第10話 まどろみのアトリエ

 真っ赤な夕焼けを拝みながら、本校舎からのんびりと歩くこと約二十分。望ちゃんのアトリエ兼住居に到着した。


 女の子の家に上がるということで、僕は少なからず緊張と興奮を覚えていた。どんなコーディネートがされているのか。どのくらい生活感があるのか。お昼に聞いた同人活動とはどのようなものなのか。そしてあわよくばあんなことやこんな展開にも発展するのではないか。そのような妄想が次々に生まれては、続々と大きく膨れていく。


 望ちゃんはカードキーと虹彩認証でドアを解除した。


「ちょっとだけ外で待っててください。すぐ済みますから」


 そういう行動はとても好印象を受ける。例え完璧に片付いていたとしても、おもてなしの気遣いが感じられるからだ。


 雨祗ちゃんなら絶対にそんなことは言わない。なぜなら雨祗ちゃんの部屋には物が一切なく、常時完璧に片付いているからだ。テニスコート大の巨大なクローゼットがあり、そこにすべてを収納している。


 十分ほど経ったところで、ドアが開いて望ちゃんが顔を覗かせた。


「お待たせしましたー。どうぞー」


「お邪魔しまーす」 


 入るといきなり、コンクリートの土間が広がっていた。広さ二十畳ほどはあろうかこの場所がアトリエなのだろう。巨大な丸太が横たわり、大がかりな工具が数機、そして制作途中の造形物などが雑然と置かれていた。


 そこを通り抜けると、玄関があった。


 間取りは2LDKだろうか。十畳ほどあるリビングダイニングには、モダンなデザインのインテリアが置かれており、清潔感やかっこよさを覚えた。一方で、ダイニングテーブルの上の調味料や、壁にかけられた手作りの家事当番表、ソファに置かれたキャラもののクッションカバーや大きな縫いぐるみなど、程よい生活感もあった。


「何か飲みますか? コーヒー、ルイボスティー、アールグレイ、ダージリン、緑茶、玄米茶などなど、各種取り揃えておりますが」


「それじゃ……アールグレイで」


「OK。準備するからソファで座っててください。あ、その前に――」


 望ちゃんはある部屋に急いで入って行った。部屋を見回しつつ待っていると、顔が隠れてしまうほど大量の本を持って戻って来た。そしてそれらをドーンと床に置いた。


「これが私の作った同人誌です。ドンドン見てください」


 表紙を見ただけで、僕は小さく感嘆した。


 書き込みが少なくないのにカッコイイ、カワイイと思えるキャラたちが、紙面上の限られた空間の中で活き活きと描かれていた。剣や杖を持っていることから冒険ファンタジーものかと予想がついた。確かに、こういうのは僕の好みだ。


 僕はソファに座って、上から順々にそれらを読んでいった。


 戸棚を開ける音や水が流れる音が、少しずつ聞こえなくなった。現実世界から漫画の世界へ、僕の頭は没入していく。


 それほど多くの漫画を読んできたわけではないから素人的な感想だとは思うけれど、この面白さは革新的だと思った。設定が押し付けがましくなくないのに、その世界観の深さにドンドンはまっていく。


 絵の上手さないし好みに加え、キャラの性格はそれぞれに際立っていた。彼らの織り成すアクションシーンは痛快かつ豪快だった。またシリアスやギャグもほど良く挟まれているからに、緩急があってより作品に熱中できた。


 一冊につき三話、十頁前後の分量でサラっと読めてしまう展開と構成、一話完結のストーリーなどもよいのだろう。しっかり読んでいるのに、一冊、また一冊と完読してしまった。


 別のシリーズになっても、それらは健在だった。安心して、新しい世界に身を委ねることができた。


「そこまで真剣に読んでくれると、作家冥利に尽きますね」


 望ちゃんに耳元で声をかけられるまで、そこに彼女が居ることに気づかなかった。よほど夢中になって読んでいたのだろう。少しだけ気恥ずかしかった。


 望ちゃんはフリルのついた白いエプロンを着ていた。うん、よく似合っている。雨祗ちゃんの場合にはあまりにも子どもぽくて、失笑してしまったことがあったことを思い出す。あの時は怒られはしても殴られなかったのになぁ。


「ん、どうかしました?」


「えっ、いや、何でもないよ!」


 どうやら顔に出ていたようだ。


「はい、お待たせしました。ご注文のアールグレイでございます。それとこちらはサービスで、当店オリジナルのマドレーヌもご用意いたしました。ご一緒にお召し上がりください」


 望ちゃんは座卓にマグカップと小さなバスケットを置いた。口の広いマグカップには赤茶色の液体と温かい湯気が漂い、バスケットには黄金色で一口大の貝殻が盛られていた。


 まずアールグレイから頂く。爽やかな香りと味がとても美味しい。どこか格式高いお茶会に呼ばれたような気分になった。


 そしてマドレーヌも頂く。しっとりとした触感、優しい甘さと中に入っていたマーマレードの酸味が抜群に美味しい。アールグレイとの相性も文句なしだった。


「どう、ですか? みちるんには大好評だったんだけど……」


「うん、とっても美味しいよ。いいお店発見できたよ」


 望ちゃんははにかんだ笑いを見せた。


「そう言えば、満ちゃんは?」


「みちるんは修理に出してた自転車を取りに商店街の方まで行ってます」


 自転車と言っても、恐らくはママチャリの類ではなく、ロードバイクとかマウンテンバイクなどだろう。ソファの正面にあるテレビラックに、映画のDVDに混じってそれに関するものが収められていた。


 そうか、満さんは自転車に乗るのか。どうりであんなに沢山のご飯を食べられるわけだ。


「で、漫画の方はどうです? むしろそっちの方が気になる」


「凄く面白いですよ。絵もストーリーもモロ僕好みです」


「ホントに!? ありがと!」


 望ちゃんは僕の横に腰を沈め、マドレーヌに手を伸ばす。


「いやー、そういう素直な感想を目の前で聞くのって、意外に緊張しますね」


「イベントで販売した時とかに聞かないの?」


 僕はもう一口、アールグレイを飲む。


「んー、顔見知りの人から言われることはあるけど、さすがに自分から聞く勇気はないですね」


「そうなの? プロ並みに上手いのに」


「もちろんその自信はありますよ」


 望ちゃんは胸を張ったが、すぐにシュンとした。


「でもね、上には上がいるんですよ。デビューもしてないし。趣味の域から抜け出せていない感は否めないですね」


「そっちの道に進みたいとか考えてるの?」


「勿論進みたいよ! だけど、ちょっと……がね。……してくれない……」


「ん? ごめん、よく聞こえなかったから、もう一回言ってくれる?」


「だからね、親が………くれないんですよ。もともと……の才能を買われて…………に入ったのに、………聞いてくれないしさ」

「そう、なんだ」


 何だろう、急に望ちゃんの声が聞きとりにくくなった。それに、妙に瞼が重いような気が……。


「黄道さんには本当のこと話して…………」


「本当のこと……?」


「実はうちの家系ってね、………裏の…………………………なんです。いわゆる………………………ですね。私も…………も、幼い頃から…………と一緒に………の……に――」


 内容が全然入ってこない。何だこれ……どうなっているんだ?


「ちょっと……さん? 私の話、……………………?」


 駄目だ……ねむ……い…………――

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