第27話 負けるもんかああああああ!!!

 間もなく、陽牢石火と雨祗ちゃんの交戦が始まった。だが僕の目には、陽牢石火の姿はほとんど見えず、雨祗ちゃんが狭いエリアを小刻みに移動している姿ばかりが写っている。カチン! カチン! と乾いた音が何度も聞こえてきた。恐らくは雨祗ちゃんが、陽牢石火の二本の刀身を短刀で受けた時に出ている音なのだろう。


 だがあくまで受けているだけだ。雨祗ちゃんは小さな切り傷を次々と身体に作った。その度に空中に赤く鮮やかな小さな花が、咲いて散ってを繰り返した。


 僕もいつまでも見取れている場合ではない。白露さんに応急手当てを施さなければ。


「あぁ、やっぱりもう始まってたか!」


 日鷹雲海が走って現れた。白露さんの手当てがちょうど済んだタイミングだ。たわわな胸が上下に大きく揺れていた。僕の1m程手前で止まり、しばし息を整えた。


「どう、今のところどっちが優勢?」


「どっちと言われても……僕には何が起こっているのか…」


「それもそうか。まぁ、ぱっと見、鬼婆が優勢かな。あの短刀一本でどう挽回するのか、楽しみね」


 日鷹雲海は密かに笑った。


「おいお前、なに悠長に笑ってやがる」


 満ちゃんが言った。怪我をしていた右手と右足首には、ハンカチとパーカーを巻いて応急処置を施していた。


「ウチらを襲撃しに来たんだろうが」


「襲ってほしいなら布団の一つや二つ用意してほしいものね」


「はぐらかすな。それと陽牢萌はどうした?」


 日鷹雲海は首を振った。やれやれ、といった様子だ。


「この状況でわざわざ追い打ちする必要もないでしょ。そんなことよりも、今はあの化け物同士の戦いをこの目に焼き付けておきたいのよ」


 雨祗ちゃんと陽牢石火の戦闘はより激しさを増していた。音の感覚がどんどん狭くなり、陽牢石火の動きはまったく見えなくなかった。しかし雨祗ちゃんは、その動きに対応し始めて来たのか、負う傷は徐々に少なくなっているように思えた。


「それと、あのは後片付けで忙しいから、まだこっちには来ないわ」


「後片付け? 何の?」


よ。――あんなのはいいから、ほら、しかと観戦しましょうよ」


 どのくらい交戦が続いていたのだろう。感覚が麻痺するくらいに時間が経過した頃合いで、陽牢石火がようやく姿を現した。雨祗ちゃんから5、6m程度離れた道路の真ん中で、やはり四つん這いになっていた。一見したところ、得にダメージは負っていないようだ。


「いつまで防戦している気だい? お前の父親とり合ったときは血が凍るような戦いを私に見せてくれたよ」


「父と比べられてしまったら、私はお釈迦様に挑んだ孫悟空同然ですが、それなら私はせめて、あなたの血をたぎらせるような戦いにして差し上げますよ」


 そう言って雨祗ちゃんは、短刀を口にくわえると、地面に四つん這いになった。それを見て、陽牢石火の表情は明らかに不機嫌なものになった。


「お前、私の業を見よう見真似でやろうっていうのかい?」


「身体の使い方はおおよそわかりまひた。あほは実践ひっへんあるのみでふ」


「生意気な餓鬼がきめ……!」


 陽牢石火はこめかみの刀身に手を掛けると、刀身をヘッドバンドに対して水平にした。まるで闘牛のようだ。


「これで終わりにしてやるよぉ!」


「臨むところでふ!」


 刹那、雨祗ちゃんと陽牢石火が消えた。そして今までを遥かに超えた激しい音が、連続的に聞こえた。


「マジかよ、全然見えねぇ……」


 満ちゃんは驚きながらも、顔がにやけていた。


「凄い……」


 日鷹雲海は小さく唸った。


 僕はやはり今回も、その光景を馬鹿のように見ているしかなかった。


 このより一層激しい攻防は幕引きも早かった。


 鈍い音と共に、雨祗ちゃんと陽牢石火は再び姿を現した。


 雨祗ちゃんは串刺しにされていた。陽牢石火の刀身の一本がへその辺りを貫通し、太い木の幹に突き刺さっているのだ。もう一本の刀身は折れて、雨祗ちゃんのふくらはぎに斬り込まれている。雨祗ちゃんの短刀は陽牢石火の傍らに落ちていた。この攻撃で刺し違えたのか、陽牢石火の肩に大きな切り傷を確認できた。


「勝負、あったな。このままお前の腹をさばいて――」


「それはこっちの台詞ですよ……!」


 雨祗ちゃんは胸元から一枚の布切れを取り出し、素早く陽牢石火の首に回した。


「ぐぅっ!?」


「『肉を切らせて首絞める』ってねっ……!」


 雨祗ちゃんはその布で陽牢石火の首を絞め始めた。その力は陽牢石火の身体が少し持ち上がるほどだった。


 あっ! と隣にいた日鷹雲海が唐突に声を漏らした。


「何だ? ドラマの録画予約でも忘れたか?」


「そんなわけないでしょ!」


 満ちゃんの揶揄を一蹴し、日鷹雲海が指を刺した。


「あれ、私のスカーフじゃない! あの子が持ってたのね!」


 そうだ、思い出した。あの布、新幹線で僕が絞殺されそうになった時に使われたものだ。


「あんなチャッチーもん、よく捨てずに持ってたな」


「チャッチー?! 馬鹿にしていで! あれは特定の条件下ではアサルトライフルも貫通しない、日本刀でも斬れない強度をあの一枚に実現させた代物よ!」


「と言うことは、雨祗ちゃんはあれで防御を?」


「もちろん、本来の用途は絞殺するための暗器だけど、あの薄ーい胸くらいなら守ることはできたかもね。でもこの状況を見て、あの子は攻撃に転じた」


 陽牢石火はまさに死に物狂いで抵抗していた。雨祗ちゃんの手に鋭く爪を立てることに加え、頭や身体を振り、刀身で雨祗ちゃんの腹をグチャグチャとえぐった。それに伴い、奴の肩からビタビタと血が流れ出した。それは奴の足元にまで細く流れ、踏ん張りを鈍らせているように思えた。


「――っ! ぜっっ……たいにぃっ……! 負けるもんかああああああ!!!」


 響き渡る覇気に全身が震えた。


 雨祗ちゃんはもう、意識を保っているのが不思議なほどの傷を負っている。流血だって、さきほどの僕の比ではないはずだ。にも関わらず、雨祗ちゃんの力は弱まるどころか、より一層強くなっている気がした。そのことが、さらに僕の心を震え上がらせた。


「負けるなあああああああ!!!」


 叫んだ。息が続く限り、喉を潰さん勢いで。負けるな、絶対に、負けるな! 雨祗ちゃん!!


「がああああああああああ!!!」


 雨祗ちゃんがさらに猛々しく叫んだ。僕の声を掻き消すほどの声量だった。言葉ではなかったが、僕にはそこに込められた意味を感じた。


 ほどなく陽牢石火の手が雨祗ちゃんから外れた。そして土下座をする手前のような、スカーフに首を預ける格好になった。


 ややあって、雨祗ちゃんが崩れ落ちるように倒れた。その拍子に陽牢石火の頭の刀身が抜け落ちた。


「雨祗ちゃん!」


 白露さんをその場に置き、僕は急いで雨祗ちゃんの元へ駆ける。刹那、僕の顔のすぐ横を何かが通り過ぎた。ほぼ同時、背後から呻き声が聞こえ、振り返った。すると、すぐ真後ろにいた日鷹雲海の右目に刃物が突き刺さっていた。


 刃物を投げたのは、もしかしなくても雨祗ちゃんだった。さらに振り返った時、雨祗ちゃんは丁度腕を下していた。雨祗ちゃんのふくらはぎに斬り込まれていたはずの折れた刀身がなくなっていたから、それを使ったのだろう。


「つぎは……せいかくに、あてます……」


 雨祗ちゃんは陽牢石火の刀身を素手で折った。


「しっぽ、まいてにげるなら……いましか、ないです……よ!」


 雨祗ちゃんの口調は弱々しかった。だがそのオーラは陽牢石火に勝るとも劣らないものであり、身の毛が弥立った。


「わかった、わかったよ! お言葉に甘えて逃げてやるよ!」


 だが! と日鷹雲海は更に声を荒げる。


「私の顔を傷物にしたこの借りは、いつか必ず返してやるからな、覚悟しておけ!!」


 日鷹雲海は刃物を抜き捨て、覆面を被った。ほどなく彼女の姿は消えた。しかしその居場所は血の跡が教えてくれていた。


「お嬢様!!」


 腹から流れ続ける血を止めるため、僕は躊躇なく帯を解いて傷口を確認した。幼い子どもが乱暴にクレヨンを走らせたような傷の広がり方だった。衝撃的な光景と鼻を突く臭いに吐き気が込み上げる。だが気持ち悪がっている暇ではない。帯を包帯代わりに、傷口に巻きつける。


「……こう、ちゃん……」


 隙間風が如きすかすかの声で雨祗ちゃんは言った。


「喋っては駄目です! 命に関わります!」


「……わたし、たおしたよ……。はじめて、ひとりで、ころしやを……」


「だから、喋らないでって――!」


 雨祗ちゃんは朗らかに笑っていた。一筋の涙が頬を伝う。


「ほめて、おねがい……」


「……」


 帯を締めた後、僕は雨祗ちゃんの頭を丁寧に撫でた。


「ありがとう……」


 それは僕が今までに見た笑顔の中で、一番美しいものだった。


 そして雨祗ちゃんは静かに瞼を閉じた。

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