哀しき領地の王
「──どうやら、すべてを知ったようだね、旅人さん」
〝神樹木〟から帰還し、死にかけの老人のもとへと戻ったゲオルグは、
「ああ……」
と、哀憫に満ちた声を絞り出した。
苦渋を噛み締めたような彼の表情を見て、老人は柔らかく問いかけた。
「戦ったのかい、あれと?」
「……あれはなんだ」
老人の問いかけに答えず、ゲオルグは猜疑心に彩られた言葉を吐く。
老人は静かに口を開いたが、そこから紡ぎだされた言葉は、ゲオルグが求めたわかりやすい返答ではなかった。
「月種はひどく恐ろしい存在だ。わたしが刃向えるようなものではなかったし、そもそもそんな発想を抱いてよい相手ではなかったのだ」
「あれは月種なのか?」
「違う。あんなに生易しいものではないよ。そもそも形あるものかすら、わからない。だが、わたしは憧れたんだ。その力に、その叡智に。わたしはただ……もう一度、家族と暮らす日々が欲しかっただけなのに」
「……だからか」
「だからさ」
老人は微笑み、ゲオルグは目を閉じた。
〝神樹木〟に星の雫に関する情報は保存されていなかった。
意図的に抜き取られ、丹念に抹消されていたのだ。
そして、エメト内部で稼働していた、防備のための無数のオートマトンは──
「ツェオは駄目だ。そしてここに、星の雫に関係する手掛かりがないのならば、いつまでも留まる理由はない」
「ああ、そう言うと思ったよ、私でも同じことを言う。だから──こうした」
老人が、その金属の塊と化した手を、ゆっくりと持ち上げる。
〝神樹木〟に向かうまではなかった情報流体のアンプルが、そこには突き立っていた。それが老人の手に、失われた活力を与えているのだった。
鳴らされる指。
途端、家屋の周囲が喧騒に包まれた。
モノクルの透過機能でゲオルグが外を見遣れば、無数の
200を超える集団。
200を超える兵士。
そのすべてが、金属に肉体を置換されたこの〝島〟の住人達だった。
この老人こそが、オートマトンを、そしてオートマンを操っていた機械たちの王だったのである。
「わたしは無理矢理にでも奪い取る。慧可珪素置換症候群でありながらネクロイドになるなどという奇蹟を、わたしはいまだ目にしたことが無い。見逃せない! その肉体なら、その化け物なら、或いは器として! ぐ──ッ!?」
「……ほかをあたれ」
激昂し、そして咳き込んだ老人を見おろし、ゲオルグは冷淡に突き放した。そのまま背を向ける。
老人の全身を侵す金属置換が、急激に進行を始めていた。
ゲオルグには、老人の限界が見えていた。
〝神樹木〟の演算リソースが消失した状態で、あれだけのオートマトンを操ったことは驚嘆に値する。
また、
ゆえに、それが寿命を削って行われる
加えて、老人は朽ちた体を動かすために、情報流体まで使っている。
莫大な過負荷。
その結果として、老人の
事実、老人の口元からは赤黒い血液がしたたり落ちている。
「駄目だ……必要なのだ……家族を……娘をよみがえらせるためには……
「俺には……おまえの言うことが、少しもわからない」
「──!」
激昂した老人が右手を振り下ろす。
ゲオルグは左手を振り上げる。
事前に仕込まれていた指示式が作動したのは同時だった。
だが──その優先順位は、あとに書き込まれた方が遥かに高かったのである。
すべてのオートマンが、その場で崩れ落ち、機能を停止する。
老人は絶望の眼差しで、それを見ている。
コアに接続したとき真実を知ったゲオルグは、こうなるように調律を行っていたのだ。
部屋の隅で、他のオートマンと同じように崩れ落ちた1体の機械人形。
ツェオはその頭をそっとなでていたが、ゲオルグが呼び寄せると、速やかに彼のそばへと寄り添った。
彼らは、そうしてそのまま、家屋を後にしようとした。
「待て……待ってくれぇ!」
老人が下あごを血に染めて叫ぶ。
だが、彼らは足を止めない。
「わたしは、わたしに出来ないことはないんだ! わたしは、この〝島〟の最後の人間──最後の王なんだ! 月種は、その代理人が、〝島〟を支配して、そしてわたしに、ひとを機械へと変える技術をくれた。領地をくれた、領民をくれたんだ! わたしは、私は娘を生き返らせたかっただけなんだ! 旅人さん、旅人さん! どうか、どうかわたしに機会を──」
ゲオルグは歩き続ける。
ツェオは一度立ち止まり、老人の方を振り返った。
老人の片っ方だけの瞳からは、
老人は──植民地の王は、割れんばかりに歯を噛み締めると、その不自由な右手を毛布のなかへと突きいれた。
毛布から取り出されたとき、王の手には一丁の
それでもゲオルグは態度を変えない。
代わりに棺桶の側面を叩くと、飛びだした六連式飛翔体射出装置を手にして。
そして──その最後の飛翔体を放った。
誘導弾は真っ直ぐに飛び、最後の王が家族だと呼んだオートマンへと着弾する。
爆発し、はじけ飛ぶ機械人形。
王の手が、しわくちゃな、金属の混じった手が、力なくベッドの上に落ちた。
慟哭をあげる、憐れな老人。
ゲオルグたちに立ち止まれという者は、もはやそこには存在しなかった。
◎◎
家屋を出て、数百メートル進んだところで、ゲオルグは乾いた音を聞いた。
王の死をもって再び休眠に向かう〝島〟から立ち去ったあと。
彼は静かに目を閉じ、世界樹の印を切った。
「おやすみなさい、おうさま」
ツェオの無機質な声が、しかしゲオルグには誰かを憐み、惜しんでいるように聞こえたのだった。
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