幕間 きっとふたりだけの食事

ちいさな〝島〟

 雫が一滴、カップのなかに落ちた。

 ごくわずかな時間、液体の王冠ミルク・クラウンを形成した雫は、やがて液体と馴染み、波紋だけを残してカップのなかへ溶けていった。

 天井を見上げていたゲオルグは、のんびりと視線を下げ、手に持ったカップへそっと口をつける。

 暖かで、ほんのりとした苦味が口腔に広がっていった。

 対面ではフードを目深にかぶり、首許をすっぽりと隠した少女が、なんども息を吹きかけ冷ましながら、同じものを口にしようとしていた。

 彼らが訪れたのは、比較的穏やかな〝島〟だった。

 ネクロマンサーが支配下におこうと思えるほどの規模もなく、かといって人々が生活するうえで不自由もない、そんなごく当たり前の〝島〟。

 旅人であると告げて検閲を潜り抜けたゲオルグたちは、〝島〟の高台に一軒だけあるという飲食店を訪れていた。

 普段からして甘いだけの固形食糧と、添加物によって凄まじい臭気を持つ蒸留保存水しか口にできない旅人にとって、そこはひとつの楽園であると言えた。

 だからだろう、店内は大入りだった。

 あちらの席、こちらの席で、賑やかに男たちや女たちが騒いでいる。

 エタノールをあおる者もいれば、珍しくなった煙草をふかす者もいる。

 机に突っ伏し泥酔する者、高らかに歌声を上げる者、腕試しだと力比べをする者たちもいる。

 そんな日常に生きる彼らを横目で眺めていると、店のものが料理を持って現れた。

 オートマンだ。

 ゲオルグが注文した合成肉のミディアムステーキと、理想化野菜パセリとイミテーションマッシュポテトのサラダ、代用レンズ豆のスープなどが置かれていく。

 支払いを求められて、彼は傍らの棺桶──ではなく、背嚢バッグを漁った。

 取り出したのは数本の情報流体。

 時にそれは、前時代における貨幣のような役割をはたした。

 なにを動かすにしても、必須のものだったからである。

 帰っていくオートマンの背を見送ると、すでにテーブルの上のものが半分ほど減っていた。

 口元を汚しながら、ツェオが一心不乱に食事を貪っている。

 頬をこんもりと膨らませ、カジカジと肉を齧る様に、ゲオルグも思わず相好を崩した。

 ネクロイドが食事を摂る必要性は、そう高くはない。

 どれほど肉体が損耗し、必要なタンパク質、アミノ酸、ビタミンなどが減少しようとも、情報流体は彼女たちの身体を循環し、指示式が有無を言わせず稼働させるからだ。

 それでも、長期スパンでの運用を考えるのなら、非効率でも栄養を摂取させるべきだと考えるものもいる。

 ただ、各種栄養素の詰まったアンプルの注射では、食事という概念自体が喪失してしまう。

 特別製であるツェオ──ゲオルグがひととしての復活を望む彼女であれば、記憶メモリーの喪失は痛手でしかない。

 だから、ゲオルグは機会さえあれば、ツェオに人間らしい振る舞いをさせていた。

 それでも、ネクロイドとして幾つかの欠陥を抱える彼女は、奇天烈な振る舞いに走ってしまいがちだ。

 シリコンや重金属を齧る悪癖もある。

 やれやれと首を振り、ゲオルグもまた、食事へと手をのばした。


「────」

「────」


 時間は、酷くゆるやかに流れていく。

 残酷なほど、ゆっくりと。


「ツェオ」

なんでしょうかヤー私の主マイスター?」

「おまえは、美味しいと思えるか」

「…………」


 ほとんどのアルミ皿が空っぽになったころ、ゲオルグはツェオにそう問いかけた。

 彼の瞳は彼女を見ているようで、しかし、どこか遠い情景に思いをはせているようでもあった。

 ツェオの瞳は、いつもと変わらずに眠たげなままゲオルグを見て。

 ややあって、ツェオは答えた。


はいヤー


 言葉はひどく少ない。

 その瞳の色彩も、この世のはてじみた色合いのままだ。

 それでもゲオルグには。

 ほんの少しだけ、彼女が楽しそうに微笑んだように見えた。

 彼は、口元を隠すように、カップに口をつけ、背嚢からいつぞやか手に入れたハードカバーを取り出す──


 これは、長い旅の中で、ほんのひと刹那だけあった憩いの時間。

 彼と彼女の、きっとふたりだけの食事──

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