第7幕 いつかはじまりの〝島〟で

越種 ‐エクシード‐

 ヘレネーは、〝世界樹〟よりもずっと手前──数百キロメートルは離れた氷塊の上にゲオルグを着氷させた。

 訝しむようにゲオルグが彼女を見上げると、ヘレネーは渋面を浮かべ、


「言ったでしょ。あたしの目的は、越種エクシードの巣に辿り着くことだって」


 謝罪するように両手を合わせてみせた。


「急ぐ。ツェオのところへ向かってくれ」

「正面から相対しても、難しいのはわかるでしょ? 準備が必要よ」

「…………」


 それらしい弁明を口にするも、ゲオルグは納得がいかない。

 無言で睨みつけると、やがて彼女は根負けしたのか、彼の隣へと降り立って、溜め息をついた。


「わかった、説明する。でも、ここへ来てまで口で説明するのも馬鹿らしいというか……うん、たぶん見た方が早いわ。前方3000メートル先に、視野を合わせて」


 言われるがまま、背嚢から取り出した高倍率単眼鏡スコープでその地点を見詰めるゲオルグ。

 以前もこんなことがあったなと思った時には、ヘレネーが飛び立とうとしていた。

 彼は左手に仕込んでいた単分子ワイヤーを投擲とうてきし、その足に絡み付ける。

 ヘレネーは、歯ぎしりをしながら、またも降下してくる。


見ててよビリーブ・イット! それは嘘じゃないわ!」

「…………」


 じゃあ、どれが嘘なのかとは、ゲオルグは言わなかった。

 スコープの先で、変化が起きたからだ。

 蒼海を切り裂いて、すさまじく巨大ななにかが現れる。

 飛沫と霜、氷をふるい落としながらどこまでも屹立きつりつしていくそれは、ブヨブヨとした白い体表と外殻を有する、この惑星最大の存在だった。

 越種エクシード

 見上げるほどの高さに至った頭頂部が、そこに存在する無数の青い瞳が、物静かにゲオルグたちを見下ろしている。

 唖然とする彼の手から、スコープが転がり落ちた。

 は、ゆっくりと口をひらいた。


『──待ちかねたわ、ミルタ』


 音声と呼ぶには、それは規模が大きすぎた。

 思念の波涛。

 情報の怒涛。

 エクシードから放たれる、あらゆる言語に優越する圧縮ランゲージが、そこに力場を作り、彼らを包み込んでいるのだった。


「ミルタはやめてちょうだい。いまは、ヘレネーを名乗っているのよ」

『あら、月の女王が謙遜したものね?』

「謙遜なんて、あたしからはもっとも縁遠いものよ。傲慢と気まぐれだけが、あたしを構成するすべて。それは、情報知性体になり果てても変わらないことよ」

『……それで、その個体は?』

「フン。その問いかけはナンセンスね……走査してみなさい。すでに段階フェイズは、ひとつ進んでいるから」


 彼女の言葉に、エクシードはしばらく戸惑ったように震えていたが、やがて眼のひとつから赤いビームを出し、ゲオルグの身体へと照射した。

 直後、その巨体が硬直する。

 首を傾げるゲオルグのまえで、越種はまたも叫び声を上げた。


! !!』


 喧しそうに顔をしかめ、両耳をふさいでいたヘレネーが、その一言で顔付きをかえた。

 彼女は舌鋒を鋭く、エクシードへと訊ねる。


「直轄者? ヒラリオンではないの?」

『違うわ。直轄者──いえ、正確には執行者。それはエメト・オリジン──中核たるメフィストへと向かって行って……てっきり月種は、収穫の刻限を早めたのだとばかり──』

「まずい!」


 叫んだのはヘレネーだった。

 焦りと悔恨が、その全身を震わせていた。

 意味が解らず、ゲオルグは問いかけるが、それに応じる余裕が、彼女にはなかった。

 ヘレネーはゲオルグを無視したまま、エクシードへと問う。


「執行者がエメト・オリジンに向かってどのくらい経つ?」

『約──16039秒』

「──エクシード、あなたに。


 彼女はその巨大な存在──無数の情報知性体がより合わさった〝〟を見詰め、こう願った。


「これまで貯蓄してきたエメトの胞子を、すべて放出してちょうだい」

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