第5話 デビュー戦

 しばらく進んだところで、雨祗ちゃんはビシッ! っと雷親父を指差した。


「知らないようだから教えてあげますよ。こうちゃんをしびれさせていいのは、世界でただ一人、雨祗ちゃんだけなんだからねっ!」


 雨祗ちゃん、助けに来てくれたのはありがたいけど、やるならとっとと片付けてくれないかな。恥ずかしくて頭が沸騰しそうだ。


戯言たわごとが過ぎる」


 雷親父が言った。地を這うような低い声だった。


「とっとと得物を出せ、天杜雨祗」


「あら、私のことをご存じなんですね」


「知らない奴がいると思っているのか」


「いいえ。ただ、知っているのであればこそ、寧ろこの場を早急に退散するものかと思ってしまったので」


「嫌味な奴め。確かに常識的に考えれば、ことなど愚行以外の何物でもない。だが今回ばかりは、お前との決戦が避けられないことを知った上で俺はここにいる。全力でお前をる」


「えぇ、是非そうしてください。


 雨祗ちゃんは本革の鞄から布切り鋏を取り出した。月光に煌めく刃は殺意に満ちていて、ナイフや剣よりも恐ろしい武器のように思えた。


「ちなみにあなたは名乗るタイプの人ですか?」


「あんなのは時間の無駄でしかない」


「そうですか、それなら私も今回は控えます」


 一時の沈黙を挟んだ後、先に動いたのは雷親父だった。弾丸のように駆け出し、雨祗ちゃんとの距離を一気に詰める。接近して強烈な電撃を食らわせるつもりだ。


 雨祗ちゃんもまた雷親父に向かって突っ走った。一瞬でけりをつけるつもりなのだろうか。


 雷親父の大きな両手が、雨祗ちゃん目掛けて伸びた。手はバチバチと帯電している。ニアミスしただけでも感電して黒焦げになってしまいそうだ。


 だが雨祗ちゃんはそれを余裕をもって避けた。小柄な体躯を活かし、スライディングして股の間をすり抜けたのだ。


 抜けきったところで身体の向きを反転させ、布切り鋏を投げ飛ばした。鋏はバッテリーと右肩とを繋ぐケーブルを貫通した。


 バッテリーが壊れてしまったら放電はできまい。僕は思わずガッツポーズをした。だが喜んでいられたのも束の間だった。


 雷親父は雨祗ちゃんに後回し蹴りを食らわせた。その対応の速さに僕は驚かされる。雨祗ちゃんは左肩の辺りを蹴られ、3mほどの距離を飛ばされた。だが受け身を取り、最小限のダメージに抑えたように見受けられた。


 傍から見れば、さほど威力のあった攻撃とは思えなかった。だが雨祗ちゃんは地面に膝をついて、苦々しい表情をしている。


「へー、靴からも放電できるんですね。それはちょっと予想外でした」


「弱点を丸出しにしている都合上、対策はしっかりと立ててある」


「でもその靴の形状からして、スマホとかそれと同程度の容量のバッテリーしか仕込めないとないと推測するんですが、どうですか?」


「……噂通りの勘の鋭さだな。だが、動きを鈍くするならその程度で充分だ」


 刹那、バチッ! という音が聞こえた。雷親父の背中のバッテリーがショートを起こしたのだと、僕は勘付く。命を狙われた相手だが、火花が飛び散って服や髪に燃え移ってしまうのではないかと心配になる。


 すると雷親父は肩からケーブルを引き抜いた。さらにバッテリーを背中から外し、ガシャン! と地面に落した。


 落ちたのは右側半分だけだった。左右で別々のバッテリーを装着していたのだ。思わず舌打ちが出た。


 雨祗ちゃんはようやく立ち上がり、雷親父から逃げた。雷親父はもちろんそれを負う。


 攻撃手段が減った雷親父だが、不利な状況に立たされているのは雨祗ちゃんの方だと僕は思った。開幕に見せたあの俊敏な動きは少なからず鈍っている。おまけに雨祗ちゃんにはそれらしい攻撃手段がないように思われる。


 助けに行くべきか? 身体の痺れはもうすっかり取れている。でも、僕が出しゃばったところで足を引っ張るだけなのは目に見えている。だが雷親父の電撃や拳を紙一重でかわしている彼女を見ていては、居ても立っても居られない。


 と、雨祗ちゃんがこちらを見た。そこにはいつもの、ちょっと小悪魔的な雰囲気を醸し出す笑顔があった。


 雨祗ちゃんが雷親父のすぐ横を抜け、全力で駆けだした。その背中に向かって、雷親父は数発の弱い電撃を放った。


 それを雨祗ちゃんは、鞄から取り出したリッパー(※縫い目を切るための小型の裁縫道具)を避雷針代わりに投げる。が、一発が雨祗ちゃんに命中。雨祗ちゃんは前方に転んだ。


 あっ! と僕は声を出した。だが雨祗ちゃんは、転んでもただでは起きなかった。その勢いを生かし、ゴロゴロと転がる。


 そして雷親父が捨てた半分のバッテリーを掴んで静止した。雨祗ちゃんを追いかけていた雷親父も、それを見て咄嗟に足を止めた。


 雷親父は今大きな水溜りの中心にいる。バッテリーをそこへ投げ入れれば奴は感電するに違いない。雨祗ちゃんの勝ちだ!


 でも妙だ。そのことに気づかない雷親父ではないはずだ。だが彼は慌てて水溜りから出ようとはせず、ゆっくりと歩き、雨祗ちゃんとの距離を詰めて行く。


「動かないで! さもないとこれを水溜りに投げ込みますよ!」


 雷親父の頬がピクリと動いた。笑ったのかもしれない。


「そいつで俺を感電させようという魂胆か? 生憎あいにく、その手の脅しは俺には通用しない」


「えぇ、あなたのそのピチピチのスーツも絶縁材料でできていて、漏電なんかの対策にしているんですよね? すぐ察しが着きました」


「それなら、もう観念――」


 でも、と雨祗ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。


「電気なんて、ちょっとした工夫で簡単に通るものですよ」


 雨祗ちゃんはバッテリーを思い切り蹴り飛ばし、その反動で後ろに下がった。


 刹那、鼓膜をつんざくよう破裂音と、眼球を穿つような閃光が僕を襲った。男の断末魔のような叫びも聞こえる。それは数秒足らずの時間だっただろうけれど、永遠とも思えるような光景として僕の目と耳に残った。


 一時の静寂の後、雷親父が張りぼてのように背中から倒れた。彼の身体は煙が立ち上り、細かく痙攣している。動きだしそうな気配はまるでない。


 雨祗ちゃんは膝から崩れ落ちた。僕は急いで彼女に駆け寄った。


「お嬢様!」


「だから、雨祗ちゃんだって」


「雨祗ちゃん、だ、大丈夫!?」


「ん、大丈夫。ありがとね」


 疲労と緊張が入り混じった雨祗ちゃんの表情が、ふと綻んだ。


「いやー、意外と苦戦しちゃったなぁ。もう少し余裕持って倒せると思ってたんだけど、反省、反省」


「本当に大丈夫なの?」


「まぁ、まだ指先とかに痺れが残っている感じだけど、幸い、これと言った外傷はないよ」


 思わず、ホッという声が漏れた。


 それでさ、と雨祗ちゃんは声のオクターブを上げて僕に言う。


「今の何が起こったかわかった?」


「えっ、何が?」


「だからぁ、絶縁体に覆われてるはずの雷親父の身体に、どうして電気が流れたかってこと」


「ん~……、ごめんなさい、全然わかりません」


 雨祗ちゃんは溜息をついた。やれやれ仕様がないな、といった具合にだ。


「正解はこれだよ」


 直後、僕は手の甲に小さな痛みを覚えた。よく見ると、雨祗ちゃんは裁縫用の長針を数本摘まんでいた。


「この針をね、あいつの靴に何十本も刺しておいたんだ。攻撃をかわしてる間にね。電気はそれを伝って、服の内側に流れたってわけ。刺したことに気付かれないように加減するのがちょっと難しかったよ」


 なるほどなぁと感心しつつ、僕は雷親父を一瞥する。


「あれって、死んじゃったの……?」


「ううん、気絶してるだけ。でも服の下、特に下半身は結構重篤じゅうとく火傷やけどしていると思うよ」


 僕は思わず股間を押さえそうになった。


「感電死しなかったのは多分、バッテリーの残量がそこまで多くなかったことと、電気が上手く反対の足から逃げてくれたからかな。まったく、命拾いしたね」


「えっ、まさかそれがなかったら本気で殺すつもりだったの!?」


「当然じゃん。向こうもそのつもりだったんだし」


 確かにそうだったけど……。 


「あぁ、今日は疲れちゃった。こうちゃんおんぶしてー。下に降りたら七夕たなばたさんが車回してくれてると思うからさ」


 普段なら間違いなく断って、結局無理矢理おんぶさせられているところだけれど、雨祗ちゃんの功労と状態を思えば、そんな無慈悲なことはできない。


 背中を向けると、雨祗ちゃんは「えいっ!」と言って飛びついてきた。元気あるじゃん、とはさすがに言わない。


 改めて、雨祗ちゃんの身体は軽かった。40kgもないのでないかと思えるほどだ。こんな身体でよくあの巨漢に勇ましく挑んだものだ。

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