第31話 相棒

「やっと来たか」


 蛇目恒星改め高天原たかまがはら学園学園長は、まるで温度を感じさせない目で僕を見ながら、溜め息まじりに言った。こっちはお前から「可及的速やかに学園に戻ってこい」と言われ、まさにその通りにしたというのに、なぜそんな邪険な扱いをされなくてはならないんだ。


「早くその辺りに座れ」


 学園長は僕から見て右側にある応接スペースの辺りを指差した。それは決して、そこにある黒い革張りのソファに座れ、という意味ではない。その辺りの床に座れ、という意味だ。僕は素直に、ペルシャ絨毯の外の床に正座した。


「よろしい」


 学園長はデスクから立ち上がると、軽く咳払いをした。


「突然だがクイズを出題する」


 予想外の展開に、僕の頭上に疑問符が浮かんだ。クイズだと?


 学園長はデスクの周りをゆっくりと歩き始めた。


「『ものごとをうまくやりとげる能力』を意味する言葉を答えろ。シンキングタイムを設ける必要もないだろう。さぁ、答えろ」


 お前のクイズに付き合っている暇などないというのに。とっとと用件を済ませて、とんぼ返りしよう。


「『才能』です」


「正解、答えは『才能』だ。類語として、才覚、才幹、才腕、器量、素質などが挙げられる。では次の問題」


 まだあるのか。


「『才能を持っている人間』を意味する言葉を答えろ。これは少しだけシンキングタイムを設けてやろう。五……四……三……二……一……零。さぁ、答えは?」


「えっと……『天才』とか『秀才』、です」


「そう、「天才」や「秀才」だ。それ以外には、俗才、異才、奇才、鬼才、英才などが類語にある」


 逐一復唱するのは何なのか。半ば、僕の回答を横取りされているような心地になる。そしてさらに別の回答をしてくるからに、知識不足を指摘されているようで、少々気に障る。


「では最終問題。先に述べた七つの言葉、天才、秀才、俗才、異才、奇才、鬼才、英才を、劣っている順に並べかえろ。シンキングタイムは――」


「いらないです」


 その問題が出題されることは推測できた。


「ほう、必要ないか。なら言ってみろ」


「俗才<英才<秀才<異才<天才<奇才<鬼才です」


「俗才<英才<秀才<異才<天才<奇才<鬼才の順、だな。正解だ。なんだ、思っていたよりかできるじゃないか、感心感心」

 いいから用件を早く言え。


 学園長は応接スペースのソファに腰を下ろし、脚を組んだ。


「さて、前置きはこのくらいにしておくか。私はね、長年疑問に思っていることがあるんだ。それは我らが愛しのお嬢が、そのカテゴリーのどこに属するのか、ということだ」


 は?


「今さら説明するまでもないが、お嬢は無尽蔵の才能をお持ちだ。絵画、彫刻、書道、華道、茶道、舞踊、歌謡、演劇、ピアノやバイオリンなどの楽器の演奏、指揮、作詞作曲、執筆、写真などの芸術系のみならず、陸上競技、球技、水泳、武道、スキーなどのスポーツ、車や重機などの運転、数学、物理学、語学、哲学などの各学問、はたまた占星術や奇術の類いに至るまで、やることなすこと全てに珠玉の業を見ることができる。枚挙に暇がないとはまさにこのことだ。お嬢が経験していないこともまだまだ沢山あることを考えれば、その可能性は宇宙が如く無限大だろう。まさに才能の塊。全知全能の女神。天はあのお方に、ニ物や三物では飽き足らず、与えられるだけの万物を与えたと言っても過言ではないはずだ。

 だが大変悔しいことに、いずれの分野においても、世界にはお嬢よりも秀でた者が存在する。お嬢よりも秀でているのだから、彼らは間違いなく鬼才だ。するとお嬢は自ずとその下の奇才ということになってしまう。腑に落ちないが、これが現実だ。しかし、だ。『木を見て森を見ず』ではないが、その鬼才たちに匹敵する才能を無尽蔵に持ち合わせているお嬢の方が、鬼才たちを凌駕していると言っても過言ではないのではないだろか?」


 過言ではない。でも「殺しの才能」は彼女にはなかった。それによって彼女は身も心も傷つき、それでもなお「殺しの才能」を努力で補おうとしている。それを知ってしまうと、お嬢様のことが途端に、僕たちと同じ人間に見えた。


「このあたりは言わば、スペシャリストとゼネラリストの関係性だ。どこまで論じても平行線。やるだけ時間の無駄なのかもしれない。ただ私としては、いや、我々としては、お嬢には常に鬼才として、輝かしく存在していてもらいたいとこいねがっている。そうすればより一層、我々の掌握する分野も地域も広がり、世界は平和になるに違いない。――さて、ここからがいよいよ本題だ」


 やっとか。危うく眠りそうだった。


 学園長は前屈みになる。


「私は今さらながら、そして思い出したように、お前に興味が湧いた。蔵の中を整理していたら、幼き日に親戚からプレゼントされた小難しい書物を偶然見つけて、当時は題名しか読まずに『つまらない』と思って放り投げたのに、改めてそれを見て不思議と中身に目を通したいなどと思っているような心境だ。

 お前は、お嬢とは対極の存在だ。月とスッポンなどという表現では生ぬるく、ダイヤモンドと消し炭ほどの差が、ありありとあり過ぎる。お嬢が鬼才、あるいは奇才ならば、君は凡才どころか不才、非才、菲才、無才と言って然るべき存在だ。

 そんなものに興味を持つなど、長年三ツ星の評価を受けているレストランのオーナーシェフが、赤の他人の幼子が初めて作る目玉焼きを食べたいと言っているようなものだ。論外。同じ土俵に上げるだけでも無礼千万の大羞恥だ。

 だが、それゆえに寧ろ、小さな疑問の種が生まれてしまった。何故お嬢は、無才のお前に溢れんばかりの好意を示しているのか、とな。

 ウチの家系の者の中には、お嬢への尊敬や敬愛があまりにも強すぎて、お前のことをかの黒光りする害虫以上に嫌悪する輩もいるそうだな。思い当たる節があるだろ?」


 あるよ。両手じゃとても足りないくらいだ。そういう輩とは全力で接触を避けてきたが、それでもどうにもならないことが今までに多々あった。


「かく言う私も、お前に興味を持った途端、不覚にもお前に嫉妬を抱いた。聞けば、お嬢が純真無垢な幼き時分だった頃の話といえども、お前に『将来私をお嫁さんにしなさい』などと仰ったというではないか」


 あぁ、そういえばそんなこともあったな。確か、僕が十歳かそこらになった頃の話だ。「お嫁さんにしてください」と言わないところが、実にお嬢様らしい。

「そんなことを知ったからには、お前のような無才者に対して、線香花火の火花のよりも小さな火種のような嫉妬が心を蝕んでいるのだ。それゆえさすがの私もお前を眼中に入れざるを得なくなった」


 だからといって、わざわざこのタイミングで呼び出すこともないだろうに。本当に僕の都合なんてどうでもいいのだろう。


「疑問が疑問たる理由はもう一つある。これは身内でも、私を含む限られた者しか知らないことだが、お前とお嬢は、いわゆる敵同士の身の上だ。その事実が、かの有名な悲劇の二人と重なるようで少しだけ釈然としないが、そのことについては割愛しよう、話が脱線し過ぎる。

 およそ二十年前、お前の親族は我らがあるじの手によって、お前を残して殲滅された。主も人並み外れた強さを持ったお方だが、お前の親族も大概だった。それを一人で殲滅させたというのだから、私にとってはさすがは主と感服するところではあるのだが、それゆえに、今以上に人畜無害な赤子を、お前を殺さなかった理由がわからず、腑に落ちなかったこともあった。

 今回の一連の事件も、元凶はそこにある。お前さえ殺しておけば、お嬢が怪我をすることもなく、私もお前に嫉妬することもなかったのだ。この怒り、お前にはわかるまい。今回もしぶとく生き残りやがって……。今からでも遅くはない、直接この手でお前を殺しておきたいくらいだ」


 そんなこと、わかりたくもない。そんなにお嬢様のことが心配なら、この一件からお嬢様を外すよう、大旦那様へ直談判しに行くくらいのことをしろよ。上には一切刃向かわずに媚びへつらい、下にはひたすらに踏ん反り返って威圧的な態度を取るところも相変わらずだ。


「お前もお前だ。やんごとない理由があったとは言え、お前は、お嬢の父親はもちろん、お嬢や天杜あまもり一族、はたまた分家の者たちに至るまで、全員を怨んでいても可笑しくはないはずなのだ。だなのにお前は、私が見る限り、どこにでもいる普通の無才者だ。殺意も人並み以下。なぜお前は我々を怨まない? 殺意を向けない? その点についても納得がいかない。そしてこうして冗長に、饒舌に喋りつつ頭を働かせても、一向に答えがでない」


 怨みがないわけではない。でもそれは、親兄弟を殺されたからではなく、僕自身がお前達から酷い扱いを受けているからだ。殺意を抱いたところでどうしようもできないことも、子どもの頃から知っている。僕は所詮無才者だ。でも無才者には無才者なりの復讐のやり方がある。いつの日かお前達を、必ずやギャフン! と言わせてやる……。


「釈然としないが、お前に問いたい。天杜家に仕える人間として、お前の便宜上の親として、そして一人の男として問いたい。お前はお嬢のことを、どう思っているんだ?」


 どう思っているかだって? そんなこと、一言では言い表せないほど、沢山の思いがあるに決まっている。でもこいつに言うのは、一言で充分だ。


「僕は、雨祗ちゃんを助けたいと思っています」


「助ける? お前が? 無才のお前が?」


「はい」


 学園長は口に手を当て、嘲笑し始めた。密やかな笑い声が室内に漂う。いくらでも笑うがいいさ、僕の思いは変わらない。


 しばらくして学園長の笑い声は止まった。


「そうか、お前がお嬢を。くっくっくっ……」


 学園長はソファから立ち上がると、僕の前にやって来た。そして文字通り、僕を見下す。


「お前にしては面白いジョークだ。まぁ、潔く使い捨てられる身代わり程度にはなれるといいな」


「はい、死ぬ覚悟で精進します」


「あぁ、とっとと死にやがれ、捨て駒」


 間もなく学園長はデスクに戻った。要件は済んだからさっさと出ていけというサインだ。僕は逃げるように退室した。しかし、今日ほど清々しく逃げられた日はないだろう。


 狙ったかのようなタイミングで、ポケットに入れていたスマホが鳴った。相手はうぎちゃんだ。冗談抜きで監視されているのではなかろうかと、周囲を確認してしまった。もちろん何もない、はずだ。


「もしもし、どうしたの?」


『うん、ちょっと声聞きたくなったから』


 言い回しは穏やかだが、これはきっと早く戻ってこいという無言の圧力だろう。我儘わがままというか“かまってちゃん”というか。


「今からそっちに行くから、夕方くらいまで気長に待ってもらえる?」


『あ、いや、確かに用件はあるんだけど、そうじゃないの』


 やっぱりあるにはあるのか。


『あのね、望ちゃんの様子をちょっと見てきてほしくて。ご両親とか満ちゃんと色々あったって聞いたから。それと怪我の経過も気になるし』


「あぁ、それもそうだね。うん、わかった。お見舞いに行ってくるよ」


『うん、お願いね。それとね――』


「まだあるのか」


『しばらく家に帰れないから、私の部屋から着替えとか暇潰しの道具とか、色々送ってもらいたいんだ』


「えっ、何で僕に頼むの?! 頼むなら普通、煌星きららとか七夕たなばたさんでしょ!」


『私はこうちゃんに取って来てもらいたいの。どうせ掛かる手間は一緒なんだから、いいでしょ?』


 悪くはないけど、でも役割は分担した方が効率的だ。物を探したり、箱詰めしたり、それをコンビニまで持って行って伝票書いたりと、意外とやることは多い。それに何より、僕が雨祗ちゃんの部屋に入って、下着などを物色しなければならないことが問題だ。だがしかし、どんなに恥ずかしかろうと、僕に拒否権はない。


「――はぁ……わかったよ、やればいいんでしょ、やれば」


『投げやりにやらないでね』


「わかってるよ」


『よろしくね。あ、あとね――』


 まだあるのかよ。


 その後も五個十個と頼まれごとを受け、ようやっと用件は終わった。そんなに頼むならメッセージで知らせてくれ、覚えるのが大変だ。


『それじゃ、よろしく頼むね、相棒サイドキック君』


 そう言って、雨祗ちゃんからの通話は切れた。


 不安感やら倦怠感やらはあるが、少なからず使命感はあった。相棒サイドキックと呼ばれて浮かれているからだろう。あんな風に言われたからには、それに相応しい仕事をしなければならない。


 よし、行こう。僕が雨祗ちゃんの相棒サイドキックだ。

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