第30話 僕にできること

「おい色魔、死にそうなくらい暇だ。どうにかしろ」


 茜色の西日に室内が染め上げられ出した時刻、満ちゃんは言った。今の今までテレビを見ていたが、欠伸あくびを連発していた。


「だから色魔じゃないって……。それならまたリバーシでもする? お嬢様の荷物に入っている奴を借りて」


「あぁ、いいぜ。お前になら飛車角落ちでも勝てら」


「将棋じゃないんだから、そんなハンデは――」


 突然、病室のドアが勢いよく開いた。細雪先生が息を切らせてドアの手すりにしがみついていた。


「う、雨祗お嬢様がーー!」


 僕と白露さんは前のめりになる。


「お目覚めに、なりました……!」


 自然と安堵の声が漏れ出た。


「まだ予断を許さない状況ではあるのですが、お嬢様が、どうしても黄道君と二人きりで話したいと仰っているので、急いで呼びに来ました……!」


「ぼ、僕と?」


 疑問符が頭上に浮かんだ。だがそんなのは直接会って話せば解決できる。僕は細雪先生に連れられ、早足で雨祗ちゃんの元へ向かった。


 広々とした個室だった。雨祗ちゃんはベッドの上で半身を起こし、茜空を眺めていた。一見絵になる美しさを覚えただが、全身に巻かれた包帯や呼吸器、点滴を見ると、不安を煽られた。


「こうちゃん、おはよう」


 今にも消え入りそうな声で、雨祗ちゃんは言った。お腹に大怪我を負ったからに、そこに力を入れて話すことができないのだろう。 


「おはよう……。もうすぐ夜になるけど」


「盛大に寝坊しちゃったね。次同じようなことがあったら、その時はこうちゃんに起こしてもらおうかな」


 雨祗ちゃんは人差し指を口に当てようとしたが、呼吸器に阻まれた。その仕種はもしかしなくても、白雪姫のワンシーンが如く、接吻せっぷんして起こしてほしいという意味合いだろう。そんなことは立場的に考えてできるはずもないが、そうだね、と受け流した。


「それで、話ってなぁに?」


「うん、積もる話があるから、余すことなくぜーんぶ話そうと思ってたんだけど、でもーー」


「でも?」


 雨祗ちゃんはニカッと笑った。


「何か、どうでもよくなっちゃった」


「えっ?!」


 雨祗ちゃんは呼吸器を外し、ファーッと言って息を吐いた。


「ゴメンね、こっちから呼び出しておいて。でも、本当にどうでもよくなっちゃったんだよ。こうちゃんの顔見たらさ、雲間から光が差したっていうか、霧みたいにモヤモヤした感情が風で払われたっていうか、まぁそんな感じなんだ」


 雨祗ちゃんがモヤモヤと悩んでいるのは、もしかしたらとても珍しいことかもしれない。良くも悪くも、彼女は即決即断する。いつだったか雨祗ちゃんに「悩んでるくらいなら、まずやっちゃったらいいんだよ」「そこさえ達成すれば、あとは惰性でも何とかなるもんだよ」などと言われたことがもあるくだいだ。考えることはしても、悩むことは基本的にしていないように思える。


 それなのに、僕の登場だけで、悩み事が全てどうでもよくなるなんて。実は大したことで悩んでいなかったのではなかろうかと、疑ってしまう。


「座ったら? 疲れるよ」


 雨祗ちゃんに雨祗ちゃんに勧められるがまま、ぼくは丸椅子に座った。


 しばらく待ってみたが、雨祗ちゃんは何も言わなかった。ただ僕の目を見て、悩みなど一抹もないような微笑みを浮かべているばかりだ。それを見ていると、僕の方がかえって悩み事が大きくなっていくような心地になった。


「……ねぇ、雨祗ちゃん」


「なぁに」


 もう口火は切ってしまった。言うしか、ない。


「あの時……僕に特別な能力があるってわかった時、雨祗ちゃんの表情が、僕にはとても恐ろしく思えたんだ。あの時雨祗ちゃんは、何を思っていたの?」


 雨祗ちゃんの微笑みが溶けるように消えた。そして僕から目を逸らした。


「さすがに気づくよね。ーーうん、ゴメン。やっぱ、全部どうでもよくなったっていうのは、さすがに嘘だった」


 雨祗ちゃんは空笑いした。その後、膝の当たりで手を組んで、それを見つめた。


「あの時……私はこうちゃんに、嫉妬してたんだ」


「しっと?」


「うん、嫉妬。そねねたんでた。それもかなり激しく」


「どうして……」


「だって、私が欲しくて仕方がないものを、あなたが持っていたんだもん」


 まだよくわからない。欲しくて仕方がないものって、僕の能力のことだよな。どうして雨祗ちゃんが、こんな人外の象徴のようなものを欲しがるんだ?


「私、小さい頃に父親から言われたんだ。『お前には才能がない』って」


「才能がない? 何言ってるんだよ、そんなことないって。学問でもスポーツでも芸術でも、雨祗ちゃんはやること成すこと全部、天才的にやってのけているじゃないか」


「ありがとう。でもね、そういうんじゃないんだよ」


「え?」


「例えて言うなら、そうだな、テレビゲームのRPGで、体力とか魔力とかのパラメーターがほぼ全て最大値なのに、一つだけ、運のパラメーターだけが0のせいで、パーティから外されちゃったキャラクターみたいな立ち位置なんだよね、私って」


「……何か一つだけ欠けているせいで、父親から見放されたってこと?」


「わざわざ例えたのに、ストレートに言い直さないでほしいなぁ」


「あっ、ご、ゴメン!」


 いいよ、と雨祗ちゃんは小さく言った。


「私は所詮、人なんだよ。『天才的だ』とか『才能まみれ』だとか言われても、それは人の範疇。対して陽牢石火とか父親はもはや化け物で、人の範疇から完璧に超越しているんだ。父親は、私が化け物になれる見込みがない、パラメーターが欠けているって意味で、『才能がない』って言ったんだよ。そんなこと言われるくらいなら、最初っから、何一つ才能がなかった方が、幸せだったよ……」


 そんなこと、言ってほしくなかった。せめて僕の前では。


「今回の件、推薦されたとは言え、期待はされてなかったんだよ、私。多分『生きて帰ってこれたら僥倖だな』とか『身の程を知れ』とか『これで諦めがつくだろう』とか、そういう思惑があったんだと思う。そうじゃなかったら『お前一人だけで完遂しろ』くらいのこと、平気でさせるからね、あの人たちは」


 雨祗ちゃんは今度は天井に視線を移した。


「そんな不安だらけの状態でいざ挑んでみたら、意外や意外、こうちゃんの才能が発覚しちゃうんだもん。それも殺し屋にはおあつらえ向きな、超治癒能力。そんなのがあったら、こうちゃん、立派な殺し屋になれるよ。きっと『殺し屋殺し殺し』にだってなれるよ。……羨まし、過ぎるよ……」


 再び下を向いた雨祗ちゃんは、極々小さな声で呟いた。


「薄々察してはいたけど、雨祗ちゃん、君はやっぱり、殺し屋殺しになりたいんだね」


「うん、父親を超えるような殺し屋殺しになりたい。そのために色んなことインプットして、アウトプットしてきた」


「どうして?」


「負けず嫌いっていうか、あの人に私のことを認めてもらいたいから、かな。まぁ、周りからしたら、幼くてくだらない動機に聞こえるよね」


「僕には……強くて儚い動機だと思えるよ」


 僕も同じような思いをずっと抱いている。常に僕のことを蔑んできた父親や親戚たちを見返してやりたい、一矢報いたい。そんな思いだ。


 そのストレスはとても強い原動力になっていた。でもある時気づいてしまった。見返したところでどうなるのかと。そんなのはきっと、イジメられていた相手に復讐したいと思うようなものなんだと。その後に味わえるのは、達成感よりも虚無感の方が大きいと思う。それでもその思いを諦めきれないのは、僕にはそれを昇華できる趣味や才能がなかったからだ。


「強くて脆い、か……。うん、そういう捉え方もあるね」


 反面、雨祗ちゃんには無限大の未来と才能がある。けれど、幼くてくだらない、強くて脆い考えに執着して、たった一つの未来しか視野に入れていない。おまけにそれは、世間的には全くもって輝かしいものではない、修羅の未来だ。そして達成しても、満足は得られないかもしれない。


 僕は雨祗ちゃんに、無邪気に笑っていてほしい。大会や講演を終えた、清々しい表情の雨祗ちゃんでいてほしい。僕に纏わりついてくるのは御免だけど、でもあの時の彼女も、実に彼女らしい一面だと感じる。


 雨祗ちゃんには、殺し屋殺しにはなってほしくない。だが僕が止めたところで無駄だろう。むしろ現状では逆効果になりかねない。


 それなら、僕にできることはーー


「雨祗ちゃん」


「ん? どうしたの、改まっちゃって」


 心臓の音が聞こえそうなくらいドキドキしている。一旦、深呼吸を挟もう。ーーよし、行こう。


「僕は、自分がずっと無才だと思った。それもあって、雨祗ちゃんのことを心から尊敬してたし、心から羨ましいと思ってた。嫉妬したことも、少なからずあったと思う……」


「……うん」


「そんな僕に、雨祗ちゃんは決まって『完璧な人間なんていない』『少しずつ成長しよう』って、言ってくれた。もしかしたら気休めとか皮肉で言った言葉だったかもしれないけど、でも、僕の心には響いた言葉だった」


「…………うん」


「だから、恩返しの意味を込めて、僕を君の傍にいさせてほしい。今回は渋々同行したけど、次は率先して君と行く。雨祗ちゃんが、運のパラメーターだけ0で他が最大値のキャラクターなら、逆に僕は運だけ異常に高くて残り全部最小値のキャラクターのようなものだから、だから、二人で一緒に、完璧を目指そう。雨祗ちゃんの夢に、僕も、協力させてほしい……!」


 気づけば日はとっくに暮れ、室内は薄暗かった。ドアの曇りガラスら差し込む廊下の照明の光はほぼ無意味に等しく、互いに手を伸ばせば届くほどの距離にいるはずの雨祗ちゃんの表情は、あまりよく見えない。その状態のまま、全てが静止したような沈黙がしばし流れた。


「今のって、もしかしてプロポーズ?」


 ――え?


 途端、背中や顔が一気に熱くなった。


「えっ!? あっ! い、いやっ! たた確かにそういう捉え方もできるかもしれないけど、でもそんなつもりは全然なくって! あ、いやっ、全然ないっていうのは失礼かもしれないけど、でもこれは無意識に出てきた言葉というか何というかーー!」


 そんなことを口走っている最中に、僕は雨祗ちゃんがうずくまっていることに気づいた。話すのを止めてみれば、密やかな笑い声が聞こえた。しかしすぐに苦しそうにお腹を押さえた。


「大丈夫!?」


「だ、大丈夫……。ちょっと、笑ったせいでお腹の傷に響いちゃって、あっ痛たたた……」


「真剣な話してたのに笑わないでよ……」


「ゴメン、ゴメン。あまりにも真剣だったから、一周回って可笑しく感じちゃって」

「なんだよそれ……。それじゃあまるで、僕がちゃらんぽらんな人間みたいじゃないか」


「だからゴメンて」


 そういいつつ、雨祗ちゃんはいまだ力なく笑っていた。肩透かしを食らった気分だ。それこそプロポーズするくらいの気合いで言ったのに、笑われてしまうだなんて。


「それで、答えは?」


「プロポーズの答え?」


「だっ、だからそれは――!」


「アハハ、冗談だって」


 雨祗ちゃんは一呼吸ついた後、言う。


「うん、私からもお願いします。私の夢に、こうちゃんの力を貸してください」


「雨祗ちゃん――」


 何故だろう。胸が痛いくらいに高鳴っているのに、とても心地よい感覚だった。

 雨祗ちゃんの表情が少しずつわかるようになってきた。朗らかな笑顔だ。その澄んだ瞳に吸い込まれるようにして、僕の体はどんどん前のめりに――。


 物音が聞えた。椅子から転げ落ちそうになるのを何とか堪え、僕は後ろを振り返る。


「あ、お蛇目さんもいらっしゃったんですか」


 看護師さんがいた。食事を乗せたワゴンを運んでいた。


「もぅ、いらっしゃるならお電気くらいお点けください。お目めがお悪くなってしまいますよ?」


 平安貴族のようなまったりとした口調で看護師さんがそう言うと、部屋の照明を点けた。その眩しさに、思わず目をつぶる。 


「あれっ? お二人とも、お顔がお赤いですよ? お大丈夫ですか? ちょっとお熱をお計りしましょうか?」


「大丈夫です!」「大丈夫です……!」


 僕と雨祗ちゃんの声がピッタリと重なった。より一層顔が熱くなった。


「左様ですか? それならよろしいのですが」


 看護師さんは病室に入ってきた。そしてベッドサイドテーブルに、ワゴンから移し始めた。さすがの雨祗ちゃん相手でも、入院食は普通の量、普通の献立だった。


「それじゃ、雨祗ちゃん、僕は部屋に戻るよ」


「うん、また明日ね」


 僕はほとんどそそくさと部屋を出た。そしてホッと胸を撫で下ろす。看護師さんが突然現れたことには驚いたが、現れなかった時のことを思うと、これで良かったと思う。


 あぁ、まだ胸がドキドキする。早く自分の病室に戻って、気持ちを落ち着かせよう。向こうにも夕飯の入院食が運ばれているころだろうし。


「おーい、黄道君!」


 振り向くと、細雪先生が早足で駆けてきていた。それほど速く走っているわけではなかったが、肩で息をするほど疲れてる様子だった。


「入れ違いにならなくてよかった……ちょっと僕の診察室まで来てくれますか? 今すぐ」


「えっ、いいですけど、何かあったんですか?」


「君に宛に電話です。恒星こうせいさんから」

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