第29話 敗者たちの自戒と成長

 翌日、水面から浮き上がったがような感覚を伴って、目が覚めた。


 昨夜の出来事は一体何だったのだろう。寝込みを襲われるのではないかとヒヤヒヤしていたのに、結局何事もなく就寝してしまった。雨祗ちゃんや白露さんに報告しようにも、情報が少な過ぎてかえって混乱させてしまいそうなきらいがある。ここは夢だと思って、胸の内にしまっておこう。


 身繕いをしてベッドのカーテンを開く。すると白露さんが床で土下座をしている姿があった。


「は、白露さん!?」


 予想外の事態に、僕は咄嗟に満ちゃんに助けを求めようとした。しかし彼女は、ベットに渡るテーブルに頬杖を突き、イヤホンをしてテレビを見ていた。


「おはようございます、黄道様」


 白露さんは静かな口調で言った。


「今回、私は何のお役にも立てず、皆様の足手纏いになってしまったことを、ここに陳謝致します。誠に大変申し訳ありませんでした」


「あ、頭を上げてください。白露さんがいなかったら、僕は陽牢石火にズタズタに斬り裂かれていました。白露さんのお陰です。感謝してます。だから――」


「あんなのは助けたうちに入りません!!」


 白露さんは顔を上げ、叫んだ。一筋の線が頬に流れる。


「鴻森家の代表としてお二人をお守りし、雨祗様のサポートをするのが今回の私の役目。しかし、私はあえなく日鷹雲海に制圧され、さらには陽牢石火の不意打ちを食らってしまったからに、雨祗様を瀕死の状態にまで追い込んでしまった……! これでは……これでは、私は……私は何のためにぃっ……!!」


 白露さんはうづくまり、声を殺して泣き始めた。


 言葉が見つからない。僕がどんなに良いことを言おうとも、今の白露さんはすべてを否定的に捕えてしまうだろう。僕じゃ駄目だ。きっと雨祗ちゃんとか、白露さんが尊敬する人の言葉でなければ、白露さんの心には響かない。


 ふと、満ちゃんがこちらにやって来た。僕の不甲斐なさを見兼ね、代わりに白露さんを激励してくれるのだろうか? そんな淡い期待は呆気なく消え去った。


 満ちゃんはサンダルで白露さんの頭を強く踏みつけた。


「なっ!? 何してんだ、満ちゃん!」


「お前さ、自惚うぬぼれんなよ」


 僕の言葉などまるで無視し、満ちゃんは言った。その言葉は憐れみを覚える、覚めたものだ。彼女の双眸も、それに伴い、蔑みを宿していた。


「鴻森家の代表ぉ? お二人をお守りするぅ? 天杜のサポートぉ? 大馬鹿かよ。もし仮にお前にそれだけの実力があったらな、ウチを含め、お前一人で今回の件綺麗さっぱり片付けられたわ。んなこと万が一にもできっこねぇって、自分が一番よ~くわかってんだろうが、あぁん?」


 満ちゃんは白露さんの頭の上に乗せている右足のうえに両腕を置いた。


「今のお前の実力じゃあな、そこの腰巾着一人助けるだけでMVPもんなんだよ。おまけに助けた本人が『感謝してます』って言ってんだぞ、素直に喜べや! 狂喜乱舞しろや!!」


 白露さんがわなわなと震えた。呻き声も漏れ聞こえ始めた。


「それでも喜べねぇくらいに悔しいんだったら、今すぐここで舌噛み切って自殺しろ。それも嫌なら、臥薪嘗胆がしんしょうたんしてウチに復讐しに来い。そんでもってウチにデスマスクつけさせてみろや。いいな?」


 ややあって、白露さんの頭が僅かに動いた。


「それでいいんだよ、雑魚ざこが」


 言動に問題があるものの、とりあえず白露さんは少しは立ち直れたようだ。あぁ、冷や冷やした。


 その直後、僕たちの朝食をワゴンに乗せた看護師さんが現れた。満ちゃんが白露さんの頭の上に足を乗せている場面に遭遇した彼女は、一言。


「そういうのは退院してからにしてくださいね」


 どこか勘違いされている嫌いがあるが、僕は適当に「ごめんなさい」と言って流した。




 食後、満ちゃんと白露さんはそれぞれに朝の問診やら包帯の交換などを受けたが、各言う僕は何もされなかった。問診の一つや二つしてくれてもいいではないかという苛立ちより、この医学的にも生物学的にもおかしな能力のことを調査しないでいいのだろうかという不安が、僕の中で渦巻いていた。


 まぁそれはさて置き。間もなくお昼になろうとした時間帯に、窓の隙間を通って矢文が飛んできた。突然のことに驚きはしたものの、矢の羽には『四季』の家紋が入っていた。鴻森家の家紋だ。白露さんは矢を拾い、手紙を開いた。


「随分とまぁ古典的で思わせぶりな方法だな」


 満ちゃんはせせら笑いを浮かべた。


「んで、何が書いてあんだよ、泣き虫ちゃん」


「少々お待ち下さい。読み終わるには今しばし時間が掛かります」


 集中ししているためか、満ちゃんに「泣き虫ちゃん」呼ばわりされたことを白露さんは指摘しない。


 ほどなく、半紙四枚程度の内容を白露さんは読み終えた。小さく溜息をついた。


「ウチのエージェントから、今回の一件についての現状報告です」


「やっぱりそうですか……。内容は?」


「まず、日鷹雲海と陽牢萌の消息が絶たれました」


「さすがは雲隠れ。まぁそう遠くないうちにまた現れるだろうけどな」


 日鷹雲海の場合はまだわかる。でも萌さんはどうやって逃亡したのだろう。火輪かりんちゃんとともる君のことも気になる。


「あとは?」


「次に、あの民宿から計四体の遺体が発見されました」


「遺体? それも四体も?」


「うち二体は、死後間もない子どもの遺体。どちらも、内臓をえぐり取られた状態でベッドに横たわってしました」


「子どもの遺体? えっ、ま、まさか――!」


「はい、火輪ちゃんと灯君です」


 胸に鉄柱を打ち込まれたような衝撃に襲われた。何で、どうして……。


「なるほど、合点がいったぜ」


 満ちゃんは腕を組んだ。


「どういうこと?」


「雲隠れが言ってただろうが。『陽牢萌は食事の後片付けしてる』って。ウチらが逃亡した直後、鬼婆は奴らの臓物を食らってパワーアップして、それからウチらを猛スピードで追いかけてきたんだろうよ。鬼婆本人も『保険を使っちまった』とかウチのことを『保険だ』とか言ってたから、間違いない」


「でもだからって……」


 自分の孫の臓物を食べるなんて、物語に登場する鬼婆以上に狂気に満ちている。


「残りの二体の遺体は、地下の隠し部屋から掘り起こされました。白骨化した成人の男女の遺体です」


「そいつらの身元はもう割れてんのか?」


 それが、と白露さんは言い淀む。


「遺留品によれば、彼らは陽牢篝火と萌ということらしいです」


 一時、他人の心音が聞こえてきそうな程に静まり返った。


「なんじゃそりゃ? 陽牢篝火かがりびはともかく、陽牢萌はあの場にいてピンピンしてたじゃねぇかよ」


「はい……。そこで考えられる選択肢は二つ。遺留品が作為的なものか、あの陽牢萌は偽物だったか、です」


「さすがに前者だろ。あんな奴に成り済ますメリットがよくわからんし、遺留品があること自体わざとらしい」


「僕は、後者だと思う」


「あ?」


 満ちゃんにメンチを切られた。一瞬怖じけたが、それでも僕は続ける。


「あの人は自分で『催眠術が得意だ』って言っていたし、日鷹雲海も、あの人のことを『呪術師』って呼んでいた。だからその術で本物の萌さんに成り済ましたり、陽牢篝火を殺したりした可能性は、ない話じゃないと思う」


「……確かにありえねぇことじゃねぇ。だが、そこまでする目的は何だよ」


「陽牢石火を監視する、とかかなぁ……。ゴメン、それ以上はよくわかんないや」


「その辺りのことも視野に入れるよう、同胞には連絡しておきます。ーーそして最後に、夕屋望、満について」


 満ちゃんの目つきが変わった。


「夕屋新から、二人の身元引き渡しの件について返答があったそうです」


「やっとかよ。んで? あのクソ親父は何て?」


「『望のみ、引き渡しに応じる。満は血族ではないので、引き渡しには応じない』と」


 本人以上に、僕の方が驚いてしまった。満ちゃんは飄々とした態度だった。


「結局ばれてんじゃねぇかよ。まぁでも、これで清々したぜ。もうあんな猟奇的な奴らのところに戻らずに済む」


「何でそんなに落ち着いてられるんだよ!」


 僕は思わず叫んだ。


「それでいいの?! 望ちゃんともう、会えないかもしれないんだよ!」


「所詮、あいつとは種違い、赤の他人同然だ。そんな奴の傍にいたって、煩わしいだけだよ」


 嘘だ。満ちゃんはあんなにも望ちゃんのことを思っている。傍にいたいに決まっている。でもどうにもならないことを知っているから、敢えてうそぶいているんだ。胸が締め付けられるようだ。


 しかしながら、と白露さんが口を開いた。


「夕屋望はその要請を頑なに拒否しているそうです」


「ーーへ?」


「『大切な妹と生き別れになるくらいなら、私も親子の縁を切ってやる。それが無理なら自分で自分の首を斬り落として死んでやる』と言っているそうですよ」


 満ちゃんは目を丸くしていた。だが次第にそれは潤い始めた。


「ば、馬鹿かよ、あいつ! あのクソ親父に盾突きやがって! あぁ、本当に馬鹿な奴だ! 信じられないくらいの大馬鹿野郎だ! 何が『大切な妹』だよ……。クソっ、臓煮え繰り返りそうなくらいムカつく……!」


 満ちゃんはベッドから飛び降りると、出口に向かって足早に歩き出した。


「ど、どこ行くの?」


「あの大馬鹿に説教してくんだよ! 絶対ついて来るんじゃねぇぞ、クソが!!」


 満ちゃんは壊れそうな勢いでドアを開閉し、姿を消した。


 その後満ちゃんは、昼食がスッカリ冷め切った頃合いに戻ってきた。まぶたは腫れあがる、瞳は真っ赤になっていた。それでも「大丈夫?」などと声をかける必要ななかった。彼女は朗らかな笑みを浮かべていたからだ。


 白露さんも満ちゃんも、今回の一件で一皮剥けた印象を受ける。心も体も傷ついた分、成長できたのだろう。それに引き換え僕はーー

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