11
正直な話、升野を異性として見たことはなかった。
双子の妹がいたらこんな感じなのだろうと思っていたし、俺にとって升野は、『男女間の友情は成立する』という主張の根拠でもあった。
俺の表情を見てすべてを悟ったのか、升野の口を衝いて出たのは諦めの台詞だった。
「好きな男が、存在もしない女の幻影を追っているのは、しんどいな」
升野は、はっきりと、俺の目を見据えて言った。
「あまりにもつらい」
俺は困惑するほかなかった。答えを出す以前のレベルだった。
俺はそこに『問い』があるとさえ思っていなかったのだから。
「だけどお前、今までそんな素振り——」
見せてこなかったじゃないか。
「やめてくれないか。それじゃ私が惨めになるだけだ」
俺は何か言葉を掛けたが、升野は俺を遮って言葉に言葉を継いだ。
「私が何の為にお前のそばにいたのか」
「まさか気づいてさえいないとは侮ったよ」
「私はお前の恋人になりたかった」
「私はお前の一番になりたかった」
「私はお前の隣人でありたかった」
「その可能性を上げるためにお前とともに居た」
「まさか裏目に出るとはな」
「あんまりじゃないか」
「勘違いしてしまうじゃないか」
「馬鹿野郎」
「私の気持ちはどうすればいい?」
「好いた男が存在もしない女の為に涙を流す様子を——」
「どんな顔で……見ればいい?」
そう問いかけた升野は、さっきの俺と同じ顔をしていた。
——鏡だ、と思った。
俺と升野は、恋人になるには似すぎていたんだ。
×
俺と升野は、どちらともなく公園のベンチで隣り合って座った。
それから随分と長いこと、互いに沈黙した。
今この状況にふさわしい話題が思い浮かばない。少なくとも、俺から升野に掛ける言葉はなさそうだ。
「恋と愛の違いについて、考えたことあるか?」
沈黙を嫌ったかのように、升野は俺に問うた。
しかし俺は愛と恋の違いについて考察したことなどなかった。
「愛は真心で、恋は下心——なんて、よく言われるよな」
「それはお前が自分で考えたのか?」
「いや」
「だったら言うな。それは、何も言ってないのと同じだ」
一般論でお茶を濁そうとしたが、升野は許してくれなかった。
「そういうお前には考えがあるのか?」
「勿論ある」
升野ははっきりと言った。俺が無言で促すと、升野は滑らかな口調で続けた。
「愛と恋の違いは、私たちが『愛』と『恋』を別のものとした瞬間から、その違いは何かを考えるためにある」
「はあ?」
思わず聞き返してしまった。
「もうちょっとわかりやすく言ってくれ」
「つまりだな、『愛』と『恋』という個別の純然たる概念が先立っているのではなく、『愛』と『恋』の違いなど毛頭わからぬ奴が、あたかも別物であるかのような二つの概念を作ってみせたということだ」
「……そんなことをして何の意味がある?」
「誰かが答えを出してくれるのを期待してたんだろ」
升野は嘆息し、肩をすくめた。
「もしくは、『愛』と『恋』の違いを考えることそのものに意義を見出した、と」
「…………」
俺はショートしそうな思考回路で、ギリギリ升野の話を噛み砕いた。
しかし——
「でも、それじゃあお前の答えになってないだろ」
「うん?」
「愛と恋の違いだなんて恥ずかしいこと、俺にだけ発表させようとしやがって」
「バレたか」
升野はペロリと舌を出した。
ショートボブの黒髪を揺らして、「えへへ」と笑う様子を見て、俺は初めて升野の中に異性を感じた。
——本当に、その瞬間に初めて、升野の髪色が艶のある黒で、髪型がどことなくサブカルっぽいショートボブの『女の子』であることをありありと理解したのだ。
「私はこう思うんだ。愛と恋の違いは——」
そして、初めて俺は升野のことを、
「愛は『これは恋だ』と信じることで、恋は『これは愛だ』と信じることなんだと思う」
可愛い、と、思ってしまったのだ。
「……ありがとう、升野」
言いたいことはよく分からなかったけど……。
「うん?」
何が? とまたいつものいやらしい笑みをこぼす升野。
いつもの升野だった。
俺に告白する以前の升野だった。
升野の言葉を借りるなら——恋愛とはつまり、〈信じること〉なんだろう。
俺はナニコを信じたい。
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