第6幕 うらはらに暴走する想い

意に反した決着

「ツェオ、勅命ちょくめいを発する」

拝聴します ヤー ゲオルグマイスター


 ゲオルグは、苦悶にあえぎながらも、それでもその口元に勝利の確信を刻んで、ツェオへと命令をくだした。

 応じるツェオの声は、どこまでも平坦なものだった。


「──逃げろ。いますぐこの場から。全霊を費やして、逃走しろ。そして、星の雫を手に入れるんだ。これは勅命だ。俺の告げる、最上位命令だ!」


 有無を言わせず、彼は命じる。

 もはや満身創痍である彼の身体能力では、壊れかけのツェオを連れて逃げ出すことなどできない。

 逃げたとしても、追いつかれてしまうことは必至だった。

 先程までなら、そうに違いなかった。

 だが、いまはその限りではない。

 復旧したツェオ単体であれば、その限界稼働をよしとするなら、たとえ直轄者という埒外の対象からでも逃げ切ることができる。

 記憶はめちゃくちゃに破壊されているかもしれない。

 それはもはや以前の彼女とは別人かもしれない。

 それでも、いまのツェオは身体的に完全なのだ。

 ゆえに、ゲオルグは確信していた。

 彼女は忠実に自分の願いを聞き入れ、無事に逃げ延びてくれると。

 だからこそ口にされた、その命令は、


拒否します ナイン ゲオルグマイスター


 たった一言で、無為に帰す。


「──は?」


 呆然と、返された言葉の意味がわからず、無意味な音を口からもらすゲオルグ。

 しかし彼の視線の先で、ツェオはその双眸に矛盾した冷熱ふたつの感情を燃やしながら、一歩進み出る。

 直轄者へと向かって、歩みだす。


「ツェオ・ジ・ゼル──鋼の騎士は、。あらゆるデータはアクティヴです。私は、マイスターを傷つけた、その痴愚ちぐなるヒラリオンを許しません。同時に、マイスターが私に行った外法についても、やはり赦しません。


 だからと。

 ツェオ・ジ・ゼルは。

 鋼の騎士は、口にする。


「まずは敵性存在を排除イジェクトします。それこそが私の──あなたを守る──庭園騎士〝ツェオ・ジ・ゼル〟の本懐なのだから!」


 ツェオの鋼の足が、岩盤を割り砕きながらスタートを切った。

 ヒラリオンが、それまでの悠然とした態度をすべて放棄し、一気に臨戦の構えに入る。

 行われた迎撃は、ゲオルグに対するものの比ではなかった。

 背面の翼、そして尻尾が同時に起動し、数百──否、数千もの凶器となってツェオへと迫る。


「管理者として再起動したアイゼンリッターと、敵対行動をとる必要性は皆無と判断。ヒラリオンは警告する──即時戦闘行為を停止し、収穫までの待機を要請する」


 地面、壁面、天井。

 あらゆる場所を足場にして立体機動を行い、肉薄するすべてのマニピュレーターを寸前でかわすツェオ。

 さながら雷光のようなその軌跡を、ヒラリオンは捉えきれない。

 質量戦術につとめながら、直轄者の両手が空間を叩く。

 その指先が演算リソースを浪費し、洞窟内部のあらゆる物質の組成式を変性させる。

 ブロックノイズと紫電が走り、上下左右のあらゆる場所から、ツェオを破壊するための刃の群れが降り注ぐ。

 その矛先の一部は、半死半生、身動きの取れないゲオルグにまで及んでいた。


対象防衛のための限定解除ラジカル・アンロック──第一幕から第五幕まで開帳──〝戯曲・孔雀石の小箱パーヴェル・バージョフ〟──汝が命は、石造りの小枝のように守られる」


 高速言語によるパスワードの解除。

 

 ツェオの両手が翼のように展開し、ゲオルグを守る防護壁となった。

 ゲオルグの肉体が包み込まれる。

 一個のつぶてとなって、ふたりは飛翔。

 崩れ落ちる洞窟からゲオルグを救いだしたツェオは、やさしく彼を雪原に横たえながら、再びヒラリオンと相対する。


「──」


 ツェオが表情を歪めた。

 慧可珪素置換症が急速に進行し、その両腕がほとんど肩甲骨のあたりまで金属の塊に呑み込まれたからだ。

 だが、彼女は止まらない。

 左右の脚部をも変形させる。

 現れたのは刃。

 踵から伸びる、三日月のような二振りの刃──


「ヒラリオンは警告する──これは無意味な行為である。ヒラリオンは収穫を告げるもの。収穫の刻限は示された。星の雫は庭園ごと収穫される。それに対しヒラリオンが介入することはない。よって──」

「だから、たとえそうだとしても、ゲオルグを傷つけたことが許せないと私は言った!!!」


 その瞳は、まさに地獄のような焔に燃えていた。

 煉獄を双眸に宿したツェオは、それまでの無表情を投げ捨てて奥歯を噛み締める。

 全身から黄金の粒子──過剰に供給された情報流体──を噴出した彼女は、尋常ではない速度で跳躍──飛翔。

 もうもうと土煙が上がる洞穴の跡地から姿を現した直轄者へと、立ちふさがるマニピュレーターのすべてを粉砕しながら、ただ一直線に加速する。

 

「収穫は、決定している──」

「それが、どうしたぁあああああああ!」

「──理解、不能」

 

 それが、ヒラリオンの最後の言葉になった。

 両手の翼が羽撃はばたき、ツェオの矮躯は空中に舞う。

 空中で一回転、そして半身が大きくひねられ、ヒラリオンへと叩きつけられる。

 演じられる幻想の名は絢爛舞踏ロマンティック・バレエ

 回転し翻る、彼女の踵。

 揃えられたその両足から伸びる刃が、的確にヒラリオンの中核──頸椎と心臓の位置におかれていた情報処理中枢を貫通した。

 破壊される直轄者。

 赤色の情報流体をまき散らしながら、ヒラリオンは一度、ツェオを見詰め、やがて眼を閉じた。

 ヒラリオンを蹴りつけ、舞い踊るように着地するツェオ。

 直轄者の身体はそのまま傾斜し、ばたりと倒れる。

 ヒラリオンは、二度と動かなかった。


「……ツェオ」

「────」


 その全身の変形を解き、肩で息をする小柄な少女。

 ネクロイドとしてはありえないその所作に、少女の背中に、ゲオルグは震える声で問う。


「思い出したと……おまえは、そう言ったのか。なにを……おまえはいったい、いったいなにを思い出したと──」

「マイスター」


 少女はゆっくりと振り返り──もはや、それはゲオルグの知るネクロイドとしての彼女ではなかった。もっとむかし、はるかな過去から時間を共にしてきた、親しい少女は──彼女は、哀しげに微笑んだ。



 その言葉と同時に、彼女の背中──その金属と化した肩甲骨の部分から飛蝗バッタのような翅根はねが3対6枚飛びだす。

 それをひとつ羽ばたかせると、彼女は空中へと舞い上がり──


「マイスター……いえ、ゲオルグ。あなたは」


 いつまでも生きて、いつまでも幸せでいてください。


 ツェオは。

 物言わぬネクロイドだったはずの彼女は、そう言った。


「私は、それができるように、すべてを破壊します。根源世界の理を、みな破却します。だからどうか、こう言わせて下さい。さようなら──さようなら、私の──愛しいヒトアルブレヒト

「ツェ──」


 ゲオルグがその名を呼ぶよりも早く、彼女は強く羽ばたいていた。

 次の瞬間、その身体は射出された弾体のように加速し、やがてその姿は、吹雪の中に溶け、見えなくなった。


「ツェオ……」


 その場に残された瀕死の男は。

 ゲオルグは。


「ツェオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 

 慟哭のように、その名を叫ぶのだった。

 その血塗れの手は、白い雪を掻き毟り、やがて──力なく落ちた。


 すべては、吹雪の中に沈み、真っ白に染め上げられていく──

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