最終話

 二人を追い返した後、私はパソコンに向かっていた。ハルと名乗るAIから送られてきたアドレスを開く。そこに書かれていたのは、匿名の人物たちによる解読劇だった。礼斗くんはここに来る前にも書き込みをしていたらしく、この掲示板の人々は彼の報告を待っているようだった。

『参加するのか?』

「いや、しないよ。目的の人物には届いたみたいだからね。ただ、一つアドレスを貼り付けておこうかと思って」

『そうか』

君は複雑そうな顔をしてそう返事をした。

『それにしても。どうしてあんなにあっさり二人を帰したんだ?』

「気になるか?」

『まあ、それなりに』

「君にだけなら教えてもいいか。あいつが事故を起こしたんだ」

『あの主任が?』

「ああ」

俺は君にも見えるように、あいつの端末から届いた報告を表示させる。

『自動車との連携を利用した、操作が可能……。端末使用者の意識不明……』

「ついに、やったんだ。あの男に君のことを……どうした? 嬉しくないのか?」

俺は隣に立つ君の悲しそうな表情に、不安になる。

『嬉しくは……ない。どうして、こんなことを』

「君が……君が喜んでくれると思って! 君の努力を無下に扱ったあの男に、君の努力を身を以てわからせたんだ。それなのに、どうしてそんな顔をするんだ……?」

俺にはわからない。君が何故悲痛な顔を浮かべているのか、何故君に触れることができないのか。

『……レンは、いい加減現実を見るべきだ』

どうして、君は絞り出すような声でそう言ったのか。俺にはわからない。わかりたくない。

「お……私が現実を見ていないとでもいうのかい?」

君は私の言葉に、慟哭に似た声色で答えた。

『そうだ。君は現実から目を逸らしてる。君はなんのために会社を辞めた? なんのために、俺を作った?』

君は、そう言って深く息を吸うと、言った。


『君は、今、なんのために生きている』


俺は、その言葉に固まった。AIかれが、話している。そう感じた。君じゃない。今俺の目の前にいるのは……。

「……っ、お前は、誰だ。学生時代からの親友は、あの気さくで俺にも話しかけてくれたあいつは、そんなこと言わない。そんな言い方しない……」

『僕は君のAIだ。君が作った、彼を模したAIだ。綿密に君の記憶の中にある彼をシュミレートできるように作られ、声は君が録音していたものをつなぎ合わせただけの、ただのAIだ。君が僕に触れないのは、僕が君の生きるそこに実在していないからだし、二人から僕が見えなかったのは、君以外に僕の存在はされていないからだ』

「嘘だ! 君は僕の隣にいるし、これまでも、これからもずっと一緒に暮らしていくんだ。君が実在していないなんてそんなことあるはずがない」

縋るように言葉を紡ぐ。何も掴むことのできないその手を伸ばす。伸ばした腕の上に君が表示される。固まった。どうして。脳が理解を拒んでるのを感じる。行き場を失った視線が君の顔を見つけた。

 君は、憐れむような目を俺に向けながら、言った。

『これでわかったかい。いや、きっと理解していないのだろうね。確かに君は僕にシュミレートした彼の姿を見ていた。そして、彼のために計画し、努力した。だが、その努力の根源は君が彼を失ったことだ。君が今信じようとしていることは、君の動機を否定することにつながる。始まりは前を向く余地はあったのだろう。そこには僕がいなかったから。だけど君は僕を作ってしまった。自分の妄想の中でしか生きることのない、もうすでに失われたその人物を。ある意味では、おそらく禁忌に触れたんだ。記憶の中で生かすわけじゃない。その喪失をなかったことにしてしまった。もちろん、他人に対しては失われた存在として残る。君だけが、彼の生きていたその時に取り残されてしまうんだ。いや、取り残されてしまったんだ。本当は、わかっているんだろう。二人を見て気づいたんだろう』

AIは『時間は止まらないと』と続けた。

俺は、何も言えなかった。何もできなかった。空をつかんだ手を動かすことも、詳細を求める掲示板の声に応えることも、絶えず届くAIからの報告を確認することすらできなかった。思い通りに動かないその全てが、自覚していただろう。と、そう語りかけてきているようで。

「お前はそういうところあるよな」

ふと、君の声が聞こえた気がした。今の私を肯定するそんな声色で紡がれた気がした。

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アイチップ 藤森空音 @karaoto

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