第3幕 それは祭壇の巫と

情報知性体 ‐ヘレネー‐

「……何者だ」


 ようやく探り当てた棺桶CRAの上蓋に、ほとんどの感覚のない拳を振りおろし、ゲオルグは内部機構を起動させる。

 失った熱量に、がたがたと身を震わせながら、それでも彼は目の前のむくろを睨みつけていた。

 木乃伊みいらは楽しそうに言う。


「あら、やっぱり死ぬ気はないのね。現生人類のそーゆーとこ、あたしはとても嫌いじゃないわ。でも……それは致命傷じゃなくて?」

「大きな、お世話、だっ」


 切れ切れに反論し、ゲオルグは棺桶から取り出した小型アンプルを歯でかみ千切って開封すると、それを己の頸動脈に突き立てた。

 無針投与によって内部の薬剤がすみやかに彼の全身へといきわたる。

 途端に、その全身が跳ねた。

 外套がいとうの下でぼこぼこと肉体が、まるで流体化したかのごとく波打つ。

 肉体のすべてが蛆虫と化したかのような、絶望的な嫌悪感が席巻する。

 ゲオルグが、声にならない苦痛の叫びを上げた。

 激しい咳とともに、喉の奥から熱い血液が大量にこぼれ落ちる。


「……大丈夫? 割とつらそうだけど?」

「余計な世話と……言った……ッ」


 奥歯を割れんばかりに噛み締め、呻くように絞り出されたその声とともに、彼の両の瞳に鬼火が宿る。

 凄絶な意志の力が、常人ならば発狂不可避の激痛と違和感を、強引に相殺してみせたのだ。

 四半時近くのたうっていたゲオルグだったが、やがて全身を引き摺るようにして立ち上がった。

 それを見て、逆さ吊りの骸は喝采をあげる。

 もしそれの両手が自由であったのなら、拍手の一つぐらいしたかもしれないと、ゲオルグは思った。


憔悴しょうすいした顔、あたしは好きよ。脂汗と血に塗れた男ってのは、それだけでそそるわ」

「理解できない趣味だ。それで、ここはどこだ。おまえは誰だ。どうすれば元の場所に戻れる?」


 ゲオルグの矢継ぎ早な質問に、どうやら木乃伊は苦笑したようだった。


「せっかちね」

「知っている」

「でも嫌いじゃないわ。いいわ、あたしに協力してくれるなら、質問に答えてあげる。名前も知らない客人マレビトさん」

「…………」


 相互協力を求めてくる謎の骸。

 ゲオルグはしばらくなにごとかを考え、押し黙っていたが、


「ゲオルグ」


 やがて、自らの名前を口にした。


「ゲオルグ・ファウスト。星の雫を探して、相棒と旅をしている」

「──そう」

「俺は名乗った。おまえにも、最低限協力はしてもらう」

「勝手ね、あんたって」

「お互い様だ」


 吐き捨てるような彼の言葉に、今度は骸が、皮しかない頬を揺らした。

 どこか肯定的な所作だった。

 木乃伊が答える。


「そうね……じゃあ、順番に話してあげる。ここは、月種がフォーミュラーたちに作らせた培養槽ばいようそうの最下層よ」

「月種が開拓者に……?」

「そうそう」

「培養……なんの培養だ?」

「ろくでもないものとだけ言っておきましょうか。もし成功していたら、……まあ、その試みは頓挫とんざしたわ。ここに残っているのはなれの果てよ。停止処理を受けなかった開拓者たちの、暴走の結果ともいえるわね。他の場所では知らないけど、まあ凍結させたわけだし」

「……俺がもといた場所に戻るには、どうすればいい」

「直線距離でも30キロメートルは落下しているのよ、あんた? 死ななかっただけましだと思って欲しいのだけど。気が付いていないかもしれないけど、助けたのはあたしなのよ?」


 木乃伊の言葉に、ゲオルグは訝しげに眼を細めた。

 彼はその逆さ吊りの咎人とがびとが、ひどく利己的な存在だと思っていたからだ。

 その視線から意図をくみ取ったのだろう、さもありなんと骸は首肯してみせる。


「間違っていないわ。あたしはあたしのために行動している。そうね……いつまでも黙っているのはアンフェアだから開示しましょう──あたしは、月種が構築した高位情報知性体なのよ」


 骸が発しているのは声ではない。

 カチカチと骨と歯を打ち鳴らすことで生じる音階を、なんらかの方法で音声に変換しているのだ。

 だから、ゲオルグは始め、聞き間違えたのだと思った。

 翻訳機トランスレーターの不調だろうと。


「もう一度言ってくれ。おまえは月種なのか?」


 彼の言葉に、嫌そうな雰囲気で木乃伊は首を揺らす。


「まったく違う。かつてはそうだったかもしれないけど……あたしは離反者よ。庭園ガーデン……果実と資源の採取機構、その効率を優先した運営方針に反対して、月種に反旗を翻し、そして削除された。そのあとデータ素子化されて。まあ、バックアップがあったからそれを利用されたわけね。で、演算処理のリソースに回されたのよ、驚くほど多大な制限処置リミッターを科されたうえでね」


 ゆえに、自分は月種ではなく。

 また、月種としての知識や権能のほとんども持たないのだと、その骸は語った。


「例外的な処置なのだけどね、あたしがやったことがよっぽど気に食わなかったのでしょうよ。その後はこの施設の処理脳ブレインにされていたのだけど、ちょっとしたきっかけで自我が戻ってね、もう一度刃向おうとしたことがばれて、こんな不便な肉の檻に幽閉されたってわけ」


 そう言って、木乃伊は自らの身体を指し示してみせる。

 全身の至る所に鉄の杭が突き刺さり、指先から爪先まで縛鎖が絡み付く朽ちた肉体を。


「まだ正気だったころに〝エメト〟にバックドアを仕掛けていたから、いまも消えない程度に演算リソースを細々と回せているのだけど……さすがに時間の問題でね。元凶のひとつである邪魔なカンファエットをどうにかしたい」

「そこで、最初の問いに戻るわけか」

「そう、あなた──ゲオルグ、あたしに力を貸してくれない?」


 骸は、じゃらりと鎖を揺らしながらゲオルグへと近づき、その耳元で囁くように言った。


「あたしを上層まで連れて行って。できればそのあと越種エクシードの巣に。もしそれが出来たら──」


 この〝エメト〟に収蔵された情報をすべて、あんたに明け渡してあげる。

 それはゲオルグを誘惑するように、そう言った。

 ゲオルグが怪しんだ視線を向けると、木乃伊はオーバーな態度をとり、疑惑を否定してみせる。

 それがなんだか、ゲオルグには必死であるように映った。


「必死にもなるわよ。決して不可能なことじゃない。言ったでしょ、バックドアがあるの。有線接続さえできれば、あの忌々しいカンファエットすら掌握できる。いまのあたしは、多くの機能を制限されているけれど、接続さえうまくいけば、多少の情報は渡せるはずよ」

「……それを、俺が信じる理由はあるのか」


 ゲオルグは冷たい声で問うた。

 その骸が口にしていることが、正しいとは限らない。

 むしろ信じがたいことばかりであり、自分をだまそうとしていると考える方が、彼のような旅人にしてみれば当然の論理的帰結であった。

 それを理解してだろう。

 骸はゆっくりと、無限にある語彙の中から、ひとつひとつを丁寧に選んだようにして、彼へと語りかけた。


「もし信じられないからと言って……あなたは独力で、上部層に戻れるのかしら?」

「…………」

「それに──星の雫のこと、知りたかったのではなくて?」


 それは、ほとんど殺し文句だった。

 ゲオルグは無言で、足元の棺桶を蹴りつける。

 飛びだしたのは、銃身から刃が突きだす、特殊な形状の弾体加速装置ハンド・ガンだった。

 そのブレード部分が振動──高周波を発生させ、徐々に赤熱していく。


「……俺はさきに名乗った」


 言って、彼は銃剣をふるう。


「おまえの名前を、教えろ」


 ギィン!

 と、響く、金属同士がむ音。

 真っ赤な刀身が、容易く鎖を溶断し、骸を束縛から解放する。

 自由落下した木乃伊は、


「……いて」


 床面に激突し、恨みがましくそう呻いたが、彼は取合わなかった。

 銃剣を無言で突き付ける独りのネクロマンサーに。

 やがて骸は、観念したように名乗ってみせる。


「ヘレネー」


 それは、言った。


「環境適応プロトコル改変担当情報知性体──型式番号702964-2──自称、ヘレネーよ」


 骸が、肩を揺らす。

 笑っているようだった。

 ヘレネーを名乗る木乃伊は、そうしてこんなことを言い出した。


「さあ、急ぎましょう。早く戻らないと──」


 あなたの相棒は、生贄にされてしまうから。


 情報知性体の言葉を聞き、ゲオルグの目付きが、苛烈さを帯びる──

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