洗髪小話

@doff

第1話

若の髪は柔らかい。





ーーと思う。恐らく。


月の中盤にもなると必ず繰り広げられる光景に、幾度目ともしれない視線をこっそりと向けながらグラディウスは1人納得した。





王宮がホームになってからの一年は、それこそ光の様に過ぎた。

国王となったドフラミンゴほどではなかったが、ファミリーの面々もあらゆる事務処理に追われ、やっと国としての外殻をどうにかこうにか形成し始めたところだった。


がむしゃらに働いて気づけば一年を過ぎた頃、長期任務でどこかに赴いているらしいヴェルゴが、ふらりと帰ってくるなり開口一番こう告げた。


「ーーードフィ。その髪はどうした。」





ドレスローザの日差しは、ノースブルーを拠点にして来たファミリーにとっては強過ぎるもので、俺たちの髪や眼や肌を容赦なく照りつけ灼いた。


海に程近いこの街は、豊富な海産物の恩恵により貿易業も発展を見せ、空が白んでくればウミネコと共に市場も賑わいを見せる。

カラッとした気持ちの良い潮風と馬鹿みたいに明るい太陽は、陽気な国民性を育てたが、同時に異邦人にはささやかな洗礼を与えたのだった。


常時厚手長袖で露出が極端に少ない自分には、正直「暑い」程度であまり関係の無いことだったが、若にとっては例外ではなかった様で、着任当初は長時間外出の度に肌を赤くして帰り、ちりちりと痛む薄皮によく舌打ちをしていた。

鼻頭の皮が酷く剥けて、ベビー5にアロエのスライスを用意させたり、余りに強い日差しの日には上空を飛ぶバッファローに日除けをさせていたこともある。


ーー常に側にいる俺には気づけない、密やかな変化を遂げてしまっていたんだろうか。

ヴェルゴさんの口調からして、悪い方に。


最初は短くなってしまった髪の長さについて物申しているかと思ったが、どうやら違うらしい。


なるほど、言われてみると若の髪は日に焼けて、少しパサついている様で。




翌日仕事を終えて戻ってみると、王宮の一室に当然のように専用の洗髪室が出来ていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「ドフィ、今日はこれを使おう」



あれ以来、月に一度は必ず帰省するようになったヴェルゴさんは、帰る度にどこで見つけてくるのか新しい種類のケア用品を洗髪室に持ち込んだ。


一面真っ白な大きめのタイルで覆われた清潔な空間に、一枚の大きな窓。

同じく真っ白な革貼りのチェアと艶やかな陶器のシンク、洗髪具を置くサイドテーブルしか無かった部屋には、いつの間にか大小様々な形のガラス瓶が立ち並び、簡素さを保ちつつも、さながら街で見かける露商の様な風体に様変わりしていた。


俺も何か、と思い、このところは柄にもなく花を用意してみている。何も言われないので邪魔には思われていないようだ。


「ーー好きにしろ」


もともと髪の状態なぞに大して関心のない若は、気のない返事をする。

けれど大人しく、白い椅子に仰向けに沈み込んで静かに目を閉じた。


背をゆっくりと倒し、シンクの淵に首を乗せ、

柔らかいコットン素材の布をふわり、と額から真っ直ぐに伸びた鼻梁に掛ける。

それから大きな手を短い髪に絡めて撫ぜる様に感触を確かめる。

くすぐったそうに口元がひくつくのを気にも止めずに全体を見た後、ヴェルゴさんの眉間は不機嫌そのものに形どられた。


「髪を洗ったら用意してあるトリートメントを使えと言っているだろう」


「…ああ、忘れていた」


なおざりに色よい返事はするものの、それが実行に移されない事は分かっていた。

決して口にも態度にも出さないが、若はこの時間を密かに楽しみにしている。

わざわざヴェルゴさんの帰省の原因を解消してやる理由がないのだ。


今日持ち込まれた土産はアラバスタ産の品で、性別を問わず現地で人気のものだ。

砂漠の乾燥地帯で使われているのだから効果は絶大だろう。

アラバスタ砂漠西部に生育するヤシによく似た木は、別名「神の恵みの木」と呼ばれ、生命力と貯水力に富んだ木だ。オリーブの様な明るいイエローグリーンの実からは希少なオイルが採れ、それが乾燥地帯で不足しがちな髪や肌の水分を保ってくれるーーー

というのは全てヴェルゴさんの受け売りだ。

俺がこんなに美容に詳しい訳が無い。


若は上っ面な情報を信用しない。

どんな些末な事でも事象の分析は徹底する質だ。

それは尊敬に値する気質ではあるけれど、こういう時は厄介だ。

使用を納得してもらうため持ち込む品の裏は必ず取って来なければならず、意外とそれが骨を折るんだ、と先月ヴェルゴさんが独り言ちていたのを思い出す。

俺にはなんとも似つかわしくない類の話ではあるけれど、この部屋で語られる話は嫌いではなかった。


ただ「神の恵み」という謡い文句は、きっと、恐らく、若が好まないのでこの人は口にしないのだろうな、と思いながら、今にも始まりを告げようとしている洗髪タイムを余さず観察する事にした。




 まずお湯の温度。


水温を手で確かめてから、適温でざらついた髪を優しく洗う。

ドレスローザの乾いた風は埃も塩気もふんだんに含んでいる。

それをしっかりと落とす。

白っぽい焼けたブロンドは、濡れると少し黄味が増して、見た事はないけれど、雨の日のずぶ濡れのヒヨコの様にも見えて、気づかれない様にそっとマスクの下で笑みを漏らした。



 次にシャンプー。


しっかりと手の中で泡だててから髪につける。

生え際から頭頂部、後頭部、耳の後ろ。余す事なく洗う。

頭皮と指先の擦れあう音が、泡の混ざりあう音と相まってシャワシャワと小気味良い。

されるがままの若の頭が、指の動きに合わせて微かに揺れている。


当初こそ「痛え」だの「耳に水が入った」だの文句を言っていたが、機嫌のすこぶるいい時の若は、最近では小さく鼻歌まで口ずさむようになっていた。骨張ったスラリと長い中指が、とん、とん、とゆっくりと肘置きを叩き調子を取る。

ヴェルゴさんも知っている曲の時は、一緒になって小さく歌った。



 それからトリートメント。


額についた泡をしっかり落としてから、少しぬるついた液を髪全体に広げる。


「...ん」


気持ちがいいのか、小さく喉が鳴る。


時折思い出した様に吹き込んでくる初夏の風が、透けた白いカーテンに命を吹き込んだ。


窓から差し込む淡い光がしんなりとしたブロンドを刺し、並んだガラス容器に入った色とりどりの液体に、ちらちらと乱反射する。

窓際に飾られた花に目がいって、何とも言えない感情が胃の辺りまで満ちてくる。

ノースブルーの森に生えていた針葉樹林の木漏れ日を見あげたときの感覚と、よく、似ていた。



 最後はオイル。


掌に一滴、指の股まで広がる様になじませて、体温にまで温める。オイル、という割には思いの外サラサラしている様に見えた。

こめかみから首にかけてマッサージしながら金糸に浸透させる。

同時に、少し甘い香りがふ、と鼻先を掠める。

香油の事はよくわからないが、これが若のために誂えられたモノだという事だけは分かった。

よく付けている香水と似た匂いがする。

じんわりと愛おしげに頭を包みこむその手つきは、何故だか神聖な儀式にも思えて、思わず目を伏せた。


途切れ途切れの鼻歌は、ウトウトとしている証拠だ。

そうなると、ヴェルゴさんはいつも完全に声が途切れるまでオイル時間を延長する。


若がもぞ、と身じろげばヴェルゴさんも動きをピタリと止め、しばらく様子を見てからまたそろそろと指を滑らす。

そんな事を繰り返した。


外界から隔離された小さな部屋に流れる時間は、驚く程静かで。



いつの間にか、肘置きを叩く音はやんでいた。




「ーー寝たか?」



返事を待つ事もなく顔を覆った布を外し、額にそっとキスを落とすと、ちらりとこちらを一瞥してから何を言うでもなく部屋を後にした。


それは洗髪タイムの終わりを告げていて

とり残された若の、無防備な横顔と静かに上下する胸が、唐突に現実味を帯びるのを感じた。



俺は、この瞬間が、好きだった。



ここにいる事を許された自分は、何の疑いようもなく万が一に備えた壁なのに。

それでもこの与えられた時間を、いるとも知れない神に感謝しなければならないと思った。

神なんてものは、自分にとってはこの人に他ならないのだけれど。



定刻まであと少し、

煮詰めた飴色だった髪はすでに乾き始めている。

風を受けてさわさわと微かに動くそのブロンドは、

ほんの1時間前より確かにーーー、

輝きを増しているように見えた。



つづく

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