第8幕 やがて成層圏の彼方に

決戦の幕よ、いざあがれ

「ゲオルグ、記憶は完全でしょうね……?」

「……ああ」


 玉座から、翼持つ少女が睥睨へいげいするその場所で、ヘレネーは隣の男──星の雫本体であったゲオルグ・ファウストに確認を投げる。

 屍人の女王から視線を切らないまま、首肯を返すゲオルグに、彼女は重ねて尋ねた。


「あんたの右腕は、どこ?」

「バーンアリスが生まれなかった前回の世界再構築リ・バース。そのあとに、ツェオをネクロイドにするため使ったようだ。俺の記憶に対し、ツェオが制限をかけていたため、己自身の扱いに不案内だった。彼女をそうするには、腕一本では対価として安すぎた」


 彼の言葉に、ヘレネーは鼻を鳴らして笑った。


「でしょうね。それでも、慧可珪素症候群を内包できるネクロイドという奇跡は生まれた」


 ヘレネーの言葉が気に食わなかったのだろう、玉座から注がれるツェオの視線に、険しさが増す。

 高位情報知性体は、それを気にせず会話を続ける。


「まあ、思い出しているなら十分よ。こいつは、サービスにしとくわ」


 そう言うと、彼女は右手を真横につき出し、まるで空間の向う側を漁るようにしてなにかを掴みとった。

 そうして、それが現実空間へと引きずり出される。

 全長は180センチ超。

 無骨な彫金と、細部を彩る金と緑の模様。

 上蓋に刻まれるのは十字架ではなく、星の上に芽生える樹木を現す刻印。

 それを見て、ゲオルグは目を丸くする。

 複合調律解析機ターン・アーク

 ほんの数日前まで彼が愛用し、そして失われたはずのそれが、新品同然の美しさでそこにあった。


「ツェオちゃんは、まだこれの重要性に気が付いていない。だからあたしは、わざわざ発掘して修復してきたのよ。間違いなく、こいつはオリジナル。あんたのものよ」

「……ありがたい」


 CRAを受け取ったゲオルグは、それを右手で構える。

 ずっしりとした重みが、彼に不思議な安心感を与えた。


「強制的に過充電しているけど、全力の電磁照射式弾体加速は2回が限度。エメト・オリジンはいま、ツェオちゃんの管理下にあるから電力の強奪も出来ない。執行者を取り込んでアンプルが弱点でなくなっている以上、レールカノンは唯一無二の切り札よ。使い所を誤まらないでちょうだい」

「2回か」

。ターン・アークは始まりにして終わりそのもの……ゲオルグ、あんたは〝物語〟を信じる?」


 唐突な話題の転換に、ゲオルグは視線をツェオから切らないまま片眉を上げた。

 彼の瞳には、それだけですべてを殺戮できるような眼差しの少女が映っている。


「大団円なら、信じてもいい」

「ロマンチスト」

「うるさい」

「いいえ、それならばいいわ。よく聴いて。。あなた以外に、星の雫以外に、この世界を始まりから終わりまで観測している概念はない。月種ですら、それは出来なかった。だからね、ゲオルグ」


 かつて、月種の女王であった存在。

 ヘレネー・デミ・ミルタ。

 現生人類すべての生みの親である彼女は、そのときのみ、儚い笑顔を浮かべ、その事実を開示した。


「あんたがこれから行うことが、すべて。それがどんな形でも、あたしが誰にも、文句は言わせないから」

「…………」

「だから、思いっ切りやりなさい。条件は有視界。可能なら接触距離。相手が意識に空白を持っていれば、それが最上よ」

「ああ……わかった、ヘレネー」

「よし。じゃあ、いっちょ──やってやりますか!」


 そう啖呵たんかを切って、彼女は胸のまえで拳を打ち鳴らした。

 彼らのやり取りをただ黙って、ジッと睨み続けていたツェオは、ようやく、


「終わりましたか?」


 と、冷たい口調で呟いた。


「もっとお話していて、いいのですよ? 長引けば長引くほど、私の処理能力は上昇していきます。それこそ、月種に届くほどに」

「それは無理よ、あれはいろいろ異常だから」


 いまこの瞬間、まさに放たれんとする弓矢のように身をたわめるヘレネー。

 その顔には、勝気な笑みが浮かんでいたが、ふと思い出したように表情が変わる。

 彼女は、玉座の主へと問いかけた。


「ところで、ここまで来るのに4000体以上のネクロイドと遭遇したのだけれど──あれ、どうしたわけ?」


 ヘレネーの問いかけに、ツェオはきょとんと眼を丸くし。

 ややあって、表情をゆがめ、嗤った。

 口元をいびつに、目を半月のように細めた彼女は、これ以上ない邪悪な笑みをたたえて、返答したのだ。


「……メフィストにたかる塵芥ちりあくた如きに、配慮する必要がありましたか?」

「あ、そ」


 ヘレネーの顔から、一切の感情が漂白されたかのように抜け落ちた。


「──!」


 ツェオは瞬きすらしなかった。

 意識に空白すらつくらなかった。

 にもかかわらず、彼女が認識したとき、ヘレネーは背後にいたのである。

 振り下ろされる、組み合わされた両の拳。

 ツェオは翼を打ち鳴らし、その場から急上昇。攻撃を回避する。

 玉座へとめり込むヘレネーの拳。

 爆発したかのように玉座が、一気に破壊される。

 吹き付ける爆風と塵埃じんあい


 ゲオルグもまた、動き出す──

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