第18話 車内販売員
「黄道さんも召し上がりますか?」
白露さんが、僕に酢昆布を差し出した。随分と渋いチョイスだ。
「ありがとうございます」
できれば寝たいのだけれど、満ちゃんのお弁当の匂いを嗅いでいたら、僕もお腹が空いてきてしまった。車内販売員の人が通ったら、僕も何か食べ物と飲み物を買おう。適度な満腹感があれば、眠気も生まれるかもしれない。
ところで、と白露さんは声を潜めて言った。
「黄道様は今回の件をどう思われますか?」
「迷惑な話だなって思いますよ」
酢昆布を口に入れる。唾液がジュワっと滲み出た感覚があった。
「僕みたいな凡人以下の人間相手に、どうしてここまでしてくるんだって話ですよ。そんなことしたって何のメリットもないでしょうし」
「本当にそうでしょうか」
白露さんはお面の隙間から酢昆布を入れて食べた。
「まず黄道様は、蛇目家の頭首の御子息でいらっしゃいます」
子息と言っても養子だし、全く相手にされてないけどね、とは言わない。話の腰を折るだけだ。
「そして『天杜の宝石』とさえ呼ばれている雨祗様と、幼い頃から親しい間柄でいらっしゃいます。これらは努力や権力で辿り着くことができるポジションではありません。それはすなわち、貴方様がいなくなることで得をする人間がいるということです」
改めて説明されると、妙に恥ずかしい気持ちになった。何の個性も才能も持ち合わせていないくせに、望まれた環境にいる僕って、傍から見れば、恨まれても仕方のない嫌な人間に違いない。
「でもだからって、こう次々に襲ってくることなでしょ」
黄道様、と言って、白露さんは声を限りになく潜めた。
「通常、依頼人が殺し屋に依頼をする理由は一つ、『安心してターゲットを殺したい』からです。言いかえれば『自分が殺した時に負うリスクを避けたい』ということになります」
「リスクを避ける?」
「つまりですね、殺人という重罪を負うことを恐れ、安心かつ確実にターゲットを殺したいゆえに、人は殺し屋に依頼をするのが普通なのです」
ですが、と白露さんは語気を強めた。
「今回、殺し屋が殺し屋に依頼をしたとなれば、話は違ってきます。重罪を負うことを恐れている殺し屋などいません。だとすれば、相手はあなたと対峙することを恐れているか、自分ではあなた様を安心、確実に殺せる見込みがないと判断したため、他の殺し屋に依頼したのではないかと、私は推測しています」
安心、確実に殺す見込みがないだって? 何の個性も才能も持ち合わせていないこの僕を? そんな馬鹿な。僕なんて、蟻や小蝿を殺すのと同じくらい簡単なはずだ。
「さすがに考え過ぎじゃないですか? その、あの人も凄腕だったんですよね?」
「確かにあの人は、まぁ六十年以上前の話ですが、当時は『最強の殺し屋』などと謳われていたそうです。混沌とした時代だったにも関わらず、あの人と対峙してしまった殺し屋の間では『
「そんなヤバい人のところに、僕たちは今向かっているんですか?」
「往々にして、そのような類の話には
「だあー! 最後の角取られたー!」
満ちゃんは頭を抱えた。
「へへへ~。さぁさぁ、とっとと負けを認めてお弁当を渡し給えよ~」
「まだだ! まだウチは死んでねぇ!!」
雨祗ちゃんの膝の上にある盤面を一瞥する。圧倒的に雨祗ちゃんの白の方が優勢だった。残り三手で逆転できるとは到底思えないが、諦めないことは大切だと思う。ガンバレ、満ちゃん。
「ちょっと手洗いに行ってきます」
僕は新幹線の進行方向と同じ方向に歩いた。僕たちがいる席は車両の丁度真ん中にいるが、僕が通り過ぎた席はすべて空席だった。振り返って後方を確認しても、誰か座っている様子はなかった。
グリーン車の車両に乗るのは初めてだけど、平日の半端な時間だと、こんなにもガラガラなのか。ともあれ、他に乗客がいなくて本当によかった。いたら何十人、何十回とお叱りを受けていただろう。
自動ドアを通ってデッキに出る。そこには木目調の壁のエレガントな空間が広がっており、軽い感動を覚えた。これはグリーン車だからというよりも、この先の10号車がグランクラスの車両であるため、その内装に則った作りなのだろう。いつか自分のお金でグランクラスに乗ってみたいものだ。
そんなことを思っていると、グランクラスのドアが開いた。出てきたのは車内販売員の女性だった。いや、アテンダントと言った方が適切かもしれない。バッチリと決めたメイクに、きっちり着こなした紺の制服と首に巻いたピンクのスカーフ、そしてピンと伸びた背筋でカートを押す姿に、完璧な接客をしてくれそうな印象を受けた。何より胸がたわわなことに目が行った。
手洗いを済ませてから買いたいけれど、そうしている間に販売員の女性は後ろの車両に行ってしまうだろう。追いかけるのも面倒だ、先に買ってしまおう。
「すみません」
僕が近づいていくと、販売員の女性は整った笑顔を僕に向けた。
「はい、何かお買い求めでしょうか?」
「お弁当が欲しいんですが」
販売員の女性は取り扱いの弁当を教えてくれた。種類が多くて悩むところだが、ここはオーソドックスに幕ノ内弁当にしよう。それとペットボトルのお茶を注文し、僕は代金を支払った。
「ところでお客様」
財布をポケットに入れたタイミングで、販売員の女性は言った。
「車内の空調はいかがでしょうか?」
「空調ですか? んー……僕には丁度良い温度ですよ」
「左様でございますか? わたくしにはちょっと、暑すぎますね」
女性はスカーフを解いた。そして制服のジャケットのボタンを外し始めた。――えっ!?
「ちょ、ちょっと?! 何してるんですか!?」
女性は恥ずかしそうにしながらも、さらにワイシャツのボタンも外しにかかった。そしてレースが着いた黒のブラジャーと、飲み込まれてしまいそうな深い谷間が露になった。
一瞬葛藤してしまったが、さすがに止めなければ。そう思って僕は彼女に手を伸ばした。
途端、彼女の目の前から姿が消えた。変わりに上から下へ目の前をピンク色の何かが過ぎ去る。それの正体を考える前に、僕は首をグッと後ろに引っ張られた。
顎の骨に沿うようにして、何かが僕の首に深くめり込んだ。そのまま斬り落とされてしまいそうな怪力がかかっているのに、まったく苦しくない。むしろ整体師に凝り固まった筋肉を引き延ばしてくれているような気持ち良さがあった。
女性の背中に僕の背中が載せられて、足が床から浮いている。そのため足に力を入れる必要がなかった。それに伴い、腕に力を入れる必要性を感じなくなり、ダラ~ッと垂れ下がる。指先から疲労感や緊張感が流れ出ているような心地に、ますます気分がよくなった。
僕は今、雲の上にいるのかもしれない。それならばこのふわふわでふかふかな雲に寝そべって、至高の眠りを思う存分――
プシュン!
――へ?
突然、視界が一回転した。かと思ったら、プレス機に掛けられたが如く、僕の全身に重力が掛かると共に、腰に鈍痛が走った。寝相が悪くて雲から地上に落下したのか?
「トイレに行こうと思って来てみればこの有り様。お前、油断も隙もあり過ぎなんだよ」
満ちゃんが仁王立ちして、僕を見下ろしていた。ショートパンツの隙間よりも先に、手に持った拳銃が目に行った。あの夜に見たものよりも一回り小さいものだが、サイレンサーを装着しているのは同じだった。
「……えっと……これは何事?」
「ホントにおめでたい奴だな、テメェは……」
そう言いながら、満ちゃんはパーカーの下に身に着けていた肩掛け式のホルスターに拳銃を収めた。
「横、見ろ」
満ちゃんに言われ、脱力するように首を左傾けた。寝起きのような頭の中で爆竹が破裂し、ついでに目玉や心臓も飛び出したような衝撃を受けた。思わず跳び退いて、木目調の壁に後頭部と背中を強打した。
販売員の女性がうつ伏せで倒れている。そしてその場所の床には、徐々に広がりを見せる血溜まりが出来ていた。これに気づかなかったとは、確かに僕は相当おめでたい。
「なっ、なっ、なっ!」
「落ち着けよ。もう死んでる」
「死んでるから慌ててるんだよ! これ、満ちゃんがやったんの?!」
「あぁ、ウチが
「文句あるかって……」
さっきの気持ち良さの反動なのか、頭の中に重い石を入れられたような感覚がしている。手がないと頭を支えていられのだ。この人はもう常識がないというか常軌を逸しているというか……。
「言っとくが、この女も殺し屋だぞ」
「へっ?!」
満ちゃんは死体に近づいて、女性が握っていたピンクのスカーフを奪い取ると、それを丹念に触った。そしてそれを僕に渡した。
見たところごく普通のスカーフだった。だが、触ってみると固くて細いものがいくつも並行して走っていた。
「……ワイヤー?」
「まぁ多分そんな感じのヤツだろうな」
「これがどうかした?」
「お前馬鹿か? こんなもんを普通の人間が持ってるわけねぇだろが。こいつは十中八九、日鷹んとこの殺し屋だ」
「えっ!? この人のこと知ってるの?!」
「は? 知らねぇよ、こんなオッパイ女。だけど、こんな道具使って殺るヤツぁ日鷹の人間以外早々いねぇんだよ。ジョーシキだっつうの」
「あぁ、そうなんですか……」
やはり認識のズレを感じずにはいられない。
その時、9号車の自動ドアが開いて白露さんが現れた。死体を見て一瞬驚いたが、取り乱すことはなかった。
「あなた方を二人だけにするのは危険だと思って来てみれば、一体何事ですか? その女性は夕屋満、あなたが撃ち殺したんですか?」
「詳しい話は席に戻ってから話してやる。だからその手を戻せ」
白露さんはややあって、スーツの懐に入れていた手を戻した。そして回れ右をして席に戻ろうとした。満ちゃんはその後ろに続いて歩き出す。
「あっ、ちょっと待ってください!」
「あん?」
「どうかなさいましたか?」
「ちょっと手洗いに……」
「ホントお前ってヤツは……。見張ってるから早く済ませろ」
呆れ顔を向けられながらも、僕はトイレに入った。ほどなく用を足してトイレから出て、洗面台で手を洗う。その際、顎を上げて首の付け根のところを何気なく見た。結構な力が掛かっていたと思っていたが、以外にも首を締められた跡はなかった。
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