懊悩と選択

 ツェオはまだ、譫言うわごとのように再構築を拒んでいる。

 吹き荒れる雪風と、恐ろしき直轄者から逃れるために、越種が作り出したと思われる洞窟の奥へと引籠ったゲオルグ。

 彼は、半壊した棺桶CRAの残った部分を接合し、かろうじて再稼働する状態まで復旧させることに成功していた。

 新たに百を超えるケーブルを、ツェオへと接続しながら、しかし彼の心は、矛盾を内包して揺れていた。

 苦悩。

 懊悩おうのう

 せめぎ合う、命をめぐる言葉。

 生きるという意味。

 記憶の価値。

 魂の在処ありか

 心の所在しょざい

 彼とて、成功しようが失敗しようが、ツェオ・ジ・ゼルという個性アイデンティティが消滅することは理解できている。

 このまま緩やかな破滅を望むか、僅かな可能性に光明を見出すかの違いでしかない。


「あるいは、これが物語であるのなら」


 ゲオルグが主人公ヒーローと呼ばれる人種なら。

 ただただ、盲目的に正しさのようなものを信じて、安直に、可能性へと賭けることを選ぶだろう。

 失敗したとしても、ツェオという人格が微塵になっても、存在するという一事を取って、これが正しいと狂ったように主張するに違いない。

 だが、彼は英雄ではない。

 天才ですらない。

 不確かな状況で、英断を下すことはできない。

 ゲオルグ・ファウストにはわかっている。

 生きるということは、思い出を積み重ねていくことだと。

 記憶の積層の果てに、なんの意味も価値も持たなかった生命が、納得できるなにかを獲得すること──それが生きるということなのだと、彼は──彼の心は、誰よりも理解していた。

 そして、それをツェオに教えたいと願っていた。

 だが、ここで彼女がすべてを失ったのなら、その機会は永遠に消失する。

 失敗は許されない。

 さいわいというべきか、必要な資材は揃っていた。

 装甲軌道列車から持ち出すことができたものがあったからだ。

 問題は電力であったが、それもCRAに充電されたものと、万が一に備え備蓄していた高電圧放射線ダイヤモンド電池で事足りた。

 情報流体も、余るほどにある。

 一方は、以前立ち寄ったセクタで調達屋から仕入れたものであり。

 もう一方は、ヘレネーが彼を突き飛ばしたとき、こっそりと忍ばせたものだった。


「……彼らは」


 自分にどちらを選ばせたかったのだろうかと、ゲオルグは考える。

 立ち止まることか、進むことか。

 迷いを振り切ることか、そのまま時間切れを迎えることか。

 許された時間のなか、必死に思考を回しても、彼は答えに至ることができなかった。

 立ち上げプロセスが終了した複合調律解析機から、渦動固定ドリル・ロック式の接続端末をゲオルグは取り出す。

 彼は、ツェオの脊髄──拘束帯チョーカーから情報流体のアンプルを外した。

 虚ろな眼差しで主人を見つめる少女の瞳から、一層、光と呼べるものが乏しくなっていく。

 だらりとひらいた口先からは、もはやうめき声すら零れることはない。

 接続端末を、ゲオルグは脊髄に押し当てた。

 精彩を失った少女の瞳。

 しかしその眼差しは、そうでありながら嫌だと、切実に語っていた。


「────」


 ゲオルグは。

 渦動固定器の、スイッチを──


 入れた。


「あぁあああああああぁあああぁぁぁぁあああああああぁあぁぁぁぁあああああああああああああ」


 血液と髄液ずいえきを掻きだしながら、音を立ててめり込んでいく接続端末。

 耳を覆いたくなるような少女の絶叫。

 それは、ガチリと端末が固定されるまで続いた。

 ロック音とともに脱力し、瞳から完全に光を喪失する少女。

 1~2度、接続が確かであることを確かめたゲオルグは、ツェオの銀色の、豊かな髪を一房つかみ、くにくにと親指の腹でなでて──そうして、棺桶の前へと戻った。

 蓋を開き、旧時代的な接触入力式鍵盤キーボードを引き出すと、彼はカタカタと指示式を打ち込み始める。


「……はじめに、星降りの夜があった」


 祈るように、男はなにかを口にする。


「落ちた種は芽生え、大樹となった」


 彼の前にあるのは、一冊の繊維の集まりに文字が刻印された代物だった。

 忘れ去られるような太古に綴られた、ハードカバーの本だ。

 どこかの〝島〟で手に入れた経典だった。


「ひとびとは救いをそれに見出し、ひたすらにただ求めた」


 彼の表情は暗がりに沈み、誰にも窺い知ることはできない。

 指先は変わらずに、キーボードを叩き続ける。


「やがて、それは血を流す争いに変わる。ながい時間の果てに、無数の命が、零れて消えていった」


 男は歌い続ける。

 陰々滅々とした声音で。

 軋みを上げるような心で。


「憎しみは大樹へと向いた。大樹が実らせた奇蹟へと向かった。1000を超える獣が、始まりの島を襲い、やがてすべては、炎に包まれた」


 男は、覚えてもいないことを繰り返す。

 書かれたことをただ読み上げる。


「たったひとりの騎士がいた。鋼の騎士がいた。庭園の騎士がいた。鋼の騎士は、守るためにすべてを殺した。殺して、殺して、多くを殺して。そうして最後には自分が、殺された。されど、結局奇蹟を手にしたものはいなかった。騎士は、務めを果たしたのである。暗愚なままに、愚直なままに」


 迷うように指先が揺れ、次の鍵を叩いた。

 やがて、キーボードを叩く音が途切れる。


「俺は」


 男は。


「俺は」


 かつて少年だったものは。


「俺は──」


 齢を経て、生きる意味を知ったものは。


 ──ゲオルグは、一心にこいねがった。


「おまえがそばに、いて欲しい」


 最後の入力が──機動鍵マスターキーが、叩かれて──



「──対象を捕捉。これより、強制排出イジェクト・プログラムを実行する──」



 暗がりに響き渡る、無機質な合成音。

 降り注ぐ膨大な、莫大な、常軌を逸した電磁インパルスの波涛はとう

 弾かれたように、ゲオルグは洞窟の入り口を見遣った。

 彼は見た。

 そこに立つ、絶望を。


「──ヒラリオンは、対象を抹消する」


 直轄者ヒラリオンが、無傷でそこに、立っていた。

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