第20話 回想/病室での出来事

「満ちゃんは、どうして殺し屋になったの?」


「……は?」


 満ちゃんは日本刀のような鋭い視線で僕を睨んだ。もともと僕に対する視線はそんなものだったかもしれないけれど、思わず目を逸らしてしまった。


 満ちゃんは唐突に僕の病室に現れた。雨祗ちゃんが退院して間もなくのことだった。


 望ちゃんのお見舞いのついでだったのか、それとも何かの気まぐれなのかはわからない。でもお見舞いしに来たという意思はあるようで、スナック菓子や2リットルのペットボトルのお茶などを携えていた。それらが入っていたビニール袋は院内にある売店のものだった。


 現在この病室には、僕と満ちゃん以外に四人の人間がいる。言わずもがな、満ちゃんの監視役だ。一人は主治医の深雪みゆき先生。あとの三人は、鬼洗おにあらいさんのところの人たちだ。出入り口に一人、満ちゃんの横に二人立っている。彼らは全員強面こわもてがいい。


 事実鬼洗家は、身内の間では「天杜家を裏で支える一族」と称されている。天杜家が商っている闇金融業の管理が主な役割だが、それ以外にも、本家とは独立した組織ーー端的に言ってしまえば暴力団ーーを結成し、裏の世界での取引を盛んに行っているそうだ。雨祗ちゃん曰く、鬼洗家の人たちは皆、いわゆる任侠の道に生きる人たちだから、信頼できるらしい。だがやはり、本人たちを前にすると身構えてしまう。


 満ちゃんは病室に入ってから一言も喋らず、丸椅子に座ってスナック菓子を食べ続けていた。望ちゃんの容体やら満ちゃん自身のことを尋ねたが、満ちゃんはほぼノーリアクション。対応に困って、出入り口近くの壁に寄り掛かっている深雪先生に視線で助けを求めた。しかし深雪先生は首を横に振られるだけだった。ダメ元で鬼洗さんのところの人たちにも視線を送っても、無表情を貫かれた。


 サクサク。ガサガサ。スナック菓子が貪られる音ばかりが病室に響く。それに耐えかねたために、僕は思わず、そのような質問を口走ってしまったのだ。


「何でそんなこと聞く」


 地獄の深淵から聞こえてきそうな声で、満ちゃんは言った。そして食べ終わったのであろうスナック菓子の袋をグシャ! っと丸め、ベッド横のゴミ箱に投げ入れた。ナイスイン。


「えっと……この前望ちゃんが、本当は漫画の道に進みたいって言ってたのを思い出して……。だから満ちゃんも、実は殺し屋以外になりたいものがあったのかな~って……」


 満ちゃんはじっと僕の目を見た。視線を外した途端に襲いかかって来そうな気迫を感じ、瞬きすらまともにできなかった。深雪先生や鬼洗の人たちも、緊迫した面持ちで満ちゃんを窺っていた。


「ねぇよ、そんなもん」


 満ちゃんは視線を逸らして吐き捨てるように言った。そしてビニール袋から新たに、チョコレートの詰合せを取り出して、開封。中身をごっそりと掴んで、僕に投げてよこした。ベッドの上にチョコが散乱した。


「ウチは殺し屋になりたいんだよ。誰よりも強い殺し屋に」


「自転車とか射撃とかも得意なのに?」


「自転車は身体作るためにやってるだけだ。思いの外結果出しちまってはいるがな。射撃は、それこそ人を殺すために身につけた。それ以上でも以下でもない」


「殺し屋になりたい理由とかきっかけは?」


「……何でテメェにそこまで教えやらなきゃならねぇんだ」


「す、スイマセン……」


 満ちゃんは立ち上がると、そそくさと病室から出て行った。それに伴い、鬼洗の人たちも出て行った。


「ホント、気の張った子だね」


 深雪先生が僕のところにやって来た。そして極々自然にチョコを食べ始めた。


「君になら何か話してくれるんじゃないかって、ちょっと期待してたんだけど、駄目だったねぇ」


「そんなこと期待されても……」


「最後に君に会いたいって言うもんだからさ、期待しちゃうわけよ」


「えっ、最後? どういう意味ですか?」


 深雪先生の表情に影が差す。


「今朝あの子の実家から連絡があってね、これから身元の受け渡しがあるんだよ。依頼遂行を絶対遵守するあの夕屋家のことだから、いくら実の娘の初任務とは言え、きっと……」


「そ、そんなーー!!」


「…………まっ、嘘だけどねっ」


 この人の話を真に受けた僕が馬鹿だった。思わずチョコを投げつけそうになった。


「ゴメンゴメン、そう怖い顔しないでよ。連絡があったっていうのは嘘だけど、でも君のことを心配してたのは本当だよ。君が目ぇ覚ましたのを知った時、あの子の表情が明らかに変わったもの」


 それこそ嘘臭くて仕方がない。が、どこか信用してしまいそうになる。


「きっと胸の内に秘めてるものがあり過ぎて、上手く話せないんじゃないかな、あの子。だから黄道君、一度は命を狙われた相手だけど、上手く付き合ってあげてね」


 不安しかなかったけれど、僕は「はい」と返事をした。




 ズボンの中でスマホが震えた。電車の揺れがいい感じに作用して、いつの間にか居眠りしていたようだ。


「あっ、起きちゃった?」


 雨祗ちゃんが囁くように言った。車内はガラガラだけど、雨祗ちゃんは僕にぴったりと身体を寄せていた。いや、僕が雨祗ちゃんに寄り掛かっていたのだろう。


「まだ寝てても大丈夫だよ」


 雨祗ちゃんはサングラスをつけている。視線を悟られないようにして、周囲を注意深く観察するためにつけている。サングラスは眼鏡のレンズの上から磁石で装着するタイプだ。彼女がサングラスをしていると、幼い容姿がますます幼く思えた。 


「ううん、大丈夫。シャンとするよ」


 大雨の影響で、ダイヤは三十分程の遅れが出ていたが、それでも電車は無事に出発した。


 僕たちは事前の打ち合わせ通り、なるべく分かれて席に座った。僕と雨祗ちゃんは車両中央、白露さんは車両前方の端、満ちゃんは僕たちから少し離れた車両後方の席にいる。


 時間帯と天候の兼ね合いか、車内は恐ろしく空いている。僕たちを除くと、同じ車両に乗客は他に五人しかいない。それはそれぞれの乗客の様子を的確に確認できるメリットになるが、反対に僕たちが警戒していることに気付かれやすいデメリットを孕んでいる。


 そうだ、スマホ。メッセージか何かを受信したのだろう。画面を見れば、予想通りメッセージを受信していた。満ちゃんからだ。


『呑気に寝てんじゃねぇぞ 永遠の眠りに就きたいか』


 文字情報のやりとりだけでは勘違いが起こることが多々あると聞く。だけどこの文章に勘違いが介入する余地はないだろう。満ちゃんを一瞥すると、冷たい目で僕のことを見ていた。


 間もなく新しいメッセージが届いた。


『こっちみんな 目ぇ潰すぞ』


『ごめんなさい』


 メッセージと共にスタンプも送ってみたが、既読スルーされた。ジワジワと辛い対応だ。


 窓の外に目をやると、雨風はさらに激しさを増していた。空はより黒く重い雲に支配され、そこから篠つく雨が降り注く。外の景色はまったくといっていいほど見えない。まるでトンネルの中を走っているようだ。暗澹あんたんたる不安と漫然たる憂鬱を覚える。


 それとは対照的に、車内は驚くほど穏やかな時間が流れていた。覚えている限り、既に五つほど駅を通過したが、乗客が一人、四十後半の女性が増えただけで、それ以上の変化はほとんどない。こんな天気では利用客も限られてくるようだ。


 鈍行列車特有の強すぎず弱すぎない揺れと、一定で単調なリズムの走行音が、また僕に眠気を蓄積させた。確実に着実に、敵の元へと近づいて行っているにも関わらず、どうにも緊張感に欠けてしまっている。このままではいけない。でも、やっぱり眠い。


「やっぱり寝てた方がいいよ」


 横目で優先席に座る老人を見ながら、雨祗ちゃんは言った。新幹線で休ませてくれなかった人の台詞せりふじゃないだろ。ともあれ、こんなところで雨祗ちゃんに甘えるわけにはいかない。僕は頭を振って、多少なりとも眠気を払う。


 またスマホが震えた。満ちゃんだ。


『眠いぞ 暇潰させろ』


 また無茶なことを仰る……。少し考えた後、返信した。


『望ちゃんの容態はどうですか?』


『まぁまぁ元気してるよ 昨日ようやくスプーン摘めるようになったって喜んでた リハビリ目茶苦茶辛そうなのに、ウチが来るといつも通りに笑ってくれるんだぞ 姉の鏡みたいな人だと思わないか? 思うだろう? 思わないわけないよな? でもな一人になる時間がほとんどないのがちょっと辛ってさ まぁそればっかはどーしよーもねぇよなぁ 正直捕まったときは拷問させる覚悟だったからな あるいは それに比べたら遥かに恵まれた環境だよ それは良いとして、今度お前に会いたいとか言ってたぞ しかも嬉しそうにだ おい、どういうことか説明しろ いつウチの望姉ぇを口説きやがったこの腰巾着』


 めっちゃ喋るじゃん、満ちゃん。というか、シスコンだったのね。意外な一面をこんなところで垣間見ることになるとは思わなんざ。


『説明も何も、口説いた覚えないですって そもそも望ちゃんは数少ない友だちです だから口説くなんて大それたことしませんから』


 上手く言葉を纏めらなかったために、返信に五分以上掛かってしまった。だのに、返信は一瞬かと思うほどに早かった。


『何で口説かないんだよ! お前、望姉ぇに魅力がないって言いたいのか!?』


『そんなことはないですよ! 望ちゃんは魅力的な女性で、会うといつもドキドキします』


『望姉ぇに色目使ってんじゃねぇぞ!』


 どっちだよ。と、さすがにツッコミを入れたかったところだったのだけど、そのタイミングで電車が急停車した。身体が電車の進行方向にグッと持って行かれた。


 皆が皆、何が起こったのかと周囲のようすを伺っている最中、間もなく車内アナウンスが聞こえてきた。


『停止信号です。少々お待ち下さい』


 嫌な予感がする。この事態を予期していなかったわけではないが、けれど「きっと大丈夫」などと安易な考えを持っていた自分が叱責したくなった。


「これはちょっとマズイかもね……」


 雨祗ちゃんも嫌な予感を感じ取ったようで、小さく呟いた。細い眉がハの字になっていた。満ちゃんと白露さんの様子を窺うと、二人も不安の色を顔に滲ませていた。まぁ白露さんはお面しているからわからないけど。


 窓を打ち付ける雨の音を聞きながら待つこと五分弱。再び車内アナウンスが入った。


『お客様に申し上げます。さきほど気象庁より、阿武隈川あぶくまがわ氾濫はんらん警戒情報が発表されました。これにより、次の停車駅の五百川駅とその先の本宮駅間で河川が氾濫し、その影響で線路が冠水する恐れがあります。そのためこの電車は、次の五百川駅より先の運転を見合わせさせて頂きます』


 乗客たちの落胆ないし諦観の声が車内に小さく聞こえた。


『お客様にはお急ぎのところ大変ご迷惑をお掛け致しますが、お客様の安全のため、ご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。また東北本線下り、各駅停車郡山行きの電車は、ホームを降りて向こう側にある三番線から、およそ十分後の発車を予定しております。繰り返し申し上げますーー』


 やり場のない苛立ちが僕の中に充満していくのを感じた。天気に悪態をついたところで全くの無意味であることはわかっている。事故に巻き込まれなかったことは幸いだ。それでもやはり、何かに、誰かに、文句の一つでも垂れたくなる気分は払拭できなかった。目的の駅までもう数駅なのに、また足止めを食らうなんて……。


 スマホが震えた。白露さんからメッセージだ。雨祗ちゃんと満ちゃんにも届いたらしく、ほぼ同時にスマホを確認していた。


『一旦体勢を整えましょう 次の駅で降ります』

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