第二章 死神姉妹/夕屋望(Yuya Nozomi)& 満(Michiru)

第7話 私立高天原学園


 死神。読んで字のごとく、死を司る神である。


 古来人間は、自分たちの理解を超えた存在を『神』と名付けた。そしてそれらを畏怖すると共に崇め奉った。雨や雷などの自然現象はその代表格だが、それ以外で言えば、死は僕たちの一番身近にあって一番恐れるべきものだろう。


 僕は宗教にはまるで詳しくないけれど、結局のところ宗教というのは、生前に犯した罪を悔い改め、存在するかもしれない安らかな死後の世界への導かれるために信仰するものだと思う。


 葬式がいい例だ。日本人の大半は無宗教者だと言われていても、葬式だけは概ねキチンと取り行われる。そうする理由は、故人への弔いももちろんのこと、やはり死への恐怖があるからだ。だからこそ、死を司る神を創造(想像)し、それを畏怖するのだ。


 死神のイメージといえば、黒いローブに身を包み、巨大な鎌を持った骸骨の姿が代表的だろう。その他、足がなく浮遊していたり黒い翼が背中から生えていたり、骸骨ではなくミイラだったり、白骨化した馬に乗っていたりと、様々なバリエーションがある。しかし概ね、黒い服装と大きな鎌というアイコンがあれば、それは死神と称するのが一般的だろう。神と言う反面、神々しさは微塵もない。


 死神にまつわる神話や物語は、古今東西数多く存在する。その中で、今僕の中で最もホットなものが、古典落語の演目の「死神」だ。幕末から明治にかけて活躍した初代三遊亭圓朝さんゆうていえんちょうが、グリム童話に収録されている『死神の名付け親』という物語を翻案したものと言われている。



 物語は金に縁のない男のもとに死神が現れたことで動き出す。


 死神は男に「もし死神が病人の枕元に居たら、そいつはもう寿命が尽きた証拠だから助からない。反対に足元に居たら、まだ寿命が残っているから助かる。その時は呪文を唱えて死神を追い払え」と教え、それを活用して医者になることを薦めた。


 死神の言う通りにした男は、医者として有名になり、瞬く間に金持ちになった。が、調子に乗って遊びほうけたために、すぐに貧乏人に逆戻り。金を稼ごうとするものの、会う病人はいずれも死神が枕元に立っており、治したという口実で金をもらうことができなかった。


 焦った男は、ある金持ちのご隠居の死神に対し、死神が油断した隙に布団を半回転させ、死神が足元に来たところで呪文を唱えてたたき出してしまう。


 大金を手にし大喜びの男だったが、その帰路であの死神と再開。死神に言われるがまま着いていくと、大量の蝋燭ろうそくが立ち並んだ洞窟に案内される。聞けば、これらは人間の寿命で、まさに命の灯というわけだった。


 男が自分の蝋燭はどれかと死神に尋ねると、死神は今にも火が消えそうな蝋燭を指差した。ご隠居を助けたことで、自身の寿命を分け与えてしまったのだ。


 死神は男に言う。「蝋燭が消えればその人は死ぬ」と。


 まだ死にたくない男は、必死に死神に何とかならないかと頼み込む。すると死神は男に新しい蝋燭を渡した。「それに火を移すことができれば生き長らえることができる」と伝えて。


 単純なことだが、緊張のあまり男の手は震え、上手く火を移すことができない。そして死神の名調子がここで挟まる。


「ほらぁ……消えるよ~、消えるよぉ~……」


 一時のタメの後、演者は高座の上で倒れた。刹那、照明が消え、緞帳どんちょうがゆっくりと下り始める。そして館内には観客たちの惜しみない拍手が響き渡った。



「いやぁ、楽しかったー!」


 舞台袖に引いてきた雨祗ちゃんは晴々とした表情で言った。額には大粒の汗が滲んでいた。


「お疲れ様」


 僕は雨祗ちゃんに、よく冷えたフルーツ牛乳を手渡す。


「凄く引き込まれたよ。名人みたいだった」


「いやいや、私がやったのはだよ。そこまで評価される程のことはしてないって」


 雨祗ちゃんはフルーツ牛乳を一気飲みし、プハー! と息を吐いた。風呂上がりの一本のような、豪快な飲みっぷりだった。


「それに所詮は学園内のお遊戯会だし。本物の寄席よせとかでやるのとは、雲泥の差だよ」


「でも僕には、初めて見た落語だったけど、とっても印象的だったよ」


 それを聞いて、雨祗ちゃんは得意げなような照れたような表情になった。


「えへへ、ありがと。ちなみに落語は『見る』ものじゃなくて『聞く』ものだからね」


「あぁ、そうか。はなしだから聞くなのか」


「そう言うこと。あ、そうだ。聞くって印象が強くなるように、次回は浪曲でもやってみよ」


 雨祗ちゃんは瓶をあっという間に空にした。僕はマネージャーさながらに、空の瓶を即座に雨祗ちゃんから貰う。


「ありがとう。あぁ、お腹空いた! 着替えてくるから、こうちゃんは先に食堂行ってて待ってて」


「うん、わかった」


 更衣室へと歩いていく雨祗ちゃんを見送ってから、僕は会場を後にした。


 私立高天原たかまがはら学園。ここには、日本の教育機関には珍しい五つの「ない」がある。


 一つ、授業及び試験がない。


 一つ、教師がない(いない)。


 一つ、学年及び学級がない。


 一つ、学費がない。


 一つ、卒業がない。


 授業がない理由、それは単純に、ここにいる生徒たちが授業を受ける必要のない人種だから。つまり学校で教わる知識など一抹もない頭脳の持ち主か、勉学に費やす時間が無駄とされるほどのずば抜けた才能の持ち主しか、ここにはいない。


 そんな彼らに対しては、こころみためす必要はないからに、試験も行われることはない。


 授業や試験がないのだから、当然教師も必要ない。とは言え、学園長と数名の相談役、そして各種職員はいる。僕もそのうちの一人だ。


 同じ理由で学年や学級を分ける必要もない。学年の代わりに「○期生」という呼び方がされている。


 全生徒が特待生級であるからに、学費も全面免除されている。そればかりか、学園内での買い物や食費はすべて無料だ。さらには申請さえ通れば、研究及び制作費用も学園が支払ってくれる。金払いが良過ぎるというレベルではない。


 それらの費用を賄うことができるのは、学園のバックに、世界に名高いとある大財閥の存在と、学園の教育方針やらプログラムに賛同する世界中の企業や資本家たちからの融資があるからだ。


 財閥の名前は天杜財閥。何を隠そう、雨祗ちゃんの実家だ。雨祗ちゃんが学園内外、世間の表でも裏でも有名なのは、その辺りも関係している。


 生徒たちはこの学園で何をやっていいことになっている。ひたすら研究や創作活動にふけるも良し、記録に挑戦するも良し、経営や企業するも良し、永遠と遊ぶも良し……。


 ここには普通の学生はいない。いるのは芸術家や作家、料理人、アスリート、技術者、研究者、経営者、はたまた道楽者などだ。


 彼らがそれを全うするための条件はたったの二つ。年に一回以上、自身の成果を公の場に発表することと、年に二回定期的に設けられている学園長との面談を受けることだ。それさえクリアすれば、永遠とここに居続けることもできる。卒業すらも個人の自由なのだ。


 雨祗ちゃんの落語もその一環で行われた。一昨日の夜に突然やりたいと言い出して、そしてあっという間に今日の講演を終えた。彼女の気まぐれで開かれた発表だが、さすがの知名度、満員御礼の大盛況だった。学園側の対応も迅速だった。


 僕はそのアシスタントに借り出され、雑用改め細々した手伝いさせられた。この三日間はそれなりに忙しかった。勿論、雨祗ちゃんと比べたら僕は何もしていないに等しい。

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