第13話 バイクチェイス

 二、三分程度疾走すると、上へと伸びる短めのはしごが現れた。雨祗ちゃんが先に昇り、天井を押し上げて外に出る。僕もそれに続く。


 顔を出すと、そこには森林が広がっていた。背の高い杉の木が、十六夜月いざよいづきによって照らし出されている。


「ここ、どこ?」


「学園の裏にある山の中だよ。こうちゃんを拉致するためだけに、わざわざ作ったんだろうね。まったくご苦労なことだよ」


 出入り口になっていたハッチを閉めると、雨祗ちゃんはその傍らから何かを持ち上げる。


「さ、早くこれに乗って!」


 持ち上げたのは自転車だった。暗くてよく見えないが、恐らくマウンテンバイクだ。太めのタイヤと、サスペンションと呼ばれるバネのような部品が、前輪と後輪どちらにもついていた。


「乗ってって……えっ、それに二人乗りするの!?」


「前にも二人乗りしたことあるじゃん」


「子どもの頃の話だろ?! それにあれは普通の自転車で、荷台付きのやつだったじゃないか! マウンテンバイクとじゃ勝手が違うって!」


「細かいことはいいから! 早くしないと――」


 雨祗ちゃんは突然言葉を切ったかと思ったら、いきなり僕に抱きついて来た。その勢いで僕の身体は傾き、地面に倒れる。その際、僕は傍らに赤くて細い光の線が現れたのを目にした。さらにポスン! という小さな音も聞えた。雑草と軟らかい地面の感触を背中に覚えつつ、発砲されたのだと気づく。


「早く乗って!」


 言われるがまま、僕は自転車に乗った。サドルに座って後輪を繋ぐフレームに踵を引っ掛ける。そして雨祗ちゃんは立ち漕ぎの姿勢を取った。


「行くよ!!」


 雨祗ちゃんが地面を蹴って勢いをつけると、自転車は滑らかに走り出した。傾斜がついた場所やぬかるみ、小さな崖、根の出っ張りなどの障害をまったく物ともしない。グングンとスピードに乗っていき、豪快に走破していく。


 サスペンションのお陰か、サドルから伝わってくる衝撃はそこまで大きくはなかった。だが、範囲の狭いライトに照らされた急勾配の斜面を、右へ左へと木々をギリギリで避けながら爆走していく光景は、多大なる恐怖感を僕に与えた。


 それだけならまだ、ジェットコースターのようなものだと思えば我慢できた。問題は背後からちらつく赤いレーザーポインターと発砲だった。


 追跡者との距離は2、30mほどある。相手も自転車に乗っている。眩しいライトの光のせいで、その姿を確認することは出来ない。ガシャン! ガシャン! という激しい音が聞えるばかりだ。


 それにしても、こんな場所を自転車で走行しながら撃つなんて、どれだけ凄腕なんだよ。


 自転車の性能と雨祗ちゃんのテクニックにより、徐々に距離が広がりつつあった。ライトは豆電球のように小さくか弱い光になっていた。これなら逃げ切れそうだ。


 刹那、車体が横に大きく傾いた。木を避けようとして、ハンドルの部分が掠ったのだ。雨祗ちゃんは身体を思い切り反対側に倒した。僕も咄嗟に同じ行動を取る。何とか転倒を免れた。思わず胸を撫で下ろす。


 追跡者との距離を確認するため、後ろを見る。だがそこにライトの光はなかった。どこに行った? もしかして逃げ切ることが出来たのだろうか。 


 雨祗ちゃんにそれを知らせようとして、僕は前に向き直る。だが間もなくまた後ろを向くことになった。視界の隅っこで、嫌なものが見えたからだ。


 ガシャン! と大きな音を立て、自転車が現れた。40mはあったはずの距離が、一気に10m強の距離まで詰められた。


 あろうことか、追跡者は自転車で大きく跳躍してきたのだ。


 ライトが小刻みに揺れている。必死に車体のバランスを取っているのだろう。そのような危うい状況下でも、追跡者は発砲してきた。


 車体が大きく傾いた。おそらく後輪をパンクさせられたのだろう。傾きを直すことはできず、そのまま転倒。僕と雨祗ちゃんは宙に放りだされた。


 草の多い斜面をしばらく転がり、木に激突してようやく止まった。


 周囲は木々の少ない開けた場所になっていた。雨祗ちゃんの姿は近くにはない。


 打撲やら擦り傷などで全身が痛い。だが痛みが引くのを待ってはいられない。早く雨祗ちゃんと合流して、追跡者から逃げなければ。だが、立ち上がって一歩、二歩と歩いたところで、僕の足は止まってしまった。


 真正面に赤い光が見える。


「手ぇ上げろ」


 女性の声が光の先から聞えた。咄嗟に万歳のポーズを取ったが、ややあって小さく声が漏れ出た。


 少し離れた木の陰から人影が現れた。月明かりによって、拳銃を構えた満ちゃんの姿が朧気おぼろげに浮かび上がった。サイクルヘルメットとポーチを着けている以外は、昼に会った時の格好と同じだ。


「あのチビのせいで、ウチらの初仕事が台無しだ。おまけにウチのレミントンとジキルも傷物にしやがって。修理したばっかのチャリ子も100%どっかイカレてるだろうし、マジで最悪だ。いつか必ずあいつの脳みそとはらわたぶちまけてやる」


 満ちゃんの声を初めて聞いたけれど、こんなに荒々しい喋り方だったとは。加えて、話の内容がいまいちよくわかない。レミトンとジキルって、何? ジキル博士とハイド氏の続編か?


「おい」


「はい!」


「あのチビ、望姉ぇをったのか?」


「い、いや! 気絶させただけで、まだ元気だよ!」


「ふん、変なところで嘗めやがって……。まぁいい、それならとっとと戻って仕事を片付けるまでだ」


「えっ、わざわざ戻るの?!」


「ったりめーだろうが。今回の仕事は二人で請け負ったんだ。抜け駆けなんて――」


 満ちゃんの言葉を遮られた。真横から何かが飛んできたからだ。満ちゃんはそれを危なげなく避けた。ガシャン! と痛々しい音が響いた。


 飛んできたのは自転車だった。籠と荷台がついた、いわゆるママチャリだ。


 えっ、ママチャリ? まさかこれ、満ちゃんの!? ということはこれでマウンテンバイクを追いかけてたのか!!?


「……あのクソチビぃ……どんだけ人のモンぶっ壊せばすれば気が済むんだぁ!!」

 満ちゃんは恐ろしい剣幕になる。そして自転車が飛んできた方向へ、立て続けに発砲した。だが間もなく、満ちゃんの横、僕から見ると正面から、複数の小石が勢いよく飛んできた。


「っしゃらくせぇ!!」


 満ちゃんが咄嗟に拳銃の向きを変えた途端、今度はマウンテンバイクが飛んできた。満ちゃんは数発の弾丸でその勢いを殺し、かわした。そこで弾が切れたらしく、腰のポーチに片手を伸ばす。


 途端、雨祗ちゃんが木の影から飛び出してきた。弾を装填する一瞬の隙を見計らっての行動だろう。弾丸のような勢いで、雨祗ちゃんは満ちゃんとの距離を詰めた。でもさすがにそれは無謀過ぎだ。


 雨祗ちゃんの拳が届く前に、満ちゃんは装填を終えた。正面から向かってくる雨祗ちゃんに、冷静な一発を放った。


 残り2mあるかないかの距離で、雨祗ちゃんはバタリと倒れた。


「雨祗ちゃん!!」


 呼びかけると、雨祗ちゃん一瞬だけ動いたけれど、ほどなくピクリとも動かなかった。


 怒りがマグマのようにグツグツと湧き出た。それは瞬く間に僕の理性をぶっ壊し、咆哮と共に爆発した。拳を強く握り、満ちゃんに突進する。


 太腿ふとももの辺りを撃たれ、倒れてしまった。痛みはあったが、堪えられないほどではない。歯を食いしばり、何とか立ち上がって再度攻撃を仕掛ける。


 何度も殴りかかったけれど、僕のパンチは一切当たらなかった。気持ちばかりが焦って、狙いが定まっていないのだろうか。難なくかわされてしまう。

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