眠り逝くエメト

 老人がそれに気が付いたとき、もはやすべては手遅れだった。

 彼が住まう〝島〟──セクタ427を管理する〝神樹木〟は、深刻なエラーを吐きだしていたからだ。

 住民たちは解決の糸口をつかもうと尽力したが、ついぞその不調の原因を見つけ出すことはできなかった。

 〝神樹木〟は、やがて自らの判断により、問題点が解決されるまで己を著しい休眠状態に置くことを決定した。

 老人たち──この〝島〟の住民は、それを止める手段など持ち合わせていなかった。

 彼らは所詮、エメトにすがって生きる脆弱な人類に過ぎず、対して〝神樹木〟は、人類種の手には余る代物だったからだ。


「結果として、この〝島〟は守護を失ったのさ。胞子は活性を落とし、最低限の、放射線を防ぐ程度の力しか持たなくなった。そして……そこに、病が忍び込んだ」


 はじめの発症者は、老人の縁者だった。

 その指先が、〝神樹木〟が休眠した次の日から、金属の鈍さを帯び始めたのだ。

 その者は忌み嫌われたが、すぐに関係なくなった。

 住民たちの多くにも、同様の症状が見られ始めたからだ。


慧可珪素置換症候群アリストテレス・シンドローム。人間の身体が、金属へと変わる不可逆の病。気が付けば、多くの者がそうなり果てていた」


 生命の身体は炭素によって構成される。

 炭素は四つの電子──〝手〟を持ち、それによって多くの原子と有機的な結びつきをして、幾つものタンパク質を構築する。

 珪素や慧可珪素アリストテレスと呼ばれる物質は、炭素としくみが近い。ただ、その性質上1種類の形でしか結合できず、合成物を作れない。それは、決定的な有機性の喪失を意味していた。

 ゆえにこの病に罹患りかんした者は、ヒトの形をしていながらにして、ゆっくりと確実に、ヒトとしての機能を失っていくのである。


「慧可珪素置換症に、有効な対処法などない。置換された手指を切り落としても、やがては全身が金属の塊に変状するのみ。〝神樹木〟だけがその侵行を遅らせるが……この〝島〟では、それも叶わなかった。みな、わたしのようになった」


 老人は尽力したが、しかし健常な者たちは〝島〟を去り、そして病んだ者たちはすべてをマルチ・オートマトンに任せ、死の諦観を嘆き続けた。


「そうして、ひとり、またひとりと金属となって、死に絶えていった。ここがわたしだけの領地になるまで、そう時間はかからなかったよ。いまやここに残るのは、わたしのみ。わたしだけ、わたしかぎり。わたしは、この〝島〟の最後の住人なのだ」

「……話したいことは、それで終わりか」


 悲しみに呻く老人を見くだし、ゲオルグは冷ややかにそう言い放った。

 彼の知る限りそれは、けっして珍しい物語ではなかったからだ。あらゆる場所で、幾度となく繰り返されてきた、陳腐な悲劇に過ぎなかった。

 表情ひとつ変えようとしないゲオルグを見詰め、老人はその片方だけの瞳を小刻みに揺らしていたが、やがてため息とともに、再び口をひらいた。


「……わたしは、端末を好きに使っていいといった」

「ああ、だが、確認した限り、すでに端末は死んでいる。おまえに家族もいない。いるのは機械の下僕だけだ」

「……連れ添えばわかるが、あれは物言わぬだけでわたしの家族だよ……いや、大事な話をしよう。この〝島〟の〝神樹木〟は、月種の始まりに近い」

「……?」

「意味がわからないという顔をしているな」


 老人の嘲弄ちょうろうにも似た指摘に、ゲオルグは眉をひそめた。

 先の言葉も、続いた問いかけも、彼には意図が上手く理解できなかったからだ。

 対して、老人は黄色い歯をむき出しにして、笑顔を作る。


「わからないかね? つまりそれは、古い情報が記録されているということだよ」

「古い情報……いまでは失われたような?」

「そうだ。あるいは……それこそ星の雫に関する情報があるやもしれない」

「…………」

「なあ、旅人さんよ」


 老人は、その皺と金属だらけの顔で、静かに問う。


「旅人さんは──なんのために星の雫を求めなさる?」

「……おまえに答えるいわれはない」

「あの、お嬢ちゃんを人間にするためかい?」

「──ッ」


 刹那、ゲオルグの双眸が見開かれた。

 漆黒に近い瞳に、どうしようもないほどゆがんだ鬼火が宿る。

 老人へと突き付けたままだった射出装置がぶるぶると震えだし、把手グリップを握る指先は、白くなるほどに力がこもっていた。

 怒りとも、憎悪ともつかない感情が吹き荒れるその瞳を見て、老人は悲しげに微笑んでみせる。


「やはり、旅人さんも同じか……いいことを教えよう。〝神樹木〟を再起動すれば、情報を取り出せるかもしれない」

「──なに?」

「自己停止処分をくだしたのはあくまで〝神樹木〟自身だ。それはこの〝島〟の運営が難しくなったからに過ぎない。人間を鑑みないなら──もはや顧みる相手もおらんが──再起動によって情報をサルベージできる公算は高い」

「……なぜ、それを俺たちに教える?」


 ゲオルグは険しい顔を作る。

 〝神樹木〟はいまだ謎の多い、人類には過ぎた代物だ。だからこそ、その秘密を知る者は軽々に明かしたりはしない。

 平然としるべを灯して見せる老人の、その意図を理解できないゲオルグは困惑に眉をひそめるしかなかった。

 そんな彼を見て、老人はおかしそうに笑う。


「どうせ滅ぶ。もはやそれは変えられない未来だ。ならば、この〝島〟に住んだ最後の住人として、その終わりを見届けたいというだけのことだよ」

「…………」


 老人の言葉に、ゲオルグは顔を伏せて悩んだ。

 ゲオルグも、老人も、当然のようにツェオも口を開かない、沈黙だけが支配する時間が、長く続いた。

 やがて、老人に突き付けられていた射出装置が、ゆっくりと降ろされる。

 顔を上げたゲオルグは、老人をまっすぐに見据え。

 いくばくかの逡巡の後、ひどく素直に教えを乞うた。


「どうすれば、再起動できる?」


 老人は、表情にわずかな覇気を見せて、うなずく。


「中央演算室にいけ。もはやこの街の誰にもかなわないが、旅人さんたちならばできるだろう。〝神樹木〟の〝中核コア〟に複合信号を送るのだよ。邪魔者がいなくなればうれしいが……そうだ。そこのオートマンの腹のなかに、コードキーがある。中核にアクセスするために必要なものだ、使ってくれ」


 言われるがままゲオルグは立ち上がると、彼らのまえに液体の入った筒を持って来ようとしていたオートマンの肩に手をかけた。

 彼は一度だけ老人のほうを振り返ると、問答無用と言わんばかりにオートマンを殴り飛ばした。

 金属音を奏でて、倒れ伏す機械の人形。

 ゲオルグは歩み寄ると、腹部のハッチを強引に開き、そこにあった黄色いカードのようなものを掴みだした。

 かざすように老人に見せれば、首肯がかえる。

 彼は悲しそうな顔をしたあと、こう言った。


「一度黒く染まったものは白には戻らない。だから、こいつはやはり、おまえの家族ではない。あきらめろ」

「ああ……胸に刻んでおくよ。旅人さんの行く末に、月種の加護があらんことを」


 老人は半ば機械と化した震える右手で、星に芽生える樹木の印を切った。

 その祝福に、ゲオルグは答えなかった。

 答えるべき言葉を、見つけられなかった。

 背後で控えるツェオが、そんな彼をジッと見詰め、誰にも聞こえないような声で呟いた。


「死を知らないまま死んだものは、では、生き返れるのでしょうか……? その資格が、あるのでしょうか」


 答えるものは、世界のどこにもいなかった。

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