第19話 立ち込める暗雲

「日鷹の人間に殺されそうになった?!」


「色仕掛けにあって殺されそうになった!?」


 白露さんと雨祗ちゃんがほぼ同時に声を上げた。


「黄道様、この件が済みましたら、私はどのような罰もお受けします! 黄道様をお守りできなかった償いを、どうかさせてください!!」


「こうちゃん! あれほど女の身体に見取れたりするなって言っておいたのに! 帰ったらタダじゃおかないんだからね!!」


「それにしても、よりにもよって夕屋満、あなたに手柄を奪われるとは……。しかし、これでいい気にならないでくださいよ。この借りはあとで必ず返させて頂きますから、覚悟しておいてください」


「満ちゃん、こんなドスケベ助けてくれて本当にありがとう! 望ちゃんも退院したら、三人でご飯食べに行こうよ! 高級フレンチのフルコースでも満漢全席でも黒毛和牛一頭食いでも、何でもご馳走するから!」


 二人の言葉は上手く重なり合い、僕にはその内容はほとんど聞き取れなかった。とりあえず、帰ったらヤバいことになるというのはわかった。


 一方満ちゃんは、全部聞きとったのかそうでないのかはわからないけれど、適当に「はいはい」と返事をしていた。 


 ほどなくして、僕たちは冷静に次のことを相談する。


「まだこの車内に刺客がいないとも限りません。次の駅で下車し、普通電車に乗り換えて目的地を目指しましょう」


「レンタカーの方が早く着くんじゃないですか?」


 僕の質問に、白露さんが優しく答えてくれる。


「確かにそうですが、例えば車で追ってきた敵にこちらの車を破壊させられた場合、そこから目的を目指すのは厳しくなります。その反面電車は、周囲には一般人の目もあるので、そうそう目立つ行動はできません」


「なるほど」


「その分、行く先々の駅で待ち伏せされる危険性が無茶苦茶あるけどな」


 満ちゃんは特上カルビ弁当を食べながら言う。


「乗客全員に目ぇ光らせて、一瞬たりとも気ぃ抜かないようにしねぇと、また不意打ち食らってお陀仏だぞ」


「その辺のことは、全部私がやるから安心して」


 雨祗ちゃんは、満ちゃんから貰った鯵の押し寿司弁当を食べながら言った。


「控えのエージェントと連携し、今まで以上の警戒態勢で進みます。万に全てを期すようにしますが、黄道様も、どうぞ油断なさらないようにお願い致します」


 はい、と返事をして、僕は新幹線の外を見た。ちょうどトンネルを抜けたところだったが、抜けた途端、窓を突き破らん勢いで、水滴が打ち付けた。外は大荒れだった。そのことが自分たちの行く末を暗示しているようで、心が重くなった。


「おい」


 満ちゃんに呼ばれてそちらを向くと、弁当を手渡された。パッケージにはデカデカと蟹の絵が描かれていた。


「テメェも食え。駅着く前に全部片付けねぇと荷物になるんだよ」


「えっ、いやでも、僕自分で買ったのが――」


「殺し屋から買った弁当なんて食うんじゃねぇよ、毒盛られてたらどうすんだ。あ、お茶も絶対に飲むなよ。代金なら後で立て変えてやるから、黙って食え」


 これも彼女なりの気遣いなのだろうか。ありがたく頂戴することにした。


「お前も食うかよ?」


 満ちゃんは白露さんにも弁当を手渡した。受けとらないだろうなと思っていると、案の定、白露さんは首を横に降った。


「お面をつけたままでは食べられないので、遠慮します」


 それが本心なのか否かの判断は僕にはつかない。そして白露さんは席を立った。


「日鷹の死体を片付けて来ます。皆さんはどうぞお食事をお楽しみください」


「うん、よろしくね」


 白露さんは雨祗ちゃんと僕に会釈をして歩き去って行った。


 ある程度席から離れたところを見て、満ちゃんが舌打ちをした。


「可愛いげのねぇ奴ぅ。ウチの弁当が食いたくねぇんならハッキリとそう言えっつーんだ」


「ゴメンね、満ちゃん。白露さんって、本当は人と会話するのも難しいくらい恥ずかしがり屋さんなの」


「本当かよ。顔合わせ早々因縁つけられたぞ」


敵愾心てきがいしんを持ったお陰で緊張がなくなったのかもしれないね」


「テキトーなこと言うな」


「まぁ、時間をかけてゆっくり縮めていってよ。そうすればきっと――」


 ドタバタと足音が聞こえてきた。通路を覗くと、白露さんが血相を変えて――お面で見えないけど――走ってきた。


「ど、どうかしましたか?」


「……し!」


「し?」


「死体がありません!」


 三人が三人とも一斉に立ち上がった。白露さんを先頭に、僕たちは前方のデッキへ急いで出る。そこには死体はおろか血の水溜まりさえもない、上品な雰囲気漂うデッキがあった。


 雨祗ちゃんと白露さんは駆け出して、グランクラスの車両に向かった。満ちゃんはデッキのトイレや洗面台、ごみ箱、死体があった場所などを入念にチェックした。一方僕はと言えば、満ちゃんの背後をアタフタと、金魚の糞のようについて回ることしかできなかった。鍵が賭けられた、用具入れか何かを拳銃で撃ってこじ開けようとしたのは、さすがに止めたが。


 僕は最初、幻を見せられていたのではとなど思った。だが木目調の壁にはほんの僅かな血が付着していたし、カートもそのまま放置されていた。さらに満ちゃんは犬のように床の臭いを丹念に嗅いで、ハッキリと血の臭いがすると言った。


 ほどなく雨祗ちゃんと白露さんが戻って来る。


「こっちには誰もいないよ」


「乗客全員虱潰しらみつぶしに自白させたのか?」


「そもそも乗客はいないんだよ。8号車から10号車までの座席は、全部うちの方で買い占めたから」


 サラっと凄いこと言ったよ、この人。確か8号車は指定席で、9号車は僕らが座っていたグリーン席、そして10号車はグランクラスだ。始発から終点までって考えると……一体いくらかかるんだよ。まぁ、万全を期すためにやったことだろうから、必要なことだったとは思うけど。


「運転席は?」


「走行中ではさすがに調べられません。駅に到着したら、私が直ぐ様確認します」


「そこに居なかったら……ックソ! あのあままだ死んでなかったのかよっ!!」


「脳天撃ったのに死なないって……そんなことあるんですか?」


「んなこと知るかボケ! っちったぁ自分で考えろ!」


 僕は返事さえできなかった。


「殺されることを想定して、カモフラージュの仕込みをしてたって考えるのが妥当かな。日鷹の人なら、サイボーグみたいに身体のあっちこっちに色々な武器とか道具を隠してても、全然おかしくないし」


「私たちがこの場を離れてからおよそ二十分……。逃げ隠れするには十分な時間ですね」


「一杯食わされたってことかよ……。だぁあ、ますますムカつくー!!」


 満ちゃんは力一杯に床を叩いた。


 車内にアナウンスが流れた。ほどなく駅に到着する。


 白露さんは「今一度車内を隈なく捜索いたします」と言って、再びグランクラスの車両に向かった。この場のことは白露さんに任せ、僕らは席に戻った。


「満ちゃん、さっき言ってたスカーフ、ちょっと貸してくれる?」


「ん」


 満ちゃんは僕の首を締めた、ピンク色のスカーフをポケットから取り出し、雨祗ちゃんへ手渡した。雨祗ちゃんはそれを触ったり、伸ばしたり、振り回したりと、細かく調べた。


「何かわかった?」


「ん……日鷹の人がこれを作ったって言うのは納得できるんだけど、それにしては何か地味だなって」


「地味?」


「だってこれ、強く首締められるだけだよ? ここから電流が流れたり、毒針が仕込まれてたり、はたまた刃物に早変わり~なんてギミックがあっても全然いいのにさ」


「暗器なんてそんなもんだろ」


「まぁそう言われたらその通りなんだけど……」


 満ちゃんの言葉に、雨祗ちゃんはさらに頭を悩ませているようだった。


「満ちゃん、これ、私が持っててもいい?」


「好きにしろ。ウチのじゃねぇしな」


 降りて直ぐ、白露さんと合流した。そして案の定、運転席には運転手の男性ただ一人しかいなかったと聞かされた。僕たちも一応運転席を覗いてみた。隠れられるスペースは皆無ではなさそうだが、そのことが返って僕たちの神経を逆なでしているような気がした。


 あの女性がどのようにして死を免れ、あの場から姿を消したのか、僕はまったくわからない。満ちゃんはかなりイライラとして考えるのを放棄した反面、白露さんと雨祗ちゃんはまだまだ答えを模索している様子だった。


 ベルが鳴った。ほどなく新幹線は発車して、ホームから姿を消した。まだあの中に乗っているのか、他の乗客に紛れて降りたのか。それらの不安も抱きながらも、僕らはホームを降りた。


 切符は白露さんが購入してくれた。再度改札口を通ろうとしたところ、駅員の男性がその傍らに看板を設置した。そこには、これからますます天候が悪化し、ダイヤの乱れや一部運休が発生するという内容だった。


 雨祗ちゃんは腕を組んで、「う~ん」と唸り声を上げた。


「これは今日中に目的地に着くのは難しいかもしれないね」


「そうですね。せめて新幹線で本来降りるべきだった駅までは行っておきましょう」


 改札を通り、エスカレーターを降りてホームに出た。新幹線のホームの天上はすべて屋根で覆われていたが、在来線のホームは線路の上には屋根がない造りになっていた。そのため強風に吹かれた篠突く雨が、黄色い線の内側までビッショリと濡らしている。


 軒先から見える空は、鉛色の重々しい雲に覆われていた。雨が止みそうな気配は一抹もない。


 僕たちはホームのほぼ中央に固まって、電車が来るのを静かに待った。

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