第14話 チャンスは一瞬

 ここで、僕はまた無様に倒れてしまった。すぐさま起き上がろうとしたけれど、身体にまるで力が入らず、手をつくことさえままならなかった。さらには視界がぼやけ、周りの音が遠退いていくような感覚に襲われる。


 この感覚は、望ちゃんと部屋に居た時のそれとまったく同じだった。僕は思い切り自分の頬をつねる。


「んなチョコザイなことしても無駄だ」


 満ちゃんが僕の目の前で、いわゆるヤンキー座りをする。


「個人差は……………、薬が利き始めたら、どんなに足掻いても十分が……だ。ウチなんて三分と…………ないぜ。まぁ、あの…………は二時間近くも耐えやがったな。ったく、同じ……とは……ねぇぜ。おまけに弓矢で反撃して………………。戦国時代かっつうの」


「ま、麻酔……じゅう?」


「あ? あぁ、そうだよ。かさ張るから……は……………が、……………になるならそれでも……………おけば……………」


 内容が頭に入ってこない。噛み切らんばかりに、人差し指に噛み付く。ほんの少し眠気が解けた。


「まぁ、あとはお前を運んで殺るだけだ」


「どう、して……」


「はぁ? どうしてだ? んなの依頼された…………………んだろ。カゲロウ……っていう…………がいてな、これがまた………以上にキチガイな――」


 満ちゃんの言葉が途絶えた。いよいよ睡魔に負けたのか。が、そうではない。


 満ちゃんは、グッと上半身をねじって雨祗ちゃんの方を見ていた。そして当の雨祗ちゃんは、寝そべった態勢で満ちゃんに何かを向けていた。目を凝らすと、それはヘアゴムと木の枝で作った簡易的なパチンコだった。僕から見て右のお下げが解けている。


「このクソチビ。まーだお寝んねしてなかったのかよ」


「……はなれろ……」


「はっ! そんな…………で何ができるって言うんだ! そんな……………………相手じゃ、眠くて眠くて欠伸あくびが出るぜ! ハッハッハー!!」


 雨祗ちゃんは何かを撃ち放った。当てられた満ちゃんは小さく声を漏らし、ほどなく立ち上がった。


「おい、マジで目が覚めなくしてやってもいいんだぞ?」


 満ちゃんの言葉を意に介さず、雨祗ちゃんはさらに何発も撃ち続けた。


「上等だ、このあまぁ! ……だか雨宿りだか知らねぇえが、マジで…………やるからな!!」


 僕は咄嗟に、満ちゃんの靴を掴んだ。眠気と戦う意味合いも込め、命一杯力強く掴む。だがそんなものは三十秒ともたず、足蹴りにされてしまう。


 満ちゃんは、地面を踏む抜くような激しい足取りで雨祗ちゃんに近づいていった。

 僕は睡魔に抗いつつ、満ちゃんを止めようと地面をう。身体は鉄のように重く、沼の中を進んでいるのではと思うほど進行は遅かった。それでも、僕を助けに来てくれた雨祗ちゃんを、みすみす見殺しになんてできない。


 ほどなく満ちゃんは雨祗ちゃんの元にいた。そして雨祗ちゃんの頭を容赦なく蹴る。


「オラどうしたどうしたぁ?! 反撃して来いよゴラぁ!!」


 ほどなく満ちゃんは限界まで高く腿を上げた。全体重を掛けて雨祗ちゃんの頭を踏みつけようしているに違いない。そんなことをされたらさすがの雨祗ちゃんでも一溜まりもない。


 だが僕の心配は空しく終わった。満ちゃんはその体勢のまま張りぼてのようにバッタンと倒れたからだ。


 一体何が起こった? どうして満ちゃんは倒れたんだ?


 そろそろ限界が近づいてきている頭で必死に考えてながらも、僕は雨祗ちゃんに這い寄った。雨祗ちゃんも僕の方に少しずつ這って来てくれた。


「……だい、じょうぶ……?」


「僕は、大丈夫……」


 雨祗ちゃんは微笑んだ。間もなく、電池が切れたように動かなくなった。


 瞬間的に目が冴え、僕は雨祗ちゃんとの距離を一気に詰める。うつ伏せになった雨祗ちゃんの頭を上げると、何とも安らかな表情をして眠っていた。


 少し離れた場所にいる満ちゃんの様子も窺う。身体を横に倒し、起き上がろうと必死にもがいていた。その目はうつろで、口はだらしなく開いていた。


 雨祗ちゃんがパチンコで撃っていたのは、もしかしたら麻酔弾だったのかもしれない。自分に打ち込まれた弾や無駄撃ちされた弾を何とか集めて、反撃に使用した。


 あぁ駄目だ。もう眠くて仕方がない。満ちゃんが先に起きてしまったら今度こそどうしようもないけれど、その間に助けが来て気くれることを切に願うしかない。


 と、遠くからバイクが走って来る音が聞えてきた。それは段々と大きくなってきて、そちらを見ればライトの光も確認できた。


 助けが来た。しかしそう思って瞼を閉じたのも束の間のことだった。


「みーつーけーたあぁあー!!!」


 バイクのエンジン音に負けないほどの声が聞こえた。ほどなくこの場にバイクが飛び込んで来る。乗っていたのは望ちゃんだった。


 拘束していたはずの望ちゃんがどうしてここに? その答えはすぐにわかった。それを見て、僕は心臓が飛び出しそうになるほどに驚く。


 望ちゃんには左手がなかった。手首から数cm下の部分でバッサリと斬られているのだ。それを止血すると共に、半分ほどの長さになった、例の三日月型の鎌が黒い布で結わい付けてある。左の袖が短くなっているからに、そこを裂いて使ったのだろう。


 まさか僕たちを追いかけてくるために、自分の手を鎌で斬り落とすなんて。とんでもない狂気だ。


「黄道さん……私もう、悠長なことはしないよ……。みちるんの分まで、バラバラに斬り刻んであげちゃうんだから! もちろん天杜さんのこともねえっ!! キャハハハハー!!」


 バイクは車体が一瞬浮き上がるほどの勢いで、僕と雨祗ちゃん目掛けて一直線に突っ込んできた。


 僕は雨祗ちゃんの身体を抱え、反射的にバイクを避けた。けれども思わず右に避けてしまったために、肩から背中にかけて鎌で大きく斬られた。眠気は吹き飛んだが、激痛でなおさら身動きが取りにくくなってしまった。


 望ちゃんは少し離れた場所でUターンをし、まもなくこちらに突進してくる。世紀末を思わせる奇声を発しながらだ。


 今の僕に望ちゃんを迎え撃つ手段はない。雨祗ちゃんのパチンコを使ったところで、螳螂とうろうの斧にもならないだろう。どうする、どうする……!


 先程よりも勢いを増して、望ちゃんは僕たちに突っ込んでくる。僕は先んじて横へと転がり、突進を避けようとした。


 だが数m手前でバイクの進路は大きく外にズレた。


 望ちゃんを見ると、軌道修正をしようとして必死な表情になっていることが確認できた。さすがに片手運転ではバランスが取りにくいのだろう。あるいは望ちゃんは、満ちゃんほどの運転テクニックを持ち合わせていないのかもしれない。


 これは弱点足り得るのではないだろうか? 例えば土や砂を彼女の顔に浴びせて転倒を狙ったりだとか……。


 僕は片手で土を集めながら、望ちゃんの動向を見る。今し方、望ちゃんは軌道修正を無事に終えた。今すぐにも突撃してくるだろう。


 ふと、指先に柔らかい感触があった。見れば、満ちゃんが横たわっていた。完璧に眠ってしまったようで、みだりに身体を触ってもまったく反応がなかった。望ちゃんがすぐに突撃してこないのは、近くに満ちゃんがいるからか。


 彼女の傍らには、拳銃が落ちていた。浅はかな知識だが、サイレンサーとかポインターとかいう名前の器具が取り付けられている自動拳銃だ。


 雨祗ちゃんならこれで迎撃することも容易なのだろう。だが僕はエアガンすら触ったことがないし、ゲーセンのシューティングでもまともなスコアを出したことがない僕には、下手な鉄砲数撃っても当たらない可能性は十分にあった。


 だが、それならならむしろ――


 猛々しいエンジン音が響き、バイクが猛スピードでこちらに向かってきた。考えている余裕はない。僕は拳銃を掴む。そして敢えて満ちゃんと雨祗ちゃんから離れ、一人狙われやすいような位置に急いで這い出た。


 迫り来るバイクや月光に照らされた三日月鎌、そして今自分がやろうとしていることへの恐怖。傷の痛み、疲労、緊張、エトセトラ。失敗しそうな要因はたくさんあった。だが雨祗ちゃんを助けるためには、やるしかない。成功させるしかない……!


 チャンスは一瞬、一度きり。一抹の可能性に賭ける。


 望ちゃんは僕に鎌を当てるため、身体を右に傾けた。僕はその攻撃をまたしても肩で受ける。刃が肉に刺さる直前に腕を動かした。全身を貫くような痛みを気合いで乗り切る。そして高速回転する後輪に、拳銃を捩込んだ。


 破裂したようなけたたましい音が聞こえた。


 望ちゃんの身体は後輪からの衝撃で軽々と宙に放り出される。そしてそのまま頭から木の幹に激突した。バイクは大きく傾き地面に激突。勢いは死なずにそのまま滑りつづけ、同じように木の根元に衝突した。


 しばらくの間、僕は放心状態だった。上手くいってよかっただとか、とんでもないことをしてしまっただとか、そんな感想は一抹も持てなかった。


 肩の周辺はもちろん、手からも激痛を感じている。おそらく僕の右手はタイヤの回転に巻き込まれ、ミキサーにかけられたかの如くグチャグチャな状態になっているに違いない。


 だがほどなく、それらの激痛を超越するほどの強烈な睡魔に襲われた。なぁんだ、やっぱり安心して……――

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