第37話

第三十七話「めざめ」


 伊良夢はユリカゴの中で眠っていた。彼は二つの世界の夢を見た。現実の世界で母と犬と暮らす夢は、これまで彼が生きてきた回想のように脳を巡った。もうひとつの夢は、シェルターの中で人工頭脳とロボットと暮らす夢。誰もいない閉鎖空間での生活は、脳の回路が作り出した無意識、あるいは意識的な創造物。浅い眠りの中で、伊良夢の脳は二つの映像を交互に映し出した。目覚めれば夢は消える。覚えていたとしても、それは夢に過ぎない。


 伊良夢は目覚めた。新しい命を吹き込まれたような、清々しい目覚めだった。ユリカゴのシールドが開いた。伊良夢は思い出した。階段から落ちて、ゼットがユリカゴまで抱きかかえて運んだことを。痛みはすでに消えていた。やはり、自分はブレイノイドだったのだと実感した。

「目覚めたのね」

 誰かが伊良夢に言った。目の前に女の子がいた。

「ヒカリ!」

 伊良夢は体を動かそうとしたが、思うように動かない。

「無理に動かさないほうがいいわよ。生まれたばかりなんだから。一週間で自由に動くようになるわ」

「ヒカリ、どこにいたんだ?」

「私は一カ月早く生まれたの」

「生まれた?」

「あなたが目覚めるまで、ここのシステムを調べていたわ。私のと少し違ってるの」

「みんなはどこ?」

「それが、バトもメイもどこを探してもいないのよ」

「バト? メイ?」

「ゼットもゴーストも消えちゃったのよ」

「誰だ?」

「イラム、まだ少し眠ったほうがいいわね。記憶がまだ戻ってないみたい」

「母さんと阿南博士、それから伯父さんはどこにいるの?」

「母さん? マリアのこと?」

「ヒカリ、僕の母さんは衣舞だよ」

「ヒカリ? 私はヒカジよ」

「ヒカジは『YURIKAGO 』での名前だよね」

「え? ちょっと待って、あなた、まさか……」

 ヒカジはコンピュータのキーボードを叩いた。画面にはブレイノイドに関する様々な情報が流れた。

「イラム、あなた、記憶をなくしているわ」

「記憶はちゃんとあるさ。僕は伊良夢だ。君は阿南ヒカリ」

「違うの。私はヒカジなの。あなたはブレイノイドに生まれ変わって、元の脳の持ち主の記憶を持っているんだわ」

「君はヒカリじゃないのかい? でも、ヒカリにそっくりだ」

「たぶん、私の体はあなたの友達の培養細胞なの。記憶システムが違うのよ」とヒカジはコンピュータを操作しながら言った。

「そういえば、ヒカリがそんなことを言ってた。セルフブレイノイドは記憶が残るんだ。ミックスは別の人間の脳で、記憶データを移植後に書き換える必要があるって」

「なんですって! もしかしたら、私とイラムは脳の培養に使われていただけかもしれない」

「どういうこと?」

「私たちはシェルターの中で、隔離されて育ったの。ブレイノイドの体の培養は水槽の中でも可能だけど、脳の水槽培養は不可能ってこと」

「君たちの体を借りて、脳を育てるってことか」

「そう。育った脳をブレイノイドに移植して、元の人間の記憶に書き換えるのよ」

「君の友達の記憶を僕の記憶が消してしまったんだね。ごめんよ」

「もしかしたら、ヒカリさんの記憶を私が……」

「でも、君はヒカリにそっくりだ。笑い方や仕草まで」

「あなたもイラムにそっくりよ。優しいところまで」

「とにかく、僕らは生まれ変わったんだね。ブレイノイドは人類滅亡を逃れるために生まれてきたんだ」

「そうね。私とあなたで、この世界を守っていくしかなさそうね」

「ねえ、ヒカジ、君の友達のイラムのことを教えてよ」

「もちろん。ヒカリさんのことも知りたいわ」

「うん。ことシステムのことも調べよう」


 二人は投げ出された新しい世界を受け入れた。過去なのか未来なのかもわからずに。人類はすでに滅亡してしまったのか。それとも、これから人間の世界が作られるのだろうか。

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