夢をみる、最下層で

 虹色の空を見上げている。

 咲き乱れる5枚の、濃い紫色の花弁がうつむきがちに揺れている草原で。

 少年は仰向けに寝転がりながら、最後に青空を見たのはいつだったろうかと思い返す。

 思考に割かれた時間は短く、気が付けば物思いはあやふやにほどけ、形を持たないものとしてどこかへ流れて行ってしまった。

 空をゆく雲のように、それは一時も同じ形をとどめず。

 たえず少年の心は、いくつものことに揺れ動いていた。


「なにを考えているのですか?」


 かたわらから、声が聞こえた。

 涼やかな、だけれど少しだけ悪意がにじむ声音だ。

 ちらりと視線だけを向ければ、そこに、少年と同じくらいの年齢に見える少女が腰かけていた。

 ただ、その姿は少しばかり奇異だ。

 足首まである丈長のスカートは青色。

 肌の露出がほとんどない上着は、なめされた動物の皮でできている。

 ひじや、膝、すね、腿、胸周りと言った部分には、光沢を放つ金属が、鎧となって結び付けられていた。

 天鵞絨ビロードのようにつややかな髪は、まぶしいほどに輝く金色をしている。

 くしをとおせばさらさらと砂金のように零れるその髪は、腰までもあって、燦然さんぜんたる太陽のように眩しくもあった。

 その瞳も、同じく光に満ちている。

 とはいえそれは陽光ではなく、対となるような星のきらめきだった。

 菫色のそこに、ごく微量の邪悪さが灯っている。


「愚かな家畜を殺し尽くす方法ですか? それとも財宝に目がくらんだ俗物を抹消する方策?」


 少女の問いかけが、あまりに莫迦々々ばかばかしかったため、少年は苦笑することに失敗した。

 浮かんだのは、笑顔とは程遠い、泣きだす寸前のような困り顔で。

 それをどう受け取ったのか、少女は口元に手をあてた。


「驚きました。あなたはそんな顔もするのですね。とても意外で、憐れだと思います」

「憐れむのはよしてくれ、無駄だ。簡単な思考の実験だ。自分がなにをすべきか……それを考えていた」

「なにを、とは……あなたはおバカさんですね。あなたの役目は唯一、変えることです。あるいは保つもの。ただ、そうであればいいのです」

「だけれど、それは誰も望んじゃいない。懸命に生きる人々をないがしろにするのは、違う気がする。争いの火種は、ないほうがいいのではないかとも……」


 少年は、少女の豊かな金髪へと手を伸ばし、一房を掴む。

 その金糸の束を親指の腹でくにくにとしごきながら、そんなことを呟く。

 少女はゆっくりと目を細めた。


「だから、おバカさんだと言っています。望まれなければ生きてはいけないという法はありません。願望をかなえるだけが他者との交わりではなく、他者と交わることが必ずしも正しいというわけでもないのです。加えていえば、自らのために他者を食らい潰し、使い潰すのが生命の本質です」

「だが……おまえは違う」

「そうですね。私は、守るために存在します。鋼の騎士アイゼンリッターの名を賜ったその瞬間から、庭園騎士と呼ばれた刹那から。塵芥ゴミ同然のすべてを鏖殺おうさつしてでも、そうすべきだと思っているのです」

「おまえは……本当は、俺が許せないんじゃないのか?」

「…………は」


 少年が至極真面目な表情でそう問いかけると、少女は堪えきれなかったように声を上げて笑った。

 眼を閉じて、空に向かって口を開いて。

 楽しそうに、楽しそうに笑い続ける。


「は、はは、はははは。確かに、はい、確かにそうでしょう。、私の存在意義に矛盾を生じさせます。なので、いずれ私はあなたを殺すでしょう。この世でもっとも醜悪な願望として。それが私の役目です。私は計るものであって、命を学ぶものではありませんから。ですが、同時に私は──いえ、ですから私は──」


 愛おしげに少女が少年の頬に触れ、ひどく重要なことを口にしようとしたとき。


 ──景色セカイが唐突にた。


 無数のブロックノイズが、あらゆるものを蹂躙した。モザイクがなにもかもを書き換え、変成させていく。

 〝彼〟の脳髄に流れ込んでくるのは、断片的な記憶だった。

 壊れたメモリー。

 混濁する無数の〝彼〟。


 堕ちる流星群。

 芽生える種子。

 砕け散る願い。

 全能を求め、殺到するケダモノたち。


 天より降り注いだものは、あらゆる可能性を燃やし尽くし、それを苗床に根を張った。

 そして、流れおちる赤い液体。

 血という名の養液。

 その生温さが、急激に腕のなかで消えていく熱が、少年の思考を朱色に染め上げていく。

 あるいは、暗黒に。


「あなたは……けっして願いを抱いてはいけません」


 雑音混じりの声音が、彼の鼓膜を揺らした。

 なにかを守るため、誰かと刺し違えた金色の少女は、少しずつ消えていく。

 ただ、言葉だけを残して。


「                /私のために

     あるいは世界のために/

              /対価を/

                  /選んではいけないのです

生者より死者を選んではいけないし/

              /自分より他者を

            /優先してはいけない

     そんなことは/

         /その愚行は

   ほんとうに/


    

      赦せないから──」



 慟哭。

 絶叫。

 歓喜。


 そのどれかが産声となって、その刹那に世界は満たされた。

 終わったはずの世界に、永遠にするためのたねが芽吹く。

 やがて、色彩のすべては喪われ。

 純金は白銀に、紫はこの世の果てのような汚濁へと零落れいらくする。

 そして──


「────」


 そうして、ゲオルグは目を覚ました。

 確かに眼を開けた感覚はあったが、周囲は真っ暗闇で、なにも見えない。

 探査妨害ジャミングされているのか、量子モノクルすら正常に動作しない。

 身をよじり、短い苦鳴くめいをあげる。

 右脇腹のあたりから、酷い痛みと焼け付くような冷たさが這い上がってきた。

 触れれば痛みは、加速度的に増していく。

 どうやら金属片が貫通しているようで、自覚した途端に彼の意識は消し飛びそうになった。

 朦朧もうろうとする頭で、しかし彼は手を伸ばした。

 周囲には血の海が出来ていて、触れるたびピチャリ、ピチャリと音を立てる。

 鼻を刺す鉄錆の臭いは、彼にとってあまりに懐かしく、遠い代物だった。


(駄目か……)


 ほんの一瞬、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 次の瞬間、ゲオルグは慌ててかぶりを振った。

 歯を食いしばり。

 強く地面に爪を立てる。

 こんな場所で、諦めるわけにはいかない。

 この程度のことで、諦められない。


(彼女を……俺はツェオ・ジ・ゼルを──)


 彼が自らの手で、屍人に変えた少女を。

 決して死者としての復活など望まなかった、しかし生きる意味をあまりに知らな過ぎた無垢なる騎士を──


「この手で、よみがえらせたいのだから。人間に、したいのだから──」


 だから。

 だから諦観ていかんを抱くには早すぎる。

 例え自分が、いまどれほどに危険な状態でも。


「諦めては、ならない」


 噛み締めるように呟いて、ゲオルグが決死の思いで左手を、いっぱいに伸ばしたとき、その指先がなにかに触れた。

 そうして、


「──合格よ。ようこそ地の底へ」


 声と呼ぶにはあまりに淡々とした、モノを叩くような音が、彼の耳へと届いた。


「ということで、初めましてだわ。名も知らない半死人さん」


 ゲオルグは、そして見た。

 見通せないはずの闇のなかで、自ら光を発するそれを。

 全身を杭と鎖で拘束された、


 逆さ吊りの──その木乃伊したいを。


「名前、教えてくれるでしょ? こういうのって、あたし大事だと思うのよ」


 死体は、骨と皮だけの顎をカタカタと器用に鳴らして、楽しそうにそう言った。

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