はじまりの〝島〟で

 ツェオの姿は、ゲオルグが最後に見たときとは大きく変わっていた。

 ボロ布とベルトで固定されていた衣服は、清潔で清廉な印象を受ける、幾つものレースが縫い付けられた純白のドレスへと変貌している。

 またその背中からは、むしのものとも鳥類のものともつかない翼のようなものが3対6枚生えており、ほろほろと美しい羽根を舞い散らしていた。

 彼女の周囲には、臀部から生えているらしい尻尾が、取り巻きのように蠢いており、まるで天体をめぐる箒星ほうきぼしのようでもあった。

 銀髪は透き通るほどに輝き、瞳では地獄のように複雑な色彩が渦巻いている。

 もっとも異なるのは、その表情の有無であろうか。

 かつて無機質であり続けたそこに、いまは自然な微笑みが宿っているのだ。

 そうして、いまのゲオルグにはわかる。

 彼女はエメト・オリジンから、膨大な規模の電力と演算リソースを強奪しているのだった。

 ゲオルグは、憂いに満ちた声音で呟く。


「執行者を、喰ったのか」

「はい。それ以外に、呪縛であるメフィストを破却するだけの出力を得る方法が、ありませんでしたから」

「おまえは、なにが許せなかったんだ」

「メモリーが失われること」

「俺が、おまえをネクロイドにしたからか」


 その否定だけは力強く、彼女は告げる。

 浮かべていた微笑みも消して、彼女は続ける。


「私が赦せないのは、あなたが己をてようとしたことです」

「……俺は」

「……そうですね。あなたはただ……。すぐにほかのことが目に入らなくなってしまう、おっちょこちょいなだけ」

「────」


 口を閉ざすゲオルグに、ツェオは再び微笑みかけた。

 そうして、両手を広げて周囲を示してみせる。


「覚えていますか? あなたの生まれた場所を」

「ああ、もう、忘れない」


 彼の瞳に映ったものは、ある意味では悲劇そのものだった。

 世界樹──エメト・オリジンの内部。

 そこにあったのは、壊された幾つもの棺だった。

 壁面いっぱい、構造体の大部分を占める膨大な数の棺桶。

 複合調律分析器CRA──ターン・アーク。

 世界のすべてを観測し、そのすべてをもって、たったひとつの存在を生みだし、管理する為だけの禁裏の箱アーク

 何百、何千年に渡って無数の人類が思い求めた、奇跡の象徴。

 それは──


「あなたが生まれ、あなたが還る場所。そして」

「おまえが、守り続けたもの」


 こくりと、少女は頷いた。

 庭園騎士、或いは鋼の騎士。

 その名は常に、少女と共にあった。

 彼女が産まれ堕ちた瞬間から、遥か悠久の過去、月種がその存在を観測し、設定した瞬間から。


「私は……あなたのびとだったのです」


 それが、すべての答えだった。

 ツェオ・ジ・ゼルは、ゲオルグ・ファウストを守護するためだけに存在し、彼を手に入れようとするすべてのものを殺戮してきた。

 この場所──で、守り人を続けてきた。

 何故か。

 それは彼が。

 ゲオルグこそが──


「俺が──〝星の雫ティア・ドロップ〟だったから」

「────」


 その解答に、今度は、ツェオは頷かない。

 その双眸を、悲しげに歪めるだけだ。

 ゲオルグはゆっくりと瞑目し、頭の中によみがえった〝忘却〟のすべてを、閲覧する。

 それは、争いの歴史だった。

 彼を求めて、人類は争い、そしてツェオの手で殺されてきた。

 この庭園で実った彼という果実を巡って、数多の争いが行われてきたのだ。

 そして、ツェオはそのすべてを殺戮し尽くしてきたのである。

 彼を喰らい込めるために殺到したすべてを、彼女は皆殺しにしてきたのである。

 今回も同じだと、ツェオは言う。


「同じです。あなたを守るために、今度こそ完全に守り切るために……私は、エメト・オリジンを破却し、この世界を閉じるのです。根本的に……人類を、滅ぼすのです」

「これまでも繰り返してきたことだ。そんなことをする必要は、ない」

「違います。これまでのあなたは、私をネクロイドにしようとなんてしなかった。私が死んでも、次の私がいるのだから。でも、あなたは違った。ゲオルグは違ったのです。数多の星の雫ロイス・アルブレヒトのなかで、あなただけが私の死をれなかった。私は……私はそれが……!」

「赦せなかったのか」


 ツェオは答えない。

 ただ、代わりというかのように、その鋼の右手を掲げる。


「あと450秒で、私はエメト・オリジンのすべてを掌握します。それまで、黙ってそこにいてください。もう、なにも繰り返さないでください。あなたは──いいかげん救われてもいいのです」


 彼女の声は、ひどく小さく、かすれたものだった。

 だが、そこに秘められた痛切な思いは、どれほどに彼が鈍感であっても、、痛いほど胸の奥へ響いた。

 立ち止まっていることなどできなかった。

 黙っていることが、彼にはできなかった。

 ゲオルグは、一歩を踏み出す。


「ゲオルグ」

「ツェオ、俺は世界がどうなろうとも構わない」

「だったら」

「それでも俺は!」


 ギリリと、紅鋼あかがねの右腕が握り込まれる。

 まっすぐに、玉座を見上げる男の瞳は、決然とした意志に燃え盛っていた。


「俺は──おまえのそばにいる! おまえを人間にすると誓った!」

「──っぅううう!!」


 彼の叫びを受け、泣きだしてしまいそうなほどかんばせを歪める少女。

 その可憐な口唇からは、いまにも悲痛な嘆きが零れ出しそうで。

 それでもかたく、口元を引き締めたツェオは、キッとゲオルグを気丈に見つめて、やがてこう言った。


「……では、力ずくであなたを拘束します」

「やってみろ、ツェオ。俺もおまえを、力ずくでそこから引きずりおろす」

わかりました ヤー もうたくさんです私の主 マイスター !」


 ツェオの全身を周回していた尻尾が、むくりと鎌首をもたげる。

 翼が開かれ、その羽根がすべて破壊のつぶてとなって放たれる。

 両者が、ゲオルグへと回避不能な速度で迫り──


「おっまたせー!!!!」


 轟音、爆砕、崩落。

 ゲオルグとツェオの中間に、瓦礫の山が崩れ落ちてくる。

 咄嗟に飛退くゲオルグと、玉座から頭上を睨むツェオ。

 世界樹を形作る超構造体の連続体珪素ストレート・シリコンの分厚い障壁が、何者かによって粉砕されたのだ。

 もうもうと立ち込める土煙。

 その中から現れたのは、機械の翼をもつ長身の美女であった。

 彼女は長い黒髪を翻すと、ゲオルグのそばに降り立ち、勝気に微笑んだ。


「助けに来たわよ、ゲオルグ」

「……要らぬお節介だ」


 いつかのように言葉を交わす彼らを、ツェオは激情をたたえ睨みつける。

 そうして、その名を呼んだ。


「ヘレネー・デミ・ミルタ──この期に及んで邪魔立てするのですか!」


 彼女は。

 長身の美女、高位情報知性体、月の女王。

 ヘレネーはその胸を張って、獰猛な表情で、答えて見せた。


「当然よ。あたしの産み落とした現生人類いとしいコドモたちを──むざむざ殺させてなるものですか!」


 両者の間で視線の火花が散り、物理的圧力と、電磁投射の応酬が行われ。


 そして、決戦の火蓋は切って落とされたのだ。

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