直轄者、再来
「前任者の権限を閲覧──重大な違約事項を確認──仮定、具申、承認、結論、上告、決済──ツェオ・ジ・ゼルの破壊を特に必要な事項として、最優先目的に設定。ヒラリオンはこれより、行動を開始する」
その言葉とともに、ヒラリオンは洞窟のなかへと踏み入ってくる。
一体どんな方法で移動してきたのか、その身体には一片の雪の粒子すら付着しておらず、また濡れている様子もない。
それどころか、ヘレネーの自爆の痕跡さえ存在しないのだ。
ヒラリオンは、完全に無傷であり、無欠であった。
ゲオルグはゆらりと立ち上がると、足元に置かれていた棺桶を軽く蹴った。
(電磁投射式弾体加速装置は、ここまで破損しては使えない。
刹那の思考のあと、ゲオルグは無言で地を蹴った。
飛燕のような速度で反転し、彼はヒラリオンの左斜め後方に着地。
そのまま横薙ぎに刃をふるう。
ヒラリオンの胴に鉤がかかり、切断──されず、そのまま動きが止まる。
刃を引こうとしても、突き出そうとしても、なにかが絡み付いており微動だにしない。
量子モノクルの出力が上昇。
電磁場による拘束であると判断し、ゲオルグは柄頭を膝で蹴りつける。
機構が解放され、内部に溜め込まれていた電圧が暴走。
相反作用で二者は弾かれ、ゲオルグだけが吹き飛ばされる。
「その行動は無為だ。ヒラリオンは無抵抗、無条件の降伏を提案する。こちらに、貴方を害する意図はない」
「ふざ、けるな!」
刃を地面に突き立て反発の勢いを殺し、体勢を持ち直したゲオルグは、ヒラリオンを睨みつける。
跳ねあがった左手が、直轄者へと瞬時に照準を定め、引き金を連続で引いた。
鈍い音とともに、重合金製の大型弾頭が直轄者の頭部に何発も命中する。
しかし、ヒラリオンは僅かにも揺るがない。
直轄者の右手が軽く振られた。
ギィン!
空間を断裂する音。
ゲオルグがその場から飛んだとき、背後の壁に一筋の亀裂が入った。
一瞬前まで彼の首があった位置である。
不可視の刃は連続して放たれる。ゲオルグは捕まらないよう、
「俺を害する意図はないんじゃなかったのか」
「ヒラリオンは警告の義務は果たした。心臓が残っていれば、それで問題は発生しない」
「わけのわからないことを……!」
打つたびに腕が跳ねあがり、しびれが強く残るほどの大口径弾体を連射しながら、ゲオルグはいま一度、ヒラリオンへと肉薄する。
最小限の動作で放った刺突が、その喉元に突き立つが、しかしこれも決定打にならない。
どころか、先ほどから一歩、いや1ミリたりとも、ヒラリオンは動いていないのだ。
直轄者はまったくの無傷だった。
焦燥の汗をこめかみから垂らしながら、ちらりとゲオルグは背後を確認した。
ツェオの小さな身体が、ビクリ、ビクリと痙攣している。
それは、CRAから端末を通じて送り込まれ、上書きされている
彼女と複合調律解析機は、両方とも蛍光色の光を発している。
装甲軌道列車で調達した〝神樹木〟の胞子による限定力場が、外界からの作用を遮断していた。
とはいえ、その領域内にあっても、直轄者の攻勢が行われれば数秒ともたないことを、ゲオルグはこれまでの戦闘データの蓄積で理解していた。
プロセスの終了までは、あと600秒。
是が非でも、それだけの時間を稼がなくてはならない──
「抵抗は終了か? ──いや、その眼は諦めてはいないものだ。検討──破棄。ヒラリオンはこれより、第3種鎮圧プログラムを起動する」
宣言と変化は同時だった。
直轄者の背面に展開されたマニピュレーターの翼が──その百近い魔手が枝分かれし、肥大化。怪腕となって、一斉にゲオルグへと殺到する。
避ける間もなく全身にめり込む金属のアーム。
肉体のあらゆる骨が砕けていくのを彼は感じた。
錐もみしながら吹き飛ばされたゲオルグは、勢いのまま壁面へと激突。
一帯を罅割れさせて、落下。衝撃で全身が跳ねる。
「ゴフッ」
ゴボリと音を立てて、
内臓系が損傷したことを、彼は灼熱する脳髄で理解した。
激痛にちらつく視界、朱色に染まる世界で、それでもゲオルグはヒラリオンを睨みつける。
拘束帯の外れた右腕が、だらりと力なく垂れ下がった。
まかれていたベルトは千切れ、血液と一緒にぼとぼとと落ちていく。
ヒラリオンが、一歩踏み出した。
向かう方向には、少女。
ツェオ・ジ・ゼル。
また一歩、直轄者が進む。
「────?」
甲高い音を立てて、その頭部になにかがぶつかった。
歩みを止めたヒラリオンが悠然と振り返り、視線を下に落とす。
直轄者の足元に、血塗れの、罅割れた量子モノクルが落ちていた。
直轄者はゲオルグを見る。
喘鳴を吐き、顎から下を血に塗らし、ぐったりと座り込んでいる男は、しかしその眼光だけは衰えさせていなかった。
猛禽のような鋭さでもって、その両目に凄絶な鬼火を燃やして、ヒラリオンを睨みつけている。
そこで初めて、直轄者は僅かに迷うようなそぶりを見せた。
放置すればゲオルグが死ぬことは間違いない。
彼の鼓動が弱まる。
僅かな、本当に刹那の逡巡。
その隙を──ゲオルグは見逃さなかった。
刃を地面に突き立てると、懐に隠し持っていたそれを、ヒラリオンに向けて投擲する。
脅威に対して自動的に反応したマニピュレーターがすべてを切り裂く──
巻き散らかされる、蒼色の流体と、
「──!」
ヒラリオンがその、爬虫類にも似た特殊な目を見開いたとき、ゲオルグは兇悪な笑みをたたえ、弾体射出装置のトリガーを引いていた。
榴弾。
それが流体に──ヘレネーから託された大量の情報流体のアンプルと、セクタ3089で入手していた高電圧放射線ダイヤモンド電池に衝突し、一気に燃焼させる。
起こるのは、情報の嵐だった。
それ1本で死した人体を、あらゆる
それらが燃焼することによって昇華し、周囲一帯に莫大なデータの嵐、観測すら危うくさせる磁場と、斥力、重力に、放射線、電子間力、未確認の物理諸元、なにもかもの力を発散させる。
高度な処理機構を有する直轄者にとって、それは五感を潰されたに等しい嵐だった。
凄まじいジャミングによって、なにひとつ把握できない状況下で、ヒラリオンは設定されているとおり、マニピュレーターを蜘蛛の巣のように展開した。
触れた瞬間、対象を拘束する電圧が流されたそれは、絶対の守りのはずだった。
左後方で反応。
即座に電圧が解放され、それを焼き切る。
そこにあったのは──ぼろぼろと焼け崩れていく銃剣。
直轄者が己の失敗に気が付き、振り向いたときには遅かった。
「ヒラリオンッ!!!」
吠えたて、飛びかかる
その左手にはなにかが握られており──
「
「いや──あまりに遅い」
振り下ろされる左手を避けようともせず、ヒラリオンは尾部を起動した。
先端が鋭利な刃に変性、それは槍となって飛翔する。
ぞぶり、と。
それは狙いをあやまたず。
ゲオルグの左脇腹を、貫いた。
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