第14話 ジョンレノンは、メシアなのか。
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夢見る人に過ぎないと僕のことを思うかもしれない。だけど、ぼくはひとりぼっちじゃない。
「イマジン」の歌詞より
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こどもの頃、イギリスのロックバンド・ザ・ビートルズが流行した。といっても、ビートルズを同時代として経験したのではない。
ビートルズの武道館公演は伝説として知っているに過ぎない。
その興味も長らくは、前座として登場したのが日本のコミックバンド・ザ・ドリフターズだった。
ビートルズの偉大さに気がついた時、すでにビートルズは解散していた。
したがって、ビートルズついて、私は歴史を紐解くように、否、教典に接するが如く学んでいった。
リバプールでのジョンとポールの出会い。
そして、キャバン・クラブでのライブ。
アメリカの人気テレビショーで紹介されると、人気は沸騰し、英国に凱旋。
創作活動の中で、ジョージはインドの精神世界に傾倒。
ジョンはオノ・ヨーコと出会う。
ヨーコはジョンに「息をしなさい」と言い放つ。その言葉に衝撃を受けたジョンはヨーコに心酔する。そして、ヨーコはビートルズ解散の原因となった。
ビートルズのエピソードはゴシップ的な興味だけではなく、創作活動にもつながっていた。ビートルズの歌詞はラブソングばかりではない。この世界や人間存在に関する深淵な世界が広がっていた。
人間の〈存在〉、この世界の不思議について語ることができる。それは、ザ・ビートルズがあってこそである。
はじめて同時代人として、ビートルズの曲を聴いたのが、ポール・マッカートニーとウィングスの「007 死ぬのは奴らだ」のテーマソングであり、ジョン・レノンの「イマジン」である。
ポール・マッカートニーは詩も書くが基本的に作曲家だから、音楽家である。だが、ジョン・レノンは作詞家であり、詩人。哲学者だ。
そんなジョンが、人生の半ばで突然の死を迎える。
ニューヨークの自宅、ダコダハウスの前で凶弾に倒れた。1980年のことである。
当時、息子のショーンは、
「パパとママは世界が平和になれると頑張ってきたけど、結局、ダメだったね」
とヨーコに言った。
ショーンの子育てはヨーコの祖国・日本でも行われた。避暑に訪れた軽井沢でジョンたちの家族を見た人は多い。
子育てが一段落すると、ジョンは再び本格的に音楽活動を開始する。
世界的なポップスターがバンドを解散して、平和活動を行っていた。その挫折の中で息子の子育てに熱中すると、家族の大切さに目覚める。
「ダブル・ファンタジー」
「ウーマン」
再び音楽で、世の中を変えようと活動を開始したジョン・レノン。
それがたった一人の男の銃弾によって挫折する。
ユダの裏切りによって磔刑にされたキリストと相似形を成している。ジョンの突然の死は、メシア(救世主)の生涯を完結したように、私には感じられた。
ブッダやキリストやマホメットの生涯と比べることはできないが、奇跡が起きにくい現代において、ジョンが経験したことは、まさしく奇跡といってよい。ポップスターとしてのワールドツアーは「巡礼の旅」。ヒット曲は「教典」であり、コンサートは「ミサ」。観客は信者である。
その彼が人生の半ばで早世した。これも奇跡の一つだとするなら、ジョン・レノンはメシア(救世主)といってもよい。
数千年に一人の割合でメシアが出現しているなら、そろそろ新しいメシアが訪れるとともに、新しい時代が訪れる時期ではないか。
一人の人間の生物学的な死から、私の夢想はとてつもなく広がっていく。
1980年頃はモダニズムの最晩年。当時の私は義務教育を終えた直後だったから、学校教育で刷り込まれた「コギト(考える個)」への敬意を捨ててはいなかったし、「人類は進歩する」と素直に信じていた。
処女が懐胎するというありえない話を西洋ではほとんどの人が信じているのは不思議だったが、あえて否定することもあるまい。そもそも科学と宗教は別のジャンルなのだ。
そう思いこむことにして、キリストの復活のようなことが、どうやって起きるのか。遠い地・ニューヨークでのジョン・レノンの死を思いながら、2000年前に人類が体験したことを、自分が体験できるのではないか。私は興味津々、ワクワクしていた。
ジョン・レノンの名曲「イマジン」。
この曲の主旨は「みんなで平和を想像(イマジン)しよう」というもの。
ユングの集合的無意識に関連した心理学のある実験では、大量な人が「ある思い」を共有すると、それとはまったく関係のない人たちにも「その思い」が共有されるのだという。
人間にも、ミツバチと同じような意志疎通のための経路がある。ジョン・レノンの「イマジン」は、それを使って、世界平和を達成しようとしている。ジョン・レノンは「祈り」や「願い」を越えて、パラダイムシフトを起こそうとしているのではないか。
ジョンの肉体は滅んだとしても、ジョンの思い・願い・スピリットが復活することは不可能ではない。とすれば、それはどんな形をもって実現するのか。私は期待していたのである。
そして、二十年以上が経過した。
アクエリアスの時代に何も変わらなかったように、1999年7月に恐怖の大魔王がやってこなかったように、何も起きない。何も変わらなかった。
○
小田切に教えられた陰謀論でも、ザ・ビートルズは語られている。
イギリスやドイツでライブをやったがまったくの無名のバンドが、突然、アメリカの人気テレビショーに出演する。テレビ出演の効果があったのかアメリカ公演は大成功。そして、イギリスでも人気が沸騰する。
ザ・ビートルズは、メディアがつくったアイドルだった。
ロックコンサートでは秘密裏に麻薬(LSD)が配られ、ハイになった若者たちがメディアで報道され、彼らの人気の凄さと勘違いされた。
この時期、実力派のブルースミュージシャンが謎の死を遂げているが、それをビートルズのブレークとともに陰謀論にしたてあげる論者もいるという。
ジョンの死後、オノ・ヨーコはジョンが残した莫大な遺産で、慈善事業家として活動した。だが、戦争反対を叫ぶありふれた大金持ちにすぎない。
思えば、オノ・ヨーコの祖先は、東京大学に安田講堂を寄付したことで知られている。改めて言うまでもないが、東京大学は日本を西欧化・モダニズム化をすすめるための「洗脳機関」である。
〈彼ら〉のために講堂を寄付した祖先を持つヨーコと、〈彼ら〉によってポップスターになるも、バンドを解散して、平和運動に邁進したジョン。二人を結びつけた「縁」は、とても興味深い。
○
この小説は、「ジョン・レノンはメシア(救世主)だったのか」とタイトルして書き始めた。だが、ジョン・レノンはメシアではなかった。
そのことは、「私はメシアである」と名乗ることや、信者たちに「彼はメシアだ」と言わせることよりもマシである。
とはいえ、ある人がその人のことを「彼はメシアだ」と信じるならば、「彼は(少なくともその人にとっては)メシアである」。メシアとは、そういう構図なのだ。
したがって、今からでも、ジョン・レノンがメシアになる可能性はゼロではない。私が狂信者なら、ジョン・レノンはメシアに仕立てることも可能である。
実際、殺人者マーク・チャップマンにとっては、ジョンはメシアだったに違いない。「ジョンが死ぬこと」によって彼の妄想が解かれたのだから。
○
この創作において、私が何を書こうとしたのか、読者諸氏は理解しているだろうか。
それは、この世界がどのような構図になっているかであり、この私の心はどうなっているかである。
それは、物語を紡ぐことよりも、重要だと私に思えた。
ここに書いたことは、虚構も含めて、すべて真実である。
何故なら、すべては神経回路を伝わる電気信号なのだから・・・。
(以上)
ジョン・レノンは救世主 (メシア)だったのか スポンタ中村 @sponta
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