第26話 逃走、そして交戦

「さて、白虹の力は証明され、私も大分力を取り戻した」


 陽牢石火がベッドから降りた。少したどたどしいが、それでも自力で立った。


「死神、邪魔な二人を葬りな」


「あぁ」


「!? 待っ――!」


 僕が待ったを言うよりも早く、満ちゃんは発砲した。パン! パン! ガギン! という音が、立て続けに室内に響く。そして一時の静寂の後、陽牢石火が膝から崩れ落ちた。


 ――え?


「走れっ!!」


 満ちゃんが叫んだ。間もなく、僕は身体を強く引っ張られ、強制的に走らされた。引っ張っているのは白露さんで、僕の腕をガッチリと掴んでいる。その手首にはチェーンの切れた拘束具が着いていた。


 満ちゃんと雨祗ちゃんに続き、白露さんと僕は部屋を飛び出した。そして厨房の勝手口から外に出た。


 雨は上がり、空には黒い雨雲が散れ散れに漂っている。満月にほど近い月が高く昇っており、濡れた道を朧気に照らしていた。


「夕屋満!」


 白露さんが叫んだ。


「これはどういうことか説明しなさい!」


「説明しねぇとわかんねぇのかよ、面なし女が」


 満ちゃんは振り返らずに言う。白露さんは咄嗟に自分の顔に触れ、そのまま恥ずかしそうに両手で顔を覆った。


「あれはフリだよ、フリ、裏切ったフリ。あいつらが油断する隙を作るための作戦だ」


「いつそんな作戦を!」


「元を辿れば三日前になるか。天杜から『二重スパイになってほしい』って頭下げられたんだよ」


「なっ!? ほ、本当なのですか、雨祗様!」


「ホントだよ。ゴメンね、内緒にしてて」


 雨祗ちゃんは白露さんを一瞥し、謝った。それに対して白露さんは湿っぽい声で「いいえ」と返事をした。


「拳銃突き付けられた時は正直ゾッとしたけど、でもそれで向こうの警戒も解けてくれた。ありがとね、満ちゃん」


「望姉ぇを人質に取られてるようなもんだからな、下手なことはしねぇよ」


 間もなく民宿の敷地外を出て、山道に入った。向かって右手は木々が生い茂り、左手は崖下への転落防止のためのガードレールが連なっていた。僕はてっきり山の中に入って身を隠すのかと思った。だがしばらく経っても坂を下り続けていた。


「ねぇ! いつまでこうして走ってるの!? 山の中に隠れた方が良くない?!」


「あいつらはこの辺の地理に詳しい。罠を仕掛けられてる可能性だってある。そんな危険な場所においそれと入る馬鹿がどこにいるんだよ」


「す、すみません……」


「体力的に辛いのであれば、私が黄道様をお背負いしますよ」


「い、いいえ、それは大丈夫です! 自分で走れます!」


 貧血の心配もあったが、今のところ大丈夫そうだ。


 ふと、雨祗ちゃんが後ろを振り返った。目が合う。だがすぐに目を反らされた。


 やはり僕のことを警戒し、距離を取りたいのだろうか。いつの雨祗ちゃんなら、労いやら心配の声をかけてくれるだろうし、白露さんよりも早く僕を背負うと言い出しそうなものなのに……。


 駄目だ。今は逃げることに集中しなければ。車でここを上った時には、それほど時間はかからなかった。人の脚でも、そこまで時間はかからないだろう。そして今だ追っ手が接近してきている様子はない。これならなんとか逃げ切れるのでは? もちろんそんなことはなかった。


「――っ! 来た!」


 雨祗ちゃんが叫んだと同時、僕は白露さんに抱きついて山側へと跳ばされた。雨祗ちゃんは同じく山側へ、満ちゃんは崖側へ跳んでいた。


 刹那、一陣の突風が僕たちのすぐ傍を通過した。さながら空気の砲弾が突き抜けていったような勢いだ。


 何だ、何が起きた?! 白露さんに道路に押し倒され、その柔らかさを感じる暇さえなく、僕は周囲を確認する。ガードレールにすぐそばに、満ちゃんが座っていた。右足首を押さえている。怪我をしたのだろうか? 雨祗ちゃんは僕たちから数m離れたところに立っていた。こちらは特に何事もないようだ。


「ほほぅ、雨祗お嬢さんは無傷かい。まぁ、そのくらいできてもらわなきゃ、話にならないがね」


 声がした。進行方向数十m先の道路の真ん中に陽牢石火がいた。気のせいだろうか、先ほどよりも肉体がたくましくなっているように思える。


 陽牢石火は地面に四つん這いになっていた。こめかみの辺りに、反りの緩やかな刀身を二本携えている。ヘッドバンドのような鉄輪に、刀身が固定されているのだ。刃は上を向き、額から150度くらい開いた角度だった。


 今の突風、もしかしなくても陽牢石火の仕業だろう。まさに電光石火の勢いで追いかけて来たということか。


 苦しげな声がした。白露さんだ。見れば、その背中はベットリと濡れていた。染みは徐々に広がっている。


「白露さん!?」


 呼びかけると、白露さんは僕に首を傾けた。


「黄道様……ご無事ですか?」


「人の心配している場合じゃないですよ! それに僕はーー」


「ご無事なら……よかった……」


 白露さんは朗らかに笑った。だが間もなくその笑顔は消えた。


「は、白露、さん?!」


「申し訳、ありません……少し、休み……」


 白露さんは目を閉じて静かになった。息はあるけれど心配だ。


 この傷も陽牢石火の仕業に違いない。ただ追いかけて来ただけじゃなかった。それから僕をかばって白露さんは……。


「い、今すぐ手当てしますから!」


 突然の銃声。満ちゃんが陽牢石火目掛け、発砲したのだ。だがその方向に陽牢石火はいなかった。いつの間にか、そこから数m後方のガードレールの上に器用に乗っていた。


 満ちゃんは再び発砲した。が、またしても陽牢石火の姿はそこにはない。今度は満ちゃんの背後に回っていた。そして満ちゃんが今一度そちらに銃口を向けた時には、陽牢石火はまたまた逆サイドにいた。


「……っくそが……っ!!」


 満ちゃんは右手を押さえていた。ポタポタと血が滴る。その下には拳銃がバラバラに斬り刻まれて転がっていた。


「何でウチを殺さねぇんだ! 嘗めてんのか!?」


「本当なら細切れにして熊の餌にでもしてやりたいところさ。だがお前にも鬼火の貴重な血が流れているからねぇ、いざという時のための保険に、今は生かしておいてやるよ」


気狂きちがめ……! って言うか何でテメェ生きてんだよ、確実に脳天撃ち抜いたはずだぞ!」


「けっけっけっ、白虹の血を取り入れておいたお陰で、急死に一生を得たんだよ。だがそのせいで使が、まぁ背に腹は代えられん」


 陽牢石火は立ち上がり、雨祗ちゃんに身体を向けた。


「さて、お次はお前だよ、雨祗お嬢さん」


 雨祗ちゃんは激しい剣幕で陽牢石火を見ていた。


「律儀に味方がやられるのを待っていたのかい。非情な小娘だね」


「もちろん助太刀したかったですよ。でもそんなのは私のエゴで、満ちゃんにとってはただの横槍です。同じ殺し屋として、彼女の矜持を傷つけるわけにはいきません」


戯言ざれごとを。本当は畏縮して動けなかっただけなんだろ?」


 雨祗ちゃんは「はい」と消え入りそうな声で返事をした。


「あなたの気迫、業、経験……。どれを取っても、私があなたに勝てる見込みはほとんどありません。あなたを前にしていると、父や兄たちを思い出して、とても正気ではいられなくなりそうです」


「じゃあ大人しく殺されてくれるかい? それならせめて苦しまないように殺してやるよ」


「絶対に嫌です」


 雨祗ちゃんは断言した。


「何が何でもあなたを殺して、この一件に幕を下ろさせてもらいます。こうちゃんは、絶対に渡さない!」


 胸がゆっくりと温かくなっていく心地がした。僕って人間はつくづく、単純な奴だな。


「そうかい。それなら、存分に甚振いたぶって、痛めつけて、なぶって、殺してやるよ……!」


 水を張ったような緊張が流れた。ややあって雨祗ちゃんは着流しの帯から短刀を抜き、構えた。刃が月光に照らされ、薄っすらと輝く。そして雨祗ちゃんは威風堂々と名乗る。


「天杜雨祗。通り名もないひよっこだが、気力と意地だけは神が相手でも絶対に負けない! 全身全霊で戦う!!」


「陽牢石火。通り名は鬼婆。今日まで生き延びてきた執念深さと実力の差を、そのちっぽけな命と引き換えに教えてやるよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る