第4幕 ただ走り抜ける鉄道の上で
新たな道連れ
「──マイスター」
「
「……ヤー」
眼をぱちぱちとしながら、周囲を見回すツェオ。
それを見て、安堵したような息を吐くゲオルグに、天の声が降ってくる。
「もう少し用心するべきね、ゲオルグ。〝エメト〟の処理媒体にされかけたのだから、判明しているだけで67056個のイレギュラーな指示式が上書きされているはずよ。ただでさえ精密装置のネクロイド、どんな不具合を起こしても不思議ではないわ」
ひょっとして、いきなりあんたの首をはねちゃうかも。
そう言って、ゲオルグたちの頭上に浮遊する女性は、ケラケラと笑った。
「マイスター」
「言わなくともわかる。ヘレネーだ」
「…………」
「おまえを取り戻すために一時共闘した。いまはなにを企んでいるのか、周囲の監視を自分から買って出た。高位情報知性体らしいが、賢くはない」
「制限されてるだけ! これ、あたしのフルスペックじゃないからっ!」
だから
そのレーションはゲオルグが提供したもので、さらにもとをただせばカンファエットが産み出したものであり、その複雑な経緯も相まって、彼は
嘆息しつつ、ゲオルグはヘレネーに言葉を投げつける。
「せめて服を着ろ。見苦しい」
彼の言葉の通りだった。
ヘレネーは、産まれたままの姿──まさしく数時間前に培養槽という名の人工子宮から這い出してきたばかりの姿で、上空に浮遊しているのだ。
彼女は鼻を鳴らし、文字通りゲオルグを見下ろす。
「フン。見苦しい、ね……現生人類はこの姿に、無条件で劣情を
自らの言葉を受けて、考え込むように顎に手を当てた彼女だったが、やがてなにかに行き当たったのか、ひとりで頷いてみせる。
そうして、周囲の監視を放棄すると、ゲオルグの前まで降下し、両手を体の前で交差して見せた。
ちょうど両肩を掴むかたちになり、その均整の取れた胸元が隠される。
「……なんだ」
「興奮、しない?」
「…………」
あきれ果てたようなゲオルグの視線を受けて、ヘレネーは困ったように首を傾げた。彼女は腕を
その瞳の中で、無数の数式が、複雑なグラフが、おびただしい情報が、処理されていく。
やがて、ゆっくりと目を
そうしてそれを、フリックするように一振りしてみせる。
次の瞬間、その全身に変化が生じた。
足元から
その黒い物質は、僅かな時間のあと、彼女の全身を包むぴったりとしたボディースーツへと変化していた。
「乱数構造の被膜プラスティックで
思案するようなそぶりとともに、ヘレネーは同じように指先をふるう。
すると彼女の両足に、ひざ下まである編み上げブーツが、手には指ぬきのグローブ、腰回りにはバックルが無数についたベルトが、そして肩から胸を横断するようにして、
「……すごいです」
おおよそ感情というものが欠落した声で、ツェオが感嘆を述べる。
明らかにひとの身には余る所業を目前にして、ゲオルグは表情を歪めて見せた。
その露骨なまでの嫌悪に、しかしヘレネーは逆説的に気をよくしたようで、鼻歌交じりに説明を始める。
「14369秒前のエメトとの接続で、あたしは本来の0.16%ほど演算リソースを取り戻したわ。だから、空間中の波動関数に作用して──プランク定数ってわかる? ──物質の生成がある程度可能になった、いま見せたとおりにね? 万能とは言えないけど、多少の
「……たいした技術だな。だが、俺たちには無用のものだ。
自らの足に
同じように彼は、ツェオの頸椎へとアンプルを突き立てる。
慧可珪素に置換され、いまは流体と化した四肢を復元するための指示式が含有されたものだった。
「正直に言えば、面倒だ」
ゲオルグの冷たく突き放す言葉。
しかし、ヘレネーはそれを澄ました顔で聞き流した。
その瞳には、打算という言葉が隠されることもなく渦巻いている。
「そうね、あんたは月種と関わりがあるあたしを、厄介だと考えるでしょう。当たり前のことよ、むしろ好ましい。あたしがエクシードと接触したがってるのは本当だしね。でもあたしと別れたら、あんたは後悔する──間違いなくね」
「……どういうことだ?」
「簡単な理屈よ。あたしは非常に重要な情報を、先のエメトとの接触で入手しているの。ひとつは、ネクロイドの調律が可能な施設が存在する、移動性セクタの存在。そうして、もうひとつは──」
ヘレネーは、性悪な表情で、勝ち誇ったように笑った。
「あんたが探し求めるもの。星の雫の在処よ」
「────」
ゲオルグの手が伸びるのと、ヘレネーの指が振られるのはまったく同時だった。
彼の手は、彼女の喉笛を握りつぶさんと力を
そのままふたりは、しばらくのあいだ睨みあっていた。
やがて、様子がわからないツェオがあくびをして。
それを契機にしたように、ゲオルグは、ヘレネーから手を放す。
彼は、押し殺した声音で詰問した。
「星の雫は……何処にある。そもそも星の雫とは、いったいなんだ?」
「……北よ」
ヘレネーは苦しげな様子もなく、笑みを浮かべたまま、答えた。
「すべては、北にあるわ。そして──お迎えがきたみたいね」
彼女がそう口にした、その数秒後。
一帯に、耳をつんざくような汽笛の音が鳴り響いた。
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