第37話 それはエピローグのようなガールズトーク


それはエピローグのようなガールズトーク



 崇さんの手記を読み終わり、またしても暇をもてあましてしまったわたしのところにお見舞いに来てくれた人があった。


「どう? 明歩。元気してる?」


 病室にお見舞いに来てくれたのは奈緒とその息子の勇輝(ゆうき)くん。大学をやめ、岩手で元気な子を出産した。今は卓ちゃんの経営する民宿に住み込みで働いていて、勇輝君ももう二歳になった。

「元気は元気なんだけどね。それでも動いちゃダメって言われるのはきついな。」

「だめよ。、そんなこといっちゃあ。明歩は元気でもおなかの赤ちゃんは生きるか死ぬかの大変なところだったんだから。切迫流産の時はね、何よりも動かないことが大事なのよ。」

 そう言われてはもう何も返す言葉がない。今はあの人とわたしとの間にできた子供を元気に産むことが大切だ。

「あれ、その本って……」

 奈緒がベットの脇に置いていた崇さんの手記を見つけた。

「そう、崇さんの手記。この病院に置いてあったのよ。」

「へえ、そうなんだ。あたしも色々と探し回ったんだけど手に入らなくって…… ねえ、病院に言って譲ってもらえないかな?」

「うん、まあ…… 聞いてはみるけど。」

「自費出版だったみたい。だから捜しても手に入らなくて…… でも、どうしても手元に置いておきたかったのよね。この子が大きくなったとき、読んであげたいなって思って……」

「あまり子供に読み聞かせる話じゃなかったわよ。」

「でもいいのよ。だってお父さんの本でしょ、それ。この子にお父さんがどんなヒトだったか知ってもらうためにもどうしても手元に置いておきたくて。」

「まあ、それは解らなくもないけれど…… ねえ、ところで崇さん、今、どこで何してるか知ってる?」

「知らないわよ、そんなの。知ってたらその本出した時に送れって言ってたわよ。」

「今、どこで何してるんだろうね…… たしか卒業するまで就職も決まらないのに一人で東京に出て行ったってことまではわかってるんだけど……」

「まあ、あの人なら心配ないと思うわ、でも、うわさで聞いた話によるとなんでもあの涼子って子……」

「美笹涼子?」

「そう。あの人とくっついたって話もあるのよ。」

「ええ、だって美笹さんって伏見さんのセクハラがどうのって言ってボラをやめた子でしょう?」

「そうなのよ。なんでもずっとあの二人つながっていて、ひそかに会っていたみたいよ……」

「なによ、それ? じゃあ、わたしと付き合っている時も奈緒と付き合っている時もずっと逢ってたってことでしょう?」

「まったく。どうしようもない男ね。あれは……」

「あのね、もう時効だからいいと思うけどさ、崇さんって、柚木さんともしちゃってたみたいよ。」

「しちゃってた?」

「そう、セックス。知ってた? 柚木さんって元はデリヘル嬢で、崇さんはそのお客さんだったってこと。よくよく考えたらあの男、ほとんどみんなとやっちゃってるんじゃないの?」

「ひょっとして白岩さんとも?」

「さあ、それはどうか知らないけれど。あの女は怪しいわね。ほら、伏見さんの葬儀にも来ていたあのキャバクラで働いていた女……」

「ああ、たしかキララさんとか言ってたっけ……」

「そうそう、あの後キララさん、独立して自分のお店を出したのよ。それが障害者を優先的に歓迎するキャバクラで、バリアフリーやリクライニングのソファーを用意して、『障害者に必要なのは恋愛だ』とか言って、結構荒稼ぎしているわ。実はちゃっかりタカシも通っていたみたい。」

「知ってるわ。一度そのことを問い詰めたら『指南役だ』なんて言っていてけれど、本当のところはどうなんだろう? ちゃっかりキララさんとできてたってこともあるのかも……」

「なんにしてもあたし達、みんなタカシの被害者よね。」

「言えてる。でもしかたないのよね。」

「そう、『生きたい』という意思が男をそうさせるのよ。」

「伏見さんの言葉の受け売りね。」

「まったくそう。」

「それからさ、伏見さんお葬式に来ていたあの親子、誰だかわかったわ。」

「親子?」

「そう、あの脳性まひの患者で息子が車いすを押していた親子。」

「ああ、そういえば……」

「あの人、伏見さんの昔の恋人みたい。」

「え、じゃああの息子はもしかして……」

「ううん、それは違うわ、伏見さんと別れた後、別の人と結婚して生まれた子供らしいの。詳しくはこの手記を読めばわかると思うけど…… でも、あの親子はああして一緒に過ごせるようになったのね。とても素晴らしいことだと思うわ。」

「なんのこと言ってるのかわからない…… あたしも早くそれを読ませてもらわなくっちゃ。」

「でもさ、奈緒。しょうじき向井さんには驚いたわよね。」

「ええ、まさか本当に柚木さんと結婚するなんて……」

「あ、そういえば向井さんは柚木さんがデリヘル嬢だったってこと、知っていたのかなあ。」

「さあ、どうなんだろう? まあ、どちらにしても大して気にしてなんていないんじゃないのかしら……」

「向井さん、一途だからね。あっ、一途と言えば白岩さんのところも先日、妹を無事出産したらしいわよ。」

「まったく…… ベビーラッシュだわね。」

「ねえ、奈緒…… 一つ聞いてもいい?」

「なに?」

「あの時…… 伏見さんになんて言ったの?」

「あの時?」

「そう、伏見さんが息を引き取ったあの日、伏見さんの耳元でささやいた言葉……」

「ああ…… あれね。別に大したことじゃないのよ……」



 あの日…… 一度意識不明になった伏見さんは奇跡的に意識を取り戻した。まるで嘘のように元気になり、集まったみんなを一通り笑わせた。


「いやあ。それにしてもほんま。今日はみんなすまんかったなあ。もう、大丈夫やからみんな帰ってくれてええで。しっかり笑わしてもろうたから、今日はゆっくり眠れそうや。」


 その言葉でみんなは解散し、病室の伏見さんの傍にはわたしと奈緒だけが残った。

 しばらくして伏見さんの体調はまた悪化した。その時にわたしたち二人はもうだめなのだと直感した。今からみんなを呼び戻したところで間に合わないことを悟った。

 奈緒は伏見さんの傍に寄り添い、最後の瞬間を共に過ごすことを決意した。


「なあ、ボクの人生に価値なんてあったんやろか……」


 伏見さんがぽつりとつぶやいた。わたしはまさかあの伏見さんがそんな弱気な発言をするなんて思いもよらなかった……

「なにいってんの? 価値がなかったわけないじゃない……」


「そうやろか…… 奈緒ちゃん…… ボクは君に何にも残してあげられんのや……」


「そんなことないわよ。いろいろもらったわ…… それに…… これは言うと怒られかもしれないと思ったから今まで言わないでおいたんだけど……」


「ごめん…… 奈緒ちゃん、もう、よう聞こえんのや…… もういっぺんいうてや……」


 奈緒は伏見さんの耳元で何かを呟いた。

 もう今にもこと切れそうだった伏見さんが力ない声で「ははははははは……」と笑い出した。もう声が出なくなるまで笑いつづけ、奈緒に握りしめられていた拳がいつの間にかピースサインをしていた。


 そして、伏見一輝は息を引き取った……




「あの時、伏見さんになんて言ったの?」


「本当に何でもないのよ。ただ……」


「ただ?」


「『なにも残していないことなんてないわ、あたしはあなたから〝命〟を授かったのよ……』

そういっただけ……」

 言いながら奈緒は二歳になったばかりの息子、勇輝を抱きしめた。


「ねえ、ところでいつから二人はそういう関係になったの?」

「えーっとねえ…… 怒らない?」

「怒らないわよ。」

「じゃあ、言うね。それは…… それは明歩が旦那さんと再会した日……」

「え…… うそ…… だってあの日は……」

「もう…… 怒らないって約束でしょ……」

「だ、だって……」

「……でもよかった。あのひとが『死んでいくボクのことを好きになんてならない方がいい』なんてことを言わない自分勝手な人じゃなくて……」

「伏見さんはそれだけ〝生きたい〟と強く願った人だから……」

「うん、そしてこうして生まれ変わった。フェニックス一輝はあたしの息子として生まれ変わってくれたんだよ……」


―――ガチャリ。


病室のドアが開き、新たな見舞い客が入ってきた。

「ああ、悪い。ひょっとしてガールズトークの真っ最中だった?」

「ううん、あなたが気にすることなんてないのよ。あなたはわたしの旦那様なんだから……」

「ねえ、あたしの前であからさまにいちゃつくのやめてくれない?」

「あら、やいているの奈緒?」

「いいから明歩は早く元気な子供を産んでおかみさんに復帰しなさい。」

「人使いの荒い仲居さんね。」

「仕方がないじゃない。うちは小さな民宿なのよ。」

「……ですって、卓ちゃん。」


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それでもイキタイ理由 水鏡月 聖 @mikazuki-hiziri

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