第8話 ランチタイム

「おーい、黄道さーん!」


 ホールを出て、ジリジリとした熱光線を感じながら歩いていると、背後から声をかけられた。見れば三人の女子がこちらに駆け寄って来ていた。満面の笑みでこちらに手を振っている人は望ちゃんだ。そしてもう二人は……えーっと、誰だっけ?


「黄道さんも、やっぱり天杜さんの落語、聞きに来てたんですね」


「と言うより、身の回りの手伝いをしてたんだ。今日も舞台袖から聞いてた」


「へー、相変わらず仲が良いですね」


「仲が良い、のかなぁ……」


「だってあの天杜雨祗さんですよ。やろうと思えば一人で何でもやっちゃうような人が敢えて黄道さんに頼むんだから、仲が良いと言わず何という」


 従順な下僕とか金魚のフンとか、散々言われてるよ、とは流石に口にしなかった。言う必要性もあるまい。僕は当たり障りなく、そうだね、と返す。


「ところで、そちらの二人は……」


「あっ、紹介しますね」


 望ちゃんは向かって右側にいる女の子を手で示した。


「この子はみちる。私の妹で、新入生です。みちるん、この人はここの職員の蛇目じゃのめ黄道さんだよ」


 満ちゃんは無言で会釈した。刈り込むようなショートカットで、快活でクールな印象を受ける一方で、右あごにあるほくろがチャーミングだった。黒と向日葵ひまわり色のウィンドブレーカーの上下を着ているから、きっと何か得意なスポーツがあるのだろう。


 というか、妹がいたのか。パッと見、あまり似ていない気がする。


「ちょっと人見知りなところはあるけど、仲良くしてね。それでこちらは――」


「初めまして、腰巾着さん」


 望ちゃんの言葉を遮るようにして、その人は言った。


「私、梅竹山うめたけやま海松みる。望と同い年だけど、私も新入生だよ。別に覚えてくれなくていいけど、『海の松』と書いて海松ね。ちなみに得意な科目は生物で、好きなAVは近親相姦もの。以後よろしまないでくださいな」


 海松ちゃんは、僕を蔑むような表情を浮かべて言った。何なんだ、この子……。


 格好は、ワイシャツにクリーム色のカーディガンとピンクのリボン、真紅のタータンチェックのプリーツスカートという、ものすごく女子高生っぽいものだった。脱色した長い髪の前髪をコンコルドで留める髪型も、それを強調させている。年齢的に言えばありふれた格好のだけれど、この学園内においてはかなり浮いているように思えた。


 いや、それはともかく、自己紹介で好きなAVなんて普通言うか? どんな性格しているんだ? 望ちゃんは別として、天才は皆変態なのか? 性に対してオープン過ぎるだろ。


「……まぁ、ちょっと変なところもあるけど、根はいい人だから、あんまり誤解しないでくださいね」


「……え、えっと、蛇目黄道です。ここの職員です。えーっと、好きなAVは――」


「ちょ! 黄道さんはそれ答えなくていいんですよー!?」


 ノリで言ってみたが、望ちゃんは耳を赤くして慌てふためいた。満ちゃんと海松ちゃんはほぼノーリアクションだった。むしろ視線が冷たい気がする。望ちゃんのリアクションが可愛いから、まぁプラスということにしておこう。


「蛇目ということは、学園長のご親戚?」


「えっ? あぁ、うん、一応ね」


「なるほど、どうにもオーラがない人だと思ったけれど、要はコネでこの学園にいるわけね。なるほどね~」


 なんともねちっこい言い方に、僕は思わずムッとしてしまった。確かに僕には才能もオーラもないよ。ここで働けているのも、何らかの手回しがあったのかもしれない。けれど、生半可な気持ちでここに在籍しているわけじゃない。


「そ、それはそうと黄道さん、私たちこれから食堂に行くところだったんだけど、一緒にどうですか?」


「え、いいの?」


 まさか望ちゃんの方から誘ってくれるとは。できれば二人きりがいいけれど、これいじょう贅沢は言わないでおこう。どうぜ雨祗ちゃんも合流するのだから。


「雨祗ちゃ――いや、お嬢様も後から合流されるので、それでもよければ」


「お、天杜さんも来んですか!? むしろ恐れ多いくらいですよ。ね、みちるん」


 満ちゃんはコクりと頷いた。


「ゴメン、望ちゃん。私、急に用事作ったから、今日は研究室で食べるわ。じゃあね」


「えっ、海松っち!? 用事作ったって何?!」


 海松ちゃんは望ちゃんの言葉をまるで聞かず、小走りに立ち去って行った。本当に何なんだったのだろうか……。


 僕たちは学園本館の一階にある食堂へとやって来た。


 まず目に付くのが、一面のガラス張りの窓だ。日光をたっぷりと取り込み、白を基調としたインテリアとも手伝って、広く清潔な印象を与える。室内で落ち着いて食べる人はもちろん、窓の外に広がる、青々とした芝が茂る中庭でのびのびと食事をする人も多い。お昼時は大変混雑するが、今は十分に空いていた。


 券売機で食券を購入する。悩んだ末、僕は鶏のから揚げ定食を注文した。それぞれのカウンターに持っていく。


 カウンターからは調理の様子が見えた。プロのシェフに混ざって、生徒の姿も数名確認できる。「プロに混ざって」というより「プロと肩を並べて」と言った方がいいだろうか。つくづく自由な学園だ。


「お願いしまーす」


「あいよー……って、黄道じゃん。おっつー」


 食券を取りに来たのは、料理人――国料こくりょうさとしだった。ここの生徒だが、同い年の関係でよく話をする。僕のことを友人として対等に見てくれるのは彼しかいない。太い眉と三白眼が特徴的な男だ。


「久しぶり。今日は忙しいのか?」


「忙しい? おいおい、忙しいってのは暇人が使う言葉だぜ?」


 理は食券を確認すると、理は調理に取り掛かった。タレに漬けておいた鶏肉の水気を、キッチンペーパーで軽く取り始める。


「俺みたいな超絶料理人の辞書には載っていないんだよ」


「で、実際は?」


「くっっそ忙しかった。忙しすぎてテット・ド・ヴォーができそうだぜ、はっはっはー!」


 何が面白くて笑っているのか。彼とは確かに友人だが、彼のジョークはいまいちわからない。


 理は油を湛えた中華鍋に、衣をつけた鶏肉を入れた。ジュワーという音が鳴り、微かに甘い匂いが漂ってきた。


「今日は雨祗お嬢様はご一緒じゃございませんのか?」


「もうしばらくしたら来ると思うよ」


「そうかそうか、あの人メッチャ食うからな、作り甲斐があるってもんよ」


「この間まで敵意丸出しだったくせに」


「あの人の食いっぷり見て、鍋を投げるようなやつは料理人じゃねぇよ。お前にだから言うけど、俺は毎日のようにあの人の朝食の味噌汁を作ってあげたいと思ってるんだよ」


「屋敷の厨房、人出足りてないみたいだから、掛けあってみるか?」


「は? それジョークのつもりか? 全然面白くねぇな」


 定食を席に置き、しばらく座って待っていると、望ちゃんと満ちゃんがやって来た。望ちゃんは煮込みハンバーグ定食とカツカレー、満ちゃんはあじの刺身定食と山菜うどん大盛だった。二人とも意外と食べるんだなと思っていたら、望ちゃんはカツカレーを満ちゃんの席に置いた。満ちゃん、凄い食欲だな。雨祗ちゃんに引けを取らない。


「あ、そう言えば」


 いただきますをしてほどなく、僕の正面に座る望ちゃんが言う。少し顔がニヤけている。


「黄道さん、この間マッチョなおじ様と二人でホテルに入ったって話、ホント?」


 僕は味噌汁を吹き出しそうになった。


「それ、誰から聞いた?」


煌星きららさんからですよ。一昨日校門で会った時に話してくれました」


 あの女……どうやって嗅ぎ付けやがった。おまけに色々と改変して吹聴している始末。本当に危険な人だ。


「で、黄道さんの貞操が狙われて大ピーンチ! って時に颯爽と天杜さんが現れて、マッチョのおじさんをイチモツを裁ち鋏でちょん切って撃退したんだよね」


「事実が大幅にねじ曲げられている件に関して、僕は大変遺憾に思います」


「えー、どの辺がどう捩曲げられてるんですか?」


「入ったのはホテルじゃなくて解体途中の企業ビルだし、狙われたのは貞操じゃなくて命です。おじさんのイチモツもちょん切っていません」


 使い物にならなくなったのは事実だと思うけど。


「えー、なーんだ」


「なーんだとは何だよ?」


 命を狙われたと言っているのに、随分淡白な反応だ。冗談だと思われているのだろうか。さっきからニヤけているのも、僕をからかいたいからなのかもしれない。


「その時のこと根掘り葉掘り聞いて、同人の方の参考にしようと思ったんです」


「同人?」


「同人活動ってやつです。趣味でやってます」


「へー。具体的にはどんなことを?」


「基本は黄道さんが好きそうな奴だよ」


 好きな奴って……何とも鎌を掛けられているような言い方だな。返答に困る。


「気になるなら、私のアトリエ来ませんか?」


「え、いいんですか……!?」


 ここの生徒たちは、各自アトリエや研究所などの施設を持つことができる。それもまるまる一棟だ。ほとんどの生徒が、そこを『神聖な場所』と認識し、加えて住居としても利用していることもあって、あまり他人を入れたがらない。おそらく望ちゃんの場合も、そこはプライベートな場所のはずだ。


「色々と感想聞かせてほしいんです。みちるんも良いよね」


 満ちゃんは小さく頷いた。山菜うどんを既に平らげ、鯵の刺身に端をつけていた。彼女と目が合ったのだけれど、またしてもすぐ逸らされた。


「ホントにお邪魔してもいいの?」


「全然いいですよー! 今日の放課後でいいですか? 明日は休みですし、何なら夕飯も食べて行ってくれてもいいですよ? 私が腕に寄りを――」


 望ちゃんの言葉が止まった。満ちゃんの箸も止まった。どうしたのと聞く前に、僕は背後に人の気配を感じた。何故だろう、振り返るのが少し怖い。


「お隣、良いですか?」


 声がした。色があるなら、それは黒い色をしていたかもしれない。死神に話し掛けられたらかの如く、僕は背筋が冷たくなった。


 意を決して振り返る。案の定、そこには雨祗ちゃんがいた。


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