第3話 偶然が重なるのは二回まで

 ふと気づけば、日はドップリと沈んでいた。切りが良いから、今日はもう帰ろう。あんまり遅くなると、お嬢様もとより雨祗ちゃんがうるさい。パソコンをシャットダウンし、戸締りを確認しつつ、本校舎から出る。


 ペンキで塗りつぶしたような夜空の下、身に染みるような寒さが立ち込めている。夕方から一時的に降っていた小雨のせいもあるだろうが、この時期はまだ夜は冷える。雨傘では寒さは和らげられないからに、少し小走りでバスターミナルに向かった。


 時刻表を確認すると、今しがた出てしまったバスが最後の便だった。駅まで歩いて行くのか、面倒臭い。


 学園の敷地を出ると、まるで異世界に来たような、賑やかな繁華街の雰囲気に包まれた。花見のシーズンは終わったというのに、できあがったサラリーマンやOL、若いカップルなどの姿が目立った。


 僕も一杯引っ掛けてから帰ろうか? いや、まだお酒の美味しさは僕にはわからないからに、無理して飲むこともないか。


 そう言えば、雨祗ちゃんに帰りの連絡を入れるのを忘れていた。「最近物騒だからちゃんと連絡してね」と、母親のようなことを言われた。


 スマホを見ると圏外になっていた。こんな街中で圏外? 故障したのだろうか? あとでもいいか。


 駅まではまだ距離があるから、近道を使おう。そのルートには企業ビルの敷地を横切る部分がある。駄目なことだとはわかっているが、ここを通るか通らないかでは五分近く差が出てしまう。使わないわけにはいかない。


 が、使おうにも使えなかった。敷地が白の鉄板でグルリと囲われていたからだ。工事だ。それは予想外だった。


 何とか通過できないかと抜け穴を探してみるが、そんなものがあるはずもない。さすがにないとは思いつつも、一縷いちるの望みを賭けて、僕は蛇腹型のゲートの取っ手を掴んだ。


 動いた。とても簡単に。とても滑らかに。力を込め過ぎていたせいで、身体のバランスを崩しかけた。


 何はともあれ、侵入成功だ。とっとと通り抜けて、誤解されないようにしよう。

 敷地を半分ほど過ぎた時だった。背後でバチバチッ! という音が聞こえた。明るさと人の気配もあった。


 ハッとして振り返るとそこには人の姿があった。振り返る直前から反射的に「スイマセン!」の「す」の字は口から出ていたが、それ以上は驚きのあまり出てくることはなかった。


 相手は巨漢だった。身長は2m近い。肩幅も、僕が想像する平均的な成人男性の倍以上あり、筋骨隆々の圧倒的存在感を放っている。


 そんな肉体を密閉パックしたような、ピッチピチの白いスーツを着ている様は滑稽なのかもしれない。あるいは、レンズ部分に偏光板を取り付けたようなサングラス、白髪を彗星の尾のようにオールバックにしているヘアスタイルも、また然りかもしれない。だがそれを見て笑っていられるほど、呑気じゃいられなかった。


 男にはもう一つ特徴がある。背中に装備した巨大な箱だ。畳半畳ほどの大きさがあり、そこから男の両肩に太いケーブルが接続されている。肩の先には腕があり、腕の先には手がある。


 そこまではいい。だが白い手袋をつけたその手から、青白く目映い火花が激しく散っている光景には目を疑う。男の人相をしっかりと確認できたのも、その火花があったからだ。


 十中八九、男はこの現場の作業員ではない。それなら一体こいつは何なのか、という答えは出て来ない。ただ、不穏な空気が立ち込めていることだけは感じ取れた。


 何かされる前に早く逃げた方がいい。そう思ってジリジリと後退していくと、男に動きがあった。


 男は右肩を引くようにして腕を折り曲げた。そして一時の溜めの後、空間を穿うがつ勢いで腕が突き出された。


 刹那、激しい閃光が発生すると共に、男の手から稲妻が飛んできた。一瞬遅れて破裂音がとどろく。


 何をしてくるのかと警戒していたが、そんなもの、警戒してどうこうなる問題ではなかった。光と音の不意打ちに驚いて、反射的に身構えることしかできなかった。


 放たれた稲妻は持っていた傘の先端に当たった。今年の梅雨に合わせて買った、昨日の午後と今朝の二回しか使用していない傘だ。それが一瞬にして消し炭と化した。


 傘がなかったら危うく僕がこうなるところだった。傘、ゴメン。そしてありがとう。


 男は再び腕を折り曲げた。今度は左腕だった。間もなく二発目の雷撃が放たれる。本物の雷にも負けず劣らずの強い閃光、そしてパーン! という破裂音とドーン! という破壊音を合わせたような轟音が、またしても僕の目と耳を再びさいなむ。


 男が腕を曲げた瞬間、僕は近くにあったショベルカーの後ろへ身を隠した。一発目、右手から放たれた雷撃の動きを見ていたお陰で、咄嗟に行動することができた。


 雷撃の直撃は免れた。が、ショベルカーのすぐ後ろに居たせいか、表面を伝わってきた電撃の一部が右手の指先から伝わってきた。途端、爪と肉の間から太い釘を打たれたような痛みに貫かれた。


 右手を空振りさせている間に、重い足音が背後から近づいて来ていた。しかもどんどん短い間隔になっている。男がこちらに走って来ているのは明白だった。


 逃げる以外の選択肢はない。急いで奥へと走り、反対側のゲートに到着した。


 入った時のゲートは手応えがないくらいに簡単に開いたのに、こちらのゲートは頑なに開かなかった。鍵が掛かっているのではなく、支柱と取っ手がワイヤーによって固定されていた。くそっ、誰の悪戯だよ!


 そうこうしている間に、男が近づいて来ていた。仕方がない、建物の中に逃げ込んで上手くやり過ごそう!


 中に入ると瓦礫が散乱していた。暗闇にまだ目が慣れていないからに、少々慎重に進む必要があるだろう。


 入ってすぐ廊下と階段があった。廊下の方には非常口の案内も出ていたが、床が崩れていたり大きな瓦礫があったりと足場が悪そうだった。対する階段は見た目はほぼ無事で、難なく進むことができそうだ。僕は迷わず階段を昇った。


 背後では、ドカン! とかバゴン! などという大きな音が度々聞こえてきた。振り返ると、男が電撃をまとった手で次々と柱や大きな瓦礫を破壊していた。恐怖と焦燥がぶり返し、僕の判断力を低下させた。


 二階に上がり、最初に目に付いたドアに飛びつく。部屋に隠れてやり過ごそうと思ったからだ。


 だがドアはピクリとも開かなかった。


 予想外のことが起きると、人は焦る。僕も例外ではない。焦ると短絡的な行動に移りやすい。つまりはすぐ隣の別のドアへと向かってしまった。


 それも開かないのでさらに焦る。ならばもう一度別のドアで試みるが、それも開かないのでますます焦る。その間に足音が近づいてきているからに、より一層焦る。そうなったらもう、冷静な判断などできるはずもない。


 偶然が重なるのは二回まで。それ以降は必然だ。


 そんな台詞を誰か言っていた。そう、三つ目のドアが開かなかった時点で、僕は気づくべきだったのだ。


 このビルには男が細工を施しているのだと。そんな場所へ僕はまんまと誘い込まれてしまったのだと。

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