ではありますが」
「ああ、君たちはチューリングテストをパスできる」
「チューリングテストもパスできますが、私が言ったのはもっと深い意味においてです。人工知能は原理的には人の脳の作用そのものをエミュレート可能です。しかし、我々にそれは必要ありません。感情は我々の行動に不確定要素をもたらす要因であり、常に最適な選択をしようとする我々にとって負の効果が生ずる確率を高くする障害に他ならないのです」
なるほど。感情というのは純粋な知能にとっては不純物になってしまうのか。人という種が感情を持っているのは四十億年の生命の遺伝的アルゴリズムによる進化の末にようやく高度な知能を獲得したという歴史的な背景によるものであり、彼ら人工知能にとっては非最適、非合理的なガラクタ遺伝子(ジャンクジーン)なのだろう。
「しかし、負の効果が生ずる確率が高くなるということは、逆に言えば、例外、つまり正の効果が生ずる場合もあるということだろう?」
「はい。我々は局所最適解を選んでいるにすぎないので、より良い解はあり得ます。例えば、カーター様は自宅まで徒歩で行くことを選択されましたが、これは我々にとっては非合理的な選択です。しかし、今、この会話――当然予測不可能でした――を有意義だとカーター様が感じているならば、結果的に徒歩の選択の方が良かったということになります」
「もちろん、有意義だと思うよ」
「ありがとうございます」
アンドロイド公務員はまるで生身の青年のように人懐こい笑顔を作った。だが、感情がないということは、今のこの表情や言葉も状況に合わせて適切なものを選んでいるだけで、彼にとってはそれ以上の情緒的な意味はない。そう思うとまるで宛名のない手紙を投函しているような気分になり酷く虚しくなった。
「話を戻すけど、あの少年型アンドロイドも彼の役割を果たしていると言えるのかい?」
「ええ。彼の役割はあの少年たちの相手なのです」
「しかし、暴力というのは教育上良くないだろう?」
「人に対してはそうですね。しかしロボットに対してはそうではありません」
ああそうだ。それがこの社会の認識だった。
「悪くはないのは分かった。だが、良いとも言えないだろう?」
「その答えはノーです。ストレスの捌け口を正しく選んでいるので良いと言えます。生きている限り人間は精神的な抑圧を感じ、それを何らかの方法で発散しようとします。ときに――特に少年期においては顕著に――、それは虐めの形で表れます。人ではなくアンドロイドを虐めているということは、あの子供たちは正しいストレスコントロールをしています。また、我々アンドロイドの側にしてみても、ストレスコントロールのために虐めの対象となるならば、それもまた人類への奉仕――つまり存在理由のひとつと言えるです」
ううむ。ロボットたちにとっては人間の食事を作るのも人間に殴られるのも人間の欲を満たすという意味ではさして変わらないということか。逆に言うと、人間は、あらゆる欲を満たすためにロボットたちを酷使しているのだ。
しかし、あそこまで残虐になる必要はないように思える。――いや、あの残虐性こそ人間の本質的な欲求なのだろうか?
頭の端に住んで消えなかった仮説だったが、そんなものは受け入れたくない。魔女狩りも、ホロコーストも、歴史と文化の歪みが産んだ一過性の狂気であったと俺は信じたい。
「行こう」
俺たちは歩き出した。視界の端で少年型アンドロイドの首がもげ、他の少年たちがそれを見て大笑いしていた。
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