第24話 晴烈白虹の素性

 広々とした和室は数台の行燈あんどんによってボンヤリと照らされている。その中で、ベッドで半身を起こしている人物と、その傍らに立っている人物の姿を確認できた。後者はモエさんだ。ということは前者が、前者の老婆が、陽牢石火か。


「ようやく、会えたなぁ、……」


 老婆が途絶え途絶えに言った。先ほど聞いた、あの背筋が凍るような声の主だった。


「その呼び方、止めて頂けませんか?」


 雨祗ちゃんは顔をしかめた。


その呼び名は私の身には重過ぎます。できれば名前で呼んで頂きたい」


「細かいことを、気にするねぇ……。まぁ、いいだろう、雨祗、お嬢ちゃん」


「あなたが陽牢石火ですか?」


「あぁ、そうさ。私が、ゴホッゴホッ! はぁ……鬼婆と、呼ばれ、恐れられたぁ、陽牢ぉ、石っ――!」


 老婆は酷く苦しそうな咳を何度も吐いた。空かさずモエさんが老婆の背中を献身的に摩った。


 こいつ、本当に陽牢石火なのか? 凄味はあるが、ひどく弱々しい印象を受ける。骸骨のようにやせ細った顔や腕、申し訳程度に生えている長い白髪は、まるで生気を感じない。良く見れば、鼻と口からチューブを通しており、モエさんの背後には大型の医療器具が数台稼働していた。


 こんなの、誰がどう見ても死にかけの病人だ。白装束を纏っているからに、ますますそう思える。だが僕たちを睨む双眸は、赤く爛々と輝き、野性的な恐怖が心ジワジワと湧き出て来た。


「さて、陽牢石火。私たちは遠路遥々ここに参上した次第ですが、私のこうちゃんを、蛇目黄道君の素性を知っている理由と、命を狙う理由を教えて頂けますか?」


「そんなことを、聞くために、わざわざ、私らの根城に、やって来たのかい? しかも、ターゲットまで連れて来て。まったく、愚かだねぇ……」


「その方がそちらとしても話が早いでしょ? むしろ感謝してほしいくらいです」


「確かに、感謝に、値するよ……。そんなこと、されたら、質問に答えなきゃならない、心境に、なっちまうじゃないか……。ゲホッゲホッ! うぅっ……狡賢ずるがしこい、小娘め」


「で、どうなんですか? 普段の私なら、年上の方の話にはちゃんと耳を傾けますが、今回は別です。あなたにしても、そう悠長にお話できる状況でもないでしょ?」


「嫌味な言い回し、だが、それも事実さね……ゴホッ! わかった、とっとと、済ませるとしよう」


 陽牢石火はモエさんをチラッと見た。モエさんは小さく頷いた。


「ここからは義母ははに代わって、私、陽牢もえが説明するわ」


 萌さんは淡々と言った。昼間の温かみのある声や愛嬌はまるで感じられなかった。


「ちょっと長めの説明パートになるけど、その後は戦闘パートが控えているから、どうか根気よく聞いて頂戴ね」


「……よくわかりませんが、可能な限り手短にお願いします」


「善処するわ」


 萌さんはコホン、と小さく咳をした。


「まず、蛇目黄道君改め晴烈はれつ白虹きよし君の素性を知っている理由だけど、何てことはないわ、なの」



「え?」


 僕は思わず雨祗ちゃんの方を見た。雨祗ちゃんは目を丸くし、口をポカンと開けていた。絵に描いたような、驚いた人の顔だ。きっと僕も同じような表情をしていることだろう。


「二人とも知らなかったのね。まぁ、当然ね。こっちとしても、その辺のことは可能な限りひた隠しにしてきたから」


 萌さんの表情はよく見えないが、声のトーンは少し下がっていた。


「僕が、陽牢家と、どう繋がっているっていうんですか?」


 あまりの衝撃に、僕の言葉を発するのに苦労した。


「白虹君、君は自分の父親のことを知ってる?」


「い、いいえ。名前も顔も知りません」


 というか、今まで特に気にしたこともなかった。


「君の父親は、名を晴烈日暈ひがさと言うわ。だけどこれはお義兄にいさんが自分自身でつけた名前。本名は陽牢鬼火おにびと言うの。義母の第一子で、私の夫、篝火かがりびの歳の離れた兄よ」


「かげろう、おにび……。ん? えっ、じゃあ僕は……陽牢石火の、孫?」


 陽牢石火は口角をグニャッと上げ、萌さんはしっかりと頷いた。


 ボーリングの玉を落とされたような心地に襲われた。『鬼婆の孫』なんて、なんと絶望的な響きがする言葉だろう。物語では母体の腹掻っ捌いて取り上げられてしまったことを思えば、よくニ十年も命があったものだ。


「こうちゃんの父親のことは、少しだけ知っています」


 雨祗ちゃんは険しい表情をして言う。


「『絶望の晴烈家』最初で最後の当主。通り名はそのものズバリ『絶望』……。裏世界では今なお恐れられている、陽牢石火、あなたと同じかそれ以上に伝説的な人物ですよね」


「あぁ、親としては、鼻が高いが、同業者としては、憎たらしいこと、この上ないねぇ……」


「あの人のことは、出生は勿論、何もかもが謎に包まれています。ですがそれにしたって、陽牢石火の息子というのは半信半疑です」


「そう言うと、思って、これを用意して、おいたよ」


 陽牢石火はサイドテーブルの上にあったものに懸命に手を伸ばすと、それを掴んでこちらへ投げた。いや「投げた」というよりは「落とした」といった方が正しいかもしれない。飛距離がまるでなかった。


 雨祗ちゃんは警戒しつつもそれに近づき、拾い上げて戻って来た。そして帯からスマホを取り出して、ライトでそれを照らした。


 アルバムだ。大学ノート並みの薄さであるからに、それほど枚数はないのだろう。だが、殺し屋御三家の一角と恐れられる一家にも、このような代物があることが意外だった。


 付箋ふせんが挟まっていたので、雨祗ちゃんはその場所を開いた。僕と満ちゃんはそれを両サイドから覗き込む。


「あっ!」


「えっ!?」


「へー」


 その一枚、カラーの家族写真を見て、僕たちはそれぞれに驚いた。


 妙齢の女性――おそらく陽牢石火――が豪奢な椅子に座り、赤子を抱いている。周囲には、大人の男性が一名、青年が一名、少年が一名、少女が一名がいた。その青年が、僕にそっくりだった。今の僕よりも一回りほど若いのだが、それでも、そこに自分がいると錯覚してしまう。


「それはね、篝火が産まれた時に、撮ったものさ」


 陽牢石火は言った。視線は僕たちにではなく、どこか遠くを向けている。


「その頃の鬼火は、もう十五、六か、そこらの歳、だったはずだ。我が強くて、負けず嫌いな子でねぇ、血反吐が涸れるような、辛い稽古をつけても、あの子だけは、一度たりとも、根を上げなかったことはなかったねぇ。才能も、身内の中では、ずば抜けて恵まれていた……」


「白虹君の顔をは、私も義母ははも本当に驚いたわ。アルバムのその写真で見た、今は亡きお義兄さんと瓜二つだったんだから」


 ネットの記事? しばらく考えて、思い出した。雨祗ちゃんの個展に、たまたま僕が写り込んでいたあのことを言っているに違いない。


「夢にも思わなかった再会に、私たちは歓喜したけど、諸手を上げて喜ぶだけと言うわけにもいかなかった。よりにも寄って君は、あの天杜家の懐刀、蛇目家にいるのだから。君を手中に収めるのは一筋縄ではいかないことはすぐに察したわ」


「だから殺し屋御三家の他ニ家に依頼した、と言うわけですか?」


 威圧的な雨祗ちゃんの質問に、萌さんは小さく首を横に振った。


「依頼じゃないわ。協力体制よ。日鷹雷鳴も夕屋桂子も、ほぼ同時に白虹君の存在に気づいて、そして同じ壁にぶつかった。それゆえに結成に成功した、奇跡的かつ限定的な組織よ」


 雨祗ちゃんはふーっ、と息を吐いた。


「こうちゃんがあなたの孫だというのは、一応信じるとしましょう。では、日鷹雷鳴と夕屋桂子はどうやってこうちゃんの存在に気づくことができたんですか?」


「それも私たちと同じ。彼らもまた、白虹君と身内なの」


「何を、言っているのですか?」


 雨祗ちゃんは怪訝な表情を浮かべた。


「天下の殺し屋御三家全てが身内? そんなご都合主義な話、さすがに信じられません。仮にあったとしても、どちらか一方の一族だけのはずでしょう?」


「信じないというのであれば、説明を割愛するけど」


「……続けてください」


 わかったわ、と言って萌さんは話を続ける。


「まず日鷹雷鳴さん。彼の上の妹のかつぎさんが、白虹君の母親なの。私は彼女とは面識はないけど、雷鳴さんはかつぎさんを溺愛していたみたいで、彼女の忘れ形見として、白虹君を手中に入れたかったみたいよ」


 言われてみれば、日鷹雷鳴には僕に対して殺意を向けていなかった。あくまで僕を捕えようとしていたのだろうか? でもそれなら何故電撃を撃って来たのだろうか。感電死してしまったら元も子もないのに。


「次に夕屋桂子さん。あの人は当時、お義兄さんのめかけだったんだって」


 僕は思わず声を上げてしまった。


「私は当時のことを知る由もないし、知ろうとも思わないけど、あの人はいまだ未練たらしく、お義兄さんのことを想っていたわ。白虹君のことを捕えたあかつきには、お義兄さんの代替として愛するつもりだったんだって」


「なるほど」


「いやいや、全然なるほどじゃないよ! あの雷親父が僕の伯父で、満ちゃんの母親が父親の愛人だなんて、理解も納得もできないよ!」


「こうちゃん、私もこうちゃん程じゃないけど、凄く混乱してるんだよ。だからわかったことがあったら、取り敢えずでもそう言っておかないと整理が着かないし、話も先に進まない」


「それは一理あるけど、でも……」


 ちなみだけど、と萌さんが言う。


「桂子さんがお義兄さんとの間に身籠った子が、そこにいる満ちゃんよ」


 僕も雨祗ちゃんも、同時に満ちゃんに視線を向けた。満ちゃんはいつもと変わらない、飄々ひょうひょうとした佇まいだった。


「満ちゃん……知ってたの?」


 雨祗ちゃんからの問いに、満ちゃんはコクリと頷いた。


「母親から依頼の件を聞かされた時に、一緒に聞かされた」


「の、望ちゃんは知ってるの?」


「望姉ぇと父親は知らないらしい。だから最初は私だけの依頼になるはずだったんだ。でも何かの機会に依頼の話だけが父親の耳に入って、父親が『半人前のお前じゃ無理だ』っていうんで、望姉ぇもやる羽目になったんだ」


 僕からの質問も、満ちゃんは淡々と答えた。声色にも口調にも特に変化は感じられなかった。


 もしかして、この旅に彼女がついて来たのも、そのことが関係していたのか?


 駄目だ、衝撃的なことが多過ぎて頭が追いつかない。一旦整理しよう。


 僕は陽牢石火の孫で、日鷹雷鳴の従兄弟で、満ちゃんの異母兄で、僕の生存を知って寄ってたかって僕を捕らえようとしているーー何なんだよ、この状況は。


「関係性はわかりました」


 雨祗ちゃんは語気を強めて言った。


「ですが、日鷹雷鳴も、満ちゃんと望ちゃんも、こうちゃんのことを殺そうとしていました。今の話と矛盾していますよね?」


「一見そう思えるけど、実は矛盾はしていないわ」


「どういうことですか?」


 萌さんは一旦、医療器具の上に置いてあったペットボトルの飲み物を一口飲んだ。


「顔が似ているというだけで、あなたを晴烈白虹だと判断するのは尚早過ぎるでしょ? あなたの父親の天杜喜雨きうに根絶やしにされたはずの晴烈家に、生き残りがいたというだけでも驚きだっていうのに。だから私たちは、君が本物の晴烈白虹かどうか、確かめる必要があったのよ」


「殺して確かめるっていうんですか?! そんな馬鹿な。こうちゃんの毛髪か何かをこっそり回収して、DNA鑑定した方が確実じゃないですか!」


「それも当然したわ」


 したのかよ。一体いつの間に。


「結果、君はほぼ間違いなく陽牢家の血を引いていることが判ったわ。だけど、それだけじゃまだ調べられないことがあるの。そしてそれが判明すれば、喜雨が君を殺さなかった理由も、私たちがもハッキリとするわ」


「こうちゃんを殺して、何がわかるって言うんですか?」


 雨祗ちゃんの語気に、僕は少し鳥肌が立った。


「それは白虹君にはとあるちーー」


 刹那、騒音が室内を貫通した。

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