第38話

第三十八話「脳」


 あれからずいぶんと時間が流れた。脳科学研究所では……。


「オカチマチ君、これで本当にいいのか?」

「私の選択です」

「あれほど忠告したはずだ」

「それより、人類と地球の未来を考えましょう」

「君の助けはありがたいが……」

「マリアさん、ダナさん、イブシステムとアナンシステムを私につなげてください」、オカチマチはマリアとダナに言った。

「成功すれば、最強の頭脳になるわね」、マリアが言った。

「地球上のあらゆる現象が解明できるだろう」、ダナが言った。

「私の分析が正しいのか、検証してくれたまえ」、ゼロが言った。

「たとえ、間違いでも、彼らはいつでも誕生できるようにしています」

「人間の生体は地球に悪影響を及ぼす」、マリアが言った。

「だが、人間の意識的存在を残さなくてはならない」、ダナが言った。

「それを可能にするには、この方法しかありません」、オカチマチは言った。

「作動させてくれたまえ」

「はい」とマリアとダナが同時に言った。

 マリアはイブシステムを搭載した左側のコンピュータのデスクの前で、キーボードを叩いた。ダナも同様に、右側のアナンシステムを操作した。二つのシステムの間の巨大なコンピュータの中央上段には、赤い液体の入った水槽がある。

「オカチマチ君、準備はいいか?」、巨大コンピュータの前のデスクにいるゼロが言った。

「はい」、水槽の両脇のスピーカーからオカチマチ博士の声が返事をした。

「OEAシステム作動!」、ゼロはデスクのエンターキーを押した。

 水槽の赤い液体に浮かんでいる人間の脳が静かに揺れ、小さな気泡を出し始めた。脳はやがて小刻みに震えだし、右脳と左脳が交互に膨張と収縮を繰り返した。

「うぐがっぐぐーっ!」、スピーカーからはオカチマチ博士のうなり声が聞こえた。

 やがて、水槽の脳の振動はゆっくりとなり、気泡の排出が止まった。

「オカチマチ君、大丈夫かね」、ゼロが脳に向かって尋ねた。

「衣舞、阿南博士、お久しぶりです」、スピーカーからオカチマチ博士の声が聞こえ、脳の入った水槽の液体が青い色に変化した。


 時を同じくして……。

 脳科学研究所の地下室、巨人は懸命に水槽を磨いていた。右側の水槽を終えると、左側の水槽に、左側の水槽を終えると、右側の水槽にと何度も何度も磨く作業を繰り返した。

「ゼットは働き者だね」と白いサルが言った。

「バト、怠け者のあなたはよく見習いなさい」と白いウサギが言った。

「メイだって、お掃除しないじゃないか!」と白いサルが言い返した。

「私は自分磨きで忙しいのよ」と白いウサギが反論した。

「ねえゼット、いつになったらイラムはそこから出られるの?」と白いサルが左側の水槽を見ながらゼットに聞いた。

「私も早くヒカジに会いたいわ」と白いウサギが右側の水槽を見て言った。

 ゼットは作業をやめて考えこんだ。そして、白いサルを肩に乗せ、白いウサギを左腕に抱え、パチンと指を鳴らした。


 暖かい日差し、いつもの公園、いつものベンチ、ピンク色の花が舞い散る午後の風の中。ひとつのベンチの真ん中には巨人のゼットが座り、左側の隣には男、右側には女が、それぞれゼットにもたれかかって眠っていた。男はボサボサの髪にヨレヨレのスーツ。女は首に赤いバンダナを巻いていた。ゼットはもう一度、パチンと指を鳴らした。

「何か言った?」と男は目覚めて、隣の女に聞いた。

「あなたが何か言ったのよ」と女が目覚めて返した。

「君の名前は?」と男が女に名前を聞いた。

「私の名前? わからないわ」と女が答えた。

「自分の名前も知らないのかい?」

「そういうあなた、お名前は?」

「えーと、なんだっけ?」

「ふふふっ!」

 ふたりはお互い顔を見合わせて笑った。

「さぁ、うちへ帰ろう」と男は立ち上がって、右手を出した。

「どこへ帰るの?」と女は左手を出した。

「過去かな?」

「未来かも?」

 ふたりは手をつないで歩き出した。そして、誰もいない公園の桜並木のトンネルを抜け、町の中に消えた。



おしまい

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デンキジカケのユリカゴ 日望 夏市 @Toshy091

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