死に絶えた島の、最後の死 ‐セクタ606‐

 ゲオルグはふと、なにかの気配を感じて振り返った。

 左目にはめられた片眼鏡──量子モノクルが、視野を拡大する。

 どこまでも続く赤い大地。

 水平線までが、重金属と放射線、毒素、珪素シリコンに汚染されたその果てで、巨大な地虫のようなものがうごめいていた。


越種エクシードか」


 短く呟き、彼は前方へと向き直った。

 彼の眼前には、無数の死体──ネクロイドが倒れ伏している。

 そのうちの一体を、ツェオが見つめている。


「マイスター」

「ああ」


 ツェオが死体から、ゲオルグへと歩み寄ってきた。

 彼女は、ゲオルグが指示した通り、死体からはぎ取ったベルトを手渡してくる。

 彼はそれを、右手へと巻き付けた。

 胸の前で吊られた右手に。

 彼の総身は、驚くほど強靭だった。

 左腕などは、隙間なく張り付く微小素材外皮ナノスキン・スーツが隆起して、筋肉をよろっているようにたくましい。

 だが、右手は即席の三角巾でつられ、力なく垂れさがっている。

 ベルトは、それを補強するためのものだった。

 彼の髪の色は灰がかかっており、測ったように長くも短くもない。

 顔つきは精悍──というよりも、岩盤を削りだして作ったそれに近く、表情はひたすらに険しい。壮年と呼ぶにはまだはやく、青年と呼ぶには、あまりにまとう雰囲気が鬼気迫っている。

 その猛禽を思わせる瞳には、凄絶な色彩が宿っていた。

 左目には、片眼鏡モノクルがかけられており、時折、ちらつくような奇妙な照り返しをみせている。

 すべてが計算されたような均整を帯びながら、どこまでも不完全さを帯びる男。

 彼の背中には、先ほどの戦闘で武器を排出していた大きな〝棺桶〟があった。

 身の丈を超える巨大なそれは、傷まみれのボロボロで、表面にはかすれた金色の彫金が施されている。

 上蓋の部分には十字架ではなく、星の上に芽生える樹木を模した刻印が、緑色の光を宿していた。

 ゲオルグが、その量子モノクルがはまった視線を上げた。

 錆色の大地から、重く垂れこめた曇天の空へと、金属と珪素でできた樹木が伸びている。

 その樹状体──神樹木エメト

 天を衝くその威容を中心に、〝セクタ〟と呼ばれる区画が形成されている。

 神樹木からたえず放出される蛍光色の胞子は、領域フィールドを形成し、放射線や毒素を遮っていた。

 それを拠り所にして、いびつな街並み──ひとの営みの痕跡があった。

 シリコンを乱雑にくりぬいて作ったのであろう、入り口とも、窓とも知れない穴がいくつもある建造物。

 その周囲を、無数の金属配管が、不気味な触手のようにのたうっている。

 あのネクロマンサーに蹂躙されたのか、至るところに血痕はあるものの、人影は見えない。

 ゲオルグとツェオは、無遠慮にそこへと踏み入っていく。

 数時間をかけて、彼らは〝島〟の中心、〝神樹木エメト〟の内部に達していた。

 外界から隔絶されたそこは、静かな湖面の中央に、一本の苗木が生えているだけである。

 量子コンピューターと同一の性質を帯びる、有機的活動が可能なその珪素の塊を、ゲオルグはしばらく見つめていたが、モノクルが情報の引き上げサルベージを終えると、ゆっくりと首を振ってみせた。


「はずれだ」


 彼は静かな声音で、しかし落胆を隠しきれない様子で呟いた。

 収穫物は僅かにひとつ、いま彼の手の平の上にある旧時代の紙製のハードカバーのみ。

 そのページをぱらぱらとめくりながら、彼が背後に視線を向ければ、高純度の珪素と重金属で構成された外壁を齧っているツェオの姿が見えた。

 小さなため息。


「……味などしないだろう」

はいヤー。無味無臭です」


 起伏のない返事に、もう一度溜め息で返答し、彼は少女へと下がっているようにジェスチャーを送った。

 無味であるはずも、無臭であるはずもないからだ。

 〝島〟を制圧しうるほどの、上位ネクロマンサーの存在を聞きつけ、彼らはこの地を訪ねてきた。しかし、そのあてははずれたと言ってよかった。

 求めたものは謎多き遺物──星の雫ティア・ドロップ

 名も知らないネクロマンサーの手から奪還した〝島〟に、それについての情報は一切存在せず、すべては徒労でしかなかったことをゲオルグは痛感する。

 おまけに〝島〟はその在り方が大きく歪んでしまっており、現生人類が再び生きることは難しい。

 このままでは〝神樹木〟の〝胞子〟を好んで食す越種に占拠され、やがて一帯すべてを巻き込んで消滅するだろう。事実、すでにかなり近い距離まで、エクシードは迫っている。

 それが理解できたからこそ──できてしまったからこそ、ゲオルグは決断をくださなければならなかった。

 左腕一本で棺桶──集合可変兵装たる複合調律解析機Composite Rhythm Analyzerを、一時の逡巡の末、彼は構える。

 再びモノクルがちかちかと明滅し、最適な数値を算出する。

 距離、質量、弾頭材質、加速度、反動──そのすべてが棺桶の中に転送されると、棺桶に変化が起きた。

 CRAの足元部分が半分に割れ、上下に展開。

 後半部分は、十字形に似た排熱器官を露出し、銃身バレルが現れる。

 さらにいくつかの配線機関が地面へと突き刺さり、管理者のいない神樹木自体から無理矢理に電力を奪取する。

 電磁インパルスの収束。

 充電が終わると同時に、彼は狙いを定めた。


「……これは、骨肉ではなく心根まなじりにて狙い定めるものなり」


 さきほどまで目を通していたハードカバーの一節を、彼は囁くようにうたった。

 そして、モノクルがGOサインを出した瞬間、躊躇わずに引き金を引いたのだ。

 刹那、膨大な電力が収束し、弾頭に荷電──射出される。

 電磁投射式弾体加速装置 レールカノン 

 その420ペタジュールもの超エネルギーは、通常の方法では傷一つつけることも適わない神樹木の中核コアを、完膚なきまでに破壊してみせた。

 崩壊する。

 蛍光色の樹木が、枯れて、枯れ落ちて崩れていく。

 幾千枚もの枯葉が舞い散るなか、崩壊していく街並みを、ふたり組は歩いていく。

 〝島〟が、そうしてひとつ死に絶えた。

 この時代、人間が生き延びるために、なくてはならないものが、滅んだのである。


「……ツェオ、おまえはなにを思っている?」


 ゲオルグは──ゲオルグ・ファウストは、かたわらの感情を持たない屍人少女に問いをかけた。

 少女はなにも答えなかった。

 答えがあったとしたのなら、それは幻聴であり、


「ひとはかよわく、みじめです」


 ゆえに、その言葉は真実ではないものとして、ゲオルグの胸に刻まれた。

 彼はゆっくりと目を細め、やがて前を向く。

 なにかが彼の外套を引っ張った。

 見遣ればツェオの手が、金属となり果てたそれが、ちいさく、しかし柔らかに、ゲオルグの外套を掴んでいるのだった。


「おまえは」


 いまもなお、自分のことをゆるしていないのか?

 そう尋ねかけて、彼はやめた。

 それがどれほど無為なことであるか、ゲオルグ自身が誰よりも理解していたからである。


「……おまえのそばを、俺は決して離れない。俺はおまえを──人間にする」


 その言葉を、刻み込むように口にして、ゲオルグは進む。

 背後に、ツェオが無言でつき従う。

 彼らの姿が完全に見えなくなる頃、〝島〟はこの世から姿を消した。


 またひとつ、人類生存圏が、この世から失われたのだった──

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