第12話 ジョーシキですよ

 望ちゃんは僕から顔と鎌を離し、程よい距離を取った。


「黄道さんさ、今回も天杜さんが助けに来てくれるって思ってなぁい?」


「へ? い、いや、別にそんなことは……」


「ホント? 私が今まで見てきた人たちは、もっと必死に命乞いしたり抵抗したりしてたよ? 黄道さん、その辺やけに冷静なんだよね。危機感とか緊張感が足りないっていうかさ。何か助かる算段でも立ててるんじゃないの?」


「そんなこと言われても……」


「まぁ残念ながら、今回は九割方希望はないですよ。君を拉致するのと並行して、みちるんが先手を打ったからね」


「先手?」


「フフフ、みちるんはねぇ、夕屋家でも腕利きのスナイパーなんですよ。狙った獲物はそうそう外しません。あの天杜さん相手でもきっと、スパーン! と狙撃できちゃったに違いないね」


 僕の体は意図せず前に出ようとした。当然拘束具に阻まれる。


「どうして!? 雨祗ちゃんは関係ないじゃないですか!?」


「そう熱くならないでくださいよ。安心してください、撃ったのは弾丸じゃなく、いわゆる麻酔弾だから」


「ま、麻酔弾??」


「そう、麻酔弾。だから死にはしません。その代わり死ぬほど眠くなるみたいですけど。黄道さんに盛った薬より遥かに強力な、致死量ギリギリのヤツ使うって言ってたから」


 望ちゃんは僕から離れ、扉の方に歩いた。そして蝋燭が置かれていない床に胡座をかいて座った。鎌もその傍らに置いてしまう。


「それに、いくら仕事の邪魔になるからって、さすがに天杜さんを殺そうなんて思いませんよ。そんなのは常識知らずにして命知らずの所業です」


「……やっぱりその辺の事情も知ってるんだね」


「まぁジョーシキですよ、ジョーシキ」


「ちなみに天杜家のことは、どんなふうに聞いてる?」


 望ちゃんは少し考えた。そして人差し指をピンと立て、軽く目をつぶる。


「天杜家。大国にも勝る権力を持つと呼ばれる大財閥の一族。資本家や企業家として、この国のみならず、世界の政治経済に影響を及ぼしている。でもそれは表の顔。裏の顔は政治家や財界人、はたまたテロリストにまで分け隔てなく融資する闇金融業。世界中のお金のおよそ一割が天杜家絡みのお金だなんて統計もある。それだけでも充分凄まじいけど、だがしかし、彼らの真の顔は――」


 望ちゃんは唐突に言葉を切った。どうしたのかと思っていると、部屋の外から小さく足音が聞こえてきた。


 望ちゃんは鎌を持って立ち上がる。


「さて、みちるんも帰ってきたし、楽しいお喋りの時間はここまで。これから恐ろしい死の時間の幕開けです」


 望ちゃんの狂気じみた微笑を浮かべる。


「見逃してくれたりとかは、ないですか?」


「それで済んだら殺し屋は要らないですって。ジョーシキですよ」


 改めて手足を動かしてみたが、やはりどうにもならない。僕はこのまま、無抵抗に殺されるしかないのか……?


 室内に奇声が響いた。ややあって自分の声だとわかる。自分の身体なのに、まるで言うことを利かなかった。喉が潰れるほどに叫び、手足がもげる勢いで手足が動く。


 痛い。熱い。死にたくない。そんな声が止めどなく内側から聞こえてきている。


「いいよいいですよ~。そういう表情が見たかったんです」


 刹那、鳩尾みぞおちに鈍痛が走った。望ちゃんに、鎌の柄の末端で突かれたのだ。


「でもちょーっと静かにしてくださいね。これからみちるんと最後の打ち合わせをしますから」


 痛みに耐えていると、コンコンと音が聞えてきた。望ちゃんは「はいはーい」と明るい声で返事をしながら、ドアノブに手をかけた。が、すぐにはドアを開けなかった。一呼吸置き、荒々しくドアを開ける。


 そこには誰もいなかった。暗い廊下がただただ長く続いているだけだ。


 刹那、望ちゃんは後ろに突き飛ばされた。廊下の天井の死角から忽然と現れた人物の、遠心力を用いた強烈な蹴りを顔面に受けたからだ。


 望ちゃんはダイナミックに床に倒れた。そしてさながらボーリングのピンのように、何十本もの蝋燭を押し倒して。


 突然の出来事に、鈍痛やら恐怖感やらまでもどこかに吹っ飛んでしまった。


「こうちゃんに危害を加えた時点で、あなたたち、無事じゃ済まされないから。これ、新しい常識ね」


 雨祗ちゃんは着地しながら、ドスの利いた声で言った。


 だが倒された望ちゃんに反応はなかった。打ち所が悪くて気絶してしまったのかもしれない。


 雨祗ちゃんは望ちゃんに近くと、懐などを容赦なくまさぐる。見えそうで見えないはだけ具合に、少しだけ残念な気分になる。


 雨祗ちゃんは鍵束を探しだし、それを持って僕のところにやって来る。


「こうちゃん、さすがに無警戒過ぎるからね? そんなんじゃ命がいくつあっても足りないよ? その辺、ちゃんとわかってる?」


 雨祗ちゃんの眉間には、キュッと皺が寄っている。まだご機嫌斜めなご様子なのは、一目瞭然だった。


 雨祗ちゃんは昔から頑固な性格だから、いつも僕の方から謝っていた。僕が非がなくてもだ。だが今回は明らかに僕に非があるので、しっかりと謝罪しなければならない。


「はい、余りにも無警戒で余りにも無用心でした。お嬢様がいらっしゃらなかったら、僕は今頃とっくに死んでいました。ごめんなさい……」


「今後は私抜きで女と一緒にご飯食べたりとか、私以外の女の誘いにホイホイ乗ったりとか、女の身体に見取れたりしないって、約束できる?」


 少々論点がズレているような気もするが、この際気にしないでおこう。加えて、弓道着を身にまとっていることにもツッコミを入れない。返答はおおよそ予想できた。


「約束します」


「よろしい」


 雨祗ちゃんはニッコリと笑った。しかし刹那、雨祗ちゃんはよろめいた。


「だ、大丈夫!?」


「大丈夫! この万能雨祗ちゃんに全部任せなさい!」


 雨祗ちゃんは僕の拘束を解きながら、少し語気を強めて言った。


「さぁ、逃げるよ」


「え?」


「『え?』って何?」


「いや、望ちゃんをこのままにして行くのかなって……」


 いくら気絶しているからといって、殺し屋の望ちゃんをこのまま放っておくなんて雨祗ちゃんらしくない。経験則で言えば、そこの拘束具に手か足を固定させておく程度のことは、当然のようにするはずだ。


「今はその時間すら惜しいんだよ! ほら、早く行くよ!」


 雨祗ちゃんは部屋を出て行った。僕はアタフタしながらも、望ちゃんの左手を足の拘束具に固定した。そして雨祗ちゃんが投げ捨てた鍵をポケットに突っ込んで、急いで雨祗ちゃんを追いかける。


 僕らは長い廊下をひたすらに走った。雨祗ちゃんは短距離、長距離を問わず、日本記録に迫る走りをする。しかし僕はその背中をなんとか追うことができた。僕のためにセーブして走ってくれているのだろうか。それともベストコンディションじゃないのか?


「ねぇ、雨祗ちゃん! どうして僕の居場所がわかったの!?」


「そんなのKKHSさえあれば、例え月に連れていかれたとしてもわかっちゃうんだから!」


「け、KKHS?!」


「『こうちゃんを完璧に包囲するシステム』のこと!」


 思わずつまづきそうになった。もう少しマシなネーミングなかったのかよ。っていうか、そんなものがあるの? マジで頭に発信機でも埋め込まれているんじゃないか?


「他に質問ある?! できれば走ることに集中したいし、してほしいんだけど!」


「あ、あと一つだけ! 雨祗ちゃん、満ちゃんに狙撃されるって、望ちゃんが言ってたんだけど、大丈夫だったの!?」


「大丈夫に決まってるじゃん! むしろ見事に追い払ってやったんだから! 雨祗ちゃんは完全無欠なのだよ!!」


「そ、それなら良かったよ!」


 先程から雨祗ちゃんの様子がおかしい。雨祗ちゃんは自分のことを「完全無欠」だとか「万能」だなんて言わない。謙虚なのか卑下しているなのか、とにかく昔からそうなのだ。


 もしかして余裕がないのか? 少しよろけていたし、望ちゃんを拘束している暇がないほどだ。でも、雨祗ちゃんがそうまで急ぐ理由って何なんだ?

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